オッサンがあり余る世界すくう一作 『持続可能な魂の利用』(松田青子著)

『持続可能な魂の利用』(中央公論新社 1500円+税)

▼「この国から『おじさん』が消える」。帯が巻かれたその本は、松田青子著『持続可能な魂の利用』。なんと素敵な惹句かと、当欄筆者の私は、殺虫灯にまっしぐらな虫のごとく飛びつき、読了した。常々気になっていた光景や違和感が数珠つなぎにされ、小説の姿をしていた。

▼敬子という30代の女性が、1カ月間のカナダ滞在から帰国するやいなや、衝撃を受ける。日本の女の子たちは最弱だ、負けてしまうと。渡航前、敬子は非正規社員として勤めていた会社で、「おじさん」からどれだけ理不尽な目に遭わされたことか。彼女は人生これまで、どこに行こうともおじさんはいて、おじさんの視線被害に遭い、おじさん優位社会に抑圧されてきた。語られるのは敬子だけではない、職場にいた後輩の女性、アイドルグループに属したことのある女性…。

▼一方で敬子は、街頭ビジョンで、笑顔を見せずに激しく歌い踊る女性アイドルグループの姿に救われた気持ちになる。とりわけ、センターを務め、全く媚びない態度を取り続ける少女に夢中になる。しかし、そのグループの背後にもまた、演出する「おじさん」がいることに苛立つ。すり減った魂は元には戻らない。おじさんが支配しつづけてきた社会が、行き止まりを迎えている以上、おじさんを倒さねばならない。女性たちはいかに革命へと向かうのか―。

▼「オッサンが余っとる」。当欄筆者の私は、1年以上前から、この言葉を口にしない日はない。テレビのニュースに映るあちらもこちらも、ポストはほとんどオッサンで占められ、大事なことを決める場にオッサンがひしめきあっている。それが異様なことだと認識していることのしるしに、「オッサンが余っとる」とつぶやく。オッサン優位思想に気づかず疑わないオッサンが運営する世界の外側に、おのれの視点を置けるように、無害なオッサンであれるように、「余ったオッサンの言うことは聞き流そう」と、せめてささやく。それでも自分は、非オッサンから見たら有害なオッサンかもしれない。

▼どうぞ皆様も、くれぐれもお気を付けください。敬子の知見の一部にこうあります。「『おじさん』に年齢は関係ない。いくら若くたって、もう内側に『おじさん』を搭載している場合もある」。「『おじさん』の中には、女性もいる。この社会は、女性にも『おじさん』になるよう推奨している」(敬称略)

(宮崎晃の『瀕死に効くエンタメ』第143回=共同通信記者)

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