100日間ひたすら続く水行、読経 命がけの「大荒行」とは

 都心に近い千葉県市川市の寺で毎年11月から2月の間、100日に及ぶ凄絶な修行が行われている。乏しい食事にわずかな睡眠、ひたすら繰り返される水行と読経…。日蓮宗遠寿院で400年続く「大荒行」の一端に迫ってみたい。(47NEWS編集部 松森好巨)

 大荒行の最終日。福井市の妙國寺住職、南出海宏氏(46)の心持ちは平静だった。未明に起床し、水行をして読経をする。ここまでの日々と変わらない。今日で終わる―そんな高揚感はなかった。「門を出るまでが行だ」と心がけていた。

 午前6時半、入行以来閉じられていた「瑞門」の前に修行をともにした僧たちと並んだ。いよいよ扉が開くという時、門の向こう側から「南無妙法蓮華経」の大合唱が聞こえてきた。思わず全身から「うれしさ」がこみ上げてきた。扉が開けられた。

 

大荒行を終え、門を出た行僧たち=2月10日午前

 

 2月10日午前6時40分過ぎ。遠寿院の戸田日晨住職(65)を先頭に、大荒行を終えた12人が門から出てきた。うちわ太鼓の音と題目の声に包まれた境内に、家族や檀信徒ら100人以上が待ち構える。手を合わせ涙ぐむ人もいれば、カメラやスマホで撮影する人も。「今年は寒かったから」。見守っていた人が口々に話す.。例年、この時期に花を咲かせるという境内の梅も、つぼみのままだった。

 大荒行の期間は11月1日から2月10日。この間、遠寿院の「行堂」に籠り修行の日々を積み重ねる。1日の主な流れを以下に記す。

 起床は午前2時50分。その後、同3時から水行が始まる。内容は、井戸水のたまった水盤から桶で水をくみ頭からかぶるというもの。決められた所作で、大声で読経しながら7~15回繰り返す。時間は3時に続き6・9・12・15・18・23時の計7回行われる。食事は午前午後ともに5時半の2度。肉や魚を除いた精進料理で、基本はおかゆとみそ汁。納豆などの副菜が付く日もある。就寝は午後11時半で、睡眠時間はおよそ3時間だ。

 それ以外の時間はひたすら読経。静かに読み上げるのではなく、全身を使って声を張り上げ、「法華経」の決められた章を1日に何十回、何百回と唱え続ける。また、衣服は薄い木綿の単衣と決められているが、堂内に暖房はない。

 ▽足がザクロのように

 富山県滑川市の長福寺住職、近正文修氏(46)にとって、今回は3度目の大荒行だった。高血圧でもあり、「正直、不安や心配はありました」。日々の読経によってつぶれた声は、低くしわがれていた。

 20代、30代と経験してきたが、40代での挑戦は体にこたえた。入行からしばらくして、栄養不足と睡眠不足により筋力が低下し、背中はみるみる曲がっていった。さらに、厳しい寒さによって手足のあちこちにあかぎれやひび割れたができた。それは「足がザクロのように割れた」ほどだった。1月になると、水行をする足場のすのこは凍り付いたという。

 「2回ほど(命が)危ないと思うことがありました」。そう話すのは冒頭に登場した南出氏。遠寿院での大荒行は初めてだった。

 同氏は「危ない」場面について、具体的には語らなかった。ただ、周囲の行僧に介抱してもらっている時、取り戻した意識に浮かんだことは「良かった。まだ続けられる」だった―。

 

遠寿院の境内で水行する行僧たち。大荒行からおよそ1週間後、報告を兼ねて披露する=2月18日午後、千葉県市川市

 

 過酷な修行に身を投じる理由は何か。その問いに向き合う前に、大荒行についてもう少し説明したい。

 遠寿院の戸田住職によると、大荒行を終えた僧は「修法師」の資格が与えられ、「修法」と呼ばれる日蓮宗特有の加持祈祷を行うことができる。遠寿院は、この祈祷の作法や伝書などを受け継いでいて、代々の住職が「伝師」として、荒行の期間中に行僧へ伝授している。その歴史はおよそ400年に及び、戸田住職は36代目の伝師だ。

 つまり、大荒行は修法を行うための免許皆伝とも言えるのであり、なぜ、それをするのかという疑問は、修法師をなぜ目指したのかということになる。

 ▽進学、就職、そして出家

 「お師匠さんの存在が大きかったです」。南出氏の語る理由は明快だった。

 「師匠」は日蓮宗の僧で、中学生の時に家族とともに訪れた寺で初めて知り合った。年齢は二回り近く離れていたが、いつも同じ目線に立って話をしてくれる人だったという。人柄に惹かれ、寺を訪ねては雑談したり進路の相談にのってもらったりしていた。その中で目にしたのが、心身の悩みや苦しみを抱える人に対して祈祷をする師匠の姿だった。

 「祈祷によって人を助けようとする姿を見て、『坊さんとはこういうものなんだ』と思いました」

 南出氏は一般家庭の出身だ。大学を卒業後、大手物流企業に就職した。そんな南出氏を仏道に導いたのも師匠だった。社会人として過ごす中で、「いろいろと思うところがあった」時期に相談に行くと、出家を勧められた。特に抵抗もなく、心にすとんと落ちた。32歳で出家した。

 後に、なぜ師匠が出家を勧めたのか聞いたことがある。師匠は答えてはくれなかった。「どうしてなんでしょうね」。そう話す南出氏も、理由を知りたそうにしているようには見えなかった。

 

日蓮宗独特の「木剣」を使い加持祈祷する行僧たち=2月10日午前

 

 信頼し尊敬する師に導かれ進んだ道だから、「修法師」になるため大荒行に挑むことは当然だった。それでも、不安はあった。「なかなか記事にするのは難しいかもしれませんが」。そう前置きした上で次のように語ってくれた。

 「お師匠さんは、霊感と言いますか『感応道交』と言いますか、仏さまとのつながりが大変強い方でした。私にはそういった経験がなく全く未知の世界でしたので、(修法師として)できるかどうか不安でした」

 一方で、その「不安」は厳しい修行に励む理由にもなった。

 「祈祷は仏さまと人との間に私が入り、仏さまの『法力』を伝えていくものだと思います。自分はその間に入るにふさわしい『器』なのか。荒行はそれと向き合うことでもありましたし、自らの『器』を磨くことでもありました」

 2月10日。行僧の家族や檀家で埋まった境内に、南出氏を知る人はいなかった。福井の檀家には来ないでほしいと伝えていた。

 「400年前の人は、遠いところから荷物を抱え一人で来て、一人出てきたはずです。私も外に知っている人が誰もいないということに身が引き締まるような思いがしました。門を出てからが勝負だと」

 

入行と満行の時だけ扉が開けられる「瑞門」。奥の堂内で「大荒行」が行われる

© 一般社団法人共同通信社