『「利他」とは何か』伊藤亜紗編 他者を受け入れる「うつわ」

 コロナ禍に直面する世界で「利他」という言葉が問い直されている。危機の回避にはソーシャル・ディスタンスやマスク着用など他者への配慮が不可欠になるからだ。コロナ以前から、格差拡大や深刻な環境危機を招く苛烈な市場経済に対して「贈与の経済」も盛んに議論されてきた。その意味で本書が打ち出した「利他」は時代が求めるテーマと言える。

 論者は伊藤亜紗(美学者)、中島岳志(政治学者)、若松英輔(批評家)、國分功一郎(哲学者)、磯崎憲一郎(小説家)と分野の異なる5人。研究グループ「『利他』プロジェクト」のメンバーだ。思想家や宗教家、作家の作品や言説を手がかりにしてテーマに迫っている。

 最もクリアカットなのは編者でもある伊藤の論考だ。自分の利益を動機とする「合理的利他主義」、幸福を数値化して最大多数の最大幸福を追求する「功利的利他主義」など欧米の思想家による利他論を考察。いずれも利他的行動が共感に支配されず、理性に基づくことを重視する点で共通する。共感だけでは地球規模の危機や共感できない対象を救えないからだ。

 伊藤はこの主張に一定の理解を示しつつ違和感を唱える。最終的に見返りを求める合理的利他主義は他者を支配する危険性をはらみ、幸福の数値化は他者を思いやる個人の内面を脱落させる。利他の大原則は「自分の行為の結果はコントロールできない」ということだと伊藤はいう。

 見返りは期待できない。結果は予測できないがやってみる。他者を支配しないよう相手の言葉に耳を傾ける。利他とは自分の思いだけでなく、他者が入り込める余白をもった「うつわ」のようになることではないか――。この「うつわ的利他」は5人の論考に共通するイメージになっている。

 明瞭で主体的な欧米発の利他論に対して、不確実で受け身という極めて日本的なイメージにも思える。だがそのぶん腰の強さと奥行きを感じる。議論はスタートしたばかりだ。研究プロジェクトによる次の報告を待ちたい。

(集英社新書 840円+税)=片岡義博

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