【第31回】核被害を問い続ける 被爆者救済へ法廷闘争  自身も2世の弁護士

第1回口頭弁論のため、原告や支援者とともに広島地裁へ入る在間秀和さん(中央)。「放射線の影響に関する真実は隠されてきたのではないか。過去の問題ではなく現在の問題として、この訴訟を位置付けたい」と語気を強める=5月9日、広島市中区(撮影・西詰真吾)

 5月9日昼すぎ、広島市中区の広島弁護士会館を出発した30人ほどの一団は雨の中、広島城の堀を挟んで向かい側にある裁判所へ、ゆっくり歩を進めた。
 最前列に立つ弁護士、在間秀和さん(68)が広島地裁の正面玄関に到着し、横断幕を手に真一文字に口を結ぶと、一斉にシャッター音が鳴った。横断幕には「原爆被爆二世の援護を求める被爆二世集団訴訟」の文字。

 

 ▽放置の構図

 広島、長崎への原爆投下から72年。被爆者の平均年齢は81歳を超え、被爆体験の風化が懸念される中、被爆者の子である「被爆2世」たちが初の提訴に踏み切った。
 「最大の問題は放射線が人体にどのような影響を与えるか、特にその遺伝的影響についてだ」
 暑さで蒸し返す304法廷。第1回口頭弁論のこの日、在間さんが意見陳述した。「放射線による被害がいかなるものか、真実が国によって明らかにされてきただろうか」。落ち着いた調子ながら、野太い声が時折響き渡る。
 国が被爆2世への援護を怠っているのは幸福追求権などを保障した憲法に反する―。在間さんが代理人を務める原告約50人は今年、広島、長崎両地裁に訴えを起こした。
 国は1957年制定の原爆医療法と68年の原爆特別措置法に基づき、直接被爆した人や爆心地付近に入り放射線を浴びた人(入市被爆者)、被爆者を救護した人、被爆した母親の胎内にいた人を「被爆者」に認定し、治療費支給など各種支援を行ってきた。二つの法律はその後、被爆者援護法に統合された。
 しかし、被爆2世は援護法の対象外で、年に1度の無料健康診断が受けられるだけ。援護法制定時、2世への支援を求める付帯決議が国会で採択されたが、放置の構図は続いたままだ。
 

 ▽条約不参加憤る

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 3月31日、在間さんは高校生22人と福岡からフェリーで韓国・釜山へ向かった。広島、長崎の団体が進める平和活動の一環として韓国の被爆者や高校生と交流するためだ。
 船酔いを押して講師役を務めた在間さんは「弁護士20年目の95年から、頻繁に韓国を訪れるようになりました。戦時中、広島の三菱重工業に強制的に連れて来られ、働かされた韓国人徴用工の問題に取り組むようになってからです」と、韓国との接点を語り始めた。
 旧厚生省(厚生労働省)は74年、出国した被爆者への健康管理手当の支給を打ち切る局長通達を出した。このため祖国に戻った外国人被爆者は救済の網から漏れた。
 95年、在間さんが代理人となり、元徴用工の韓国人被爆者が提訴。「日本在住被爆者と在外被爆者を区別するのは明らかな差別で憲法違反だ」。こう訴え続けた12年間の法廷闘争の末、最高裁は局長通達の違法性を認め、国家賠償を命じた。
 「被爆2世であることを隠しておきたい人もたくさんいる。だがこうした人たちが、いつか名乗り出た時のために自分たちが準備をしておきたい」。被爆2世訴訟の原告で教諭の占部正弘さん(59)はこう語る。
 広島の被爆者団体が2014年に被爆2世約2千人を対象に実施した調査では、回答者の25%が健康不安を訴えた。
 「核被害は広島、長崎、ビキニ被ばく、福島での原発事故へと続く。2世の訴訟は現在にもつながる。国は放射線被害の真相を隠蔽(いんぺい)してきたのではないか」と在間さん。真実を求める核被害との闘いは続く。(共同=太田昌克)

韓国南東部・陜川郡のほこらには、亡くなった韓国人被爆者の位牌が並び、生存する被爆者が追悼している。在間さんは、戦時中に強制連行され、被爆した韓国人被爆者を長年支えてきた=2016年5月12日(撮影・粟倉義勝)

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