元世界ヘビー級王者、スピンクスさん死去 兄弟で五輪金メダル、ヘビー級王座獲得

異種格闘技戦の猪木(右)と対戦するスピンクス=1986年10月、両国国技館

 ボクシングの元世界ヘビー級チャンピオン、レオン・スピンクスさんが2月5日、死去した。67歳。前立腺がんなどを患い、数年間に渡って闘病生活を送っていた。

 スピンクスさんほど多くの話題を提供したボクサーは少ないだろう。兄弟で初めて五輪金メダルに輝き、プロ転向後も仲良くヘビー級の頂点に立った。

 さらに息子も世界王者。個性あふれる男は1970年代のボクシングシーンを彩り、意外性に満ちたドラマでヘビー級史を刻んでいる。

 1953年7月、米ミズーリ州セントルイス生まれ。少年時代、けんかに明け暮れ、心身を鍛え直すため強制的にボクシングジムに通わされた。

 これが性に合い、弟マイケルと練習を積みアマチュアのトップに成長。76年のモントリオール五輪ライトヘビー級で金メダルを獲得、マイケルも同大会のミドル級を制した。

 迷わずプロの道を選び、77年にデビュー戦を行い、5回KO勝ち。パワー不足をスピードで補うテクニックが目立った。

 そして78年2月、ビッグニュースが届けられた。ヘビー級のスーパースター、ムハマド・アリ(米国)の相手に指名されたのだ。

 アリはこれが11度目の防衛戦。一方の挑戦者はわずか7戦(6勝1分け)だけ。

 予想は圧倒的に不利だった。しかし、試合開始のゴングとともにラッシュを仕掛け、スピードに乗った左右連打でポイントを稼いだ。

 8回以降、反撃に遭ったが、13回から再び盛り返し、判定で歴史的な勝利を収めた。史上に残る大番狂わせといえるだろう。

 「おれが地球一だ」とリング上で絶叫した。

 8戦目での世界ヘビー級王座獲得はもちろん最短記録。時代の寵児となったが、これで自分を見失い、浮ついたまま7カ月後の再戦を迎えた。

 本来のボクシングができず、判定でアリに王座を明け渡した。79年、アリの引退で空位となった王座争奪トーナメントに出場したが、初回KO負け。これで世界戦線から脱落した。

 アリとの初防衛戦で約10億円のファイトマネーを手にした男の凋落は驚くほど早かった。

 私生活でも再三交通違反で捕まり、女性とのトラブルなどで財産もあっという間になくなったという。

 86年10月に来日、アントニオ猪木と異種格闘技で闘ったこともある。

 戦績は46戦26勝(14KO)17敗3分け。破天荒なボクサー人生ではあったが、アリを破った「一瞬の輝き」はいつまでも語り継がれる。(津江章二)

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