ミドル級の伝説ハグラー氏が死去 「マーベラス」の愛称で一時代築く

1983年11月、ロベルト・デュランとの世界戦を制して喜ぶマービン・ハグラー氏=ラスベガス(ゲッティ=共同)

 1980年代、ボクシング中量級の黄金時代の主役だったマービン・ハグラー氏の死去を3月13日、ケイ夫人が発表した。66歳だった。

 ハグラー氏はマーベラス(驚異的な)の愛称そのままに確固たる地位を築き、ミドル級の第一人者として活躍。シュガー・レイ・レナード、トーマス・ハーンズ(ともに米国)、ロベルト・デュラン(パナマ)ら歴史的“拳雄”とのファイトが世界中のファンを魅了し、サウスポーからの強打は間違いなく時代を席巻した。

 ハグラー氏は54年5月生まれ。10代のころからボクシングに目覚め、アマチュアのトップへ。

 周囲からは五輪出場も期待されたが、本人は経済的な理由で迷わずプロ転向を決断。73年にプロデビュー(2回KO勝ち)を果たした。

 その後も連戦連勝。柔軟な動きでペースをつかみ、流れるような左右連打でKOを量産した。敵地でも積極的に闘い、不本意な判定で敗れたこともある。しかし、苦難の道を歩む中、実力を蓄えたのも事実だ。

 世界初挑戦は79年11月。惜しくも引き分けでタイトル奪取を逃した。

 次の機会は80年9月、世界ミドル級王者アラン・ミンター(英国)にウェンブリーで挑み、3回TKOで念願の頂点に立った。

 ハグラー氏は初回から一方的に攻め、ミンターの顔面を切り裂き、レフェリーストップがかかった。これで“無冠の帝王”のレッテルも返上した。

 王座に就いてからは、試合のたびに安定感を増していく。8度目の防衛戦が大きな転換点となった。

 挑戦者はパナマの英雄デュラン。4階級制覇を狙い、果敢に挑んできた。

 スタートからお互いに一歩も引かない打撃戦を展開。接戦のまま試合終了のゴングが鳴り、ハグラー氏の手が上がった。「生きた伝説」を破り、評価はさらに高まった。

 ベストファイトと呼べるのが、11度目のハーンズ戦だろう。破格の強打者を相手に的確なパンチを浴びせ、3回に鮮やかなKO勝ちを収めた。

 さらに12度目には、ビースト(野獣)の異名を持つジョン・ムガビ(ウガンダ)の挑戦を、11回KO勝ちで退けた。

 87年4月、そのハグラー氏に最強のレナードが挑んできた。

 試合はハイレベルの攻防となり、小差の判定負けで王座を失った。

 再戦を望む声もあったが、ハグラー氏は引退の道を選んだ。

 戦績は62勝(52KO)3敗2分け。日本のファンの間でも人気は絶大で「パーフェクト」と称賛されたボクシングは、永遠に語り継がれることだろう。(津江章二)

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