「村上春樹を読む」(110)「嫉妬深いってね、ときにすごくきついことなの」 『一人称単数』その4

『一人称単数』(文藝春秋刊)

 1冊の短編集として、単行本になった『一人称単数』(2020年7月、文藝春秋)についてだけでも、既に3回ほど、このコラムで記しています。収録された作品が文芸誌「文學界」に発表された時にも、ほとんどを取り上げて記してきたので、自分としては、このコラム「村上春樹を読む」で書くべきことは書いたかな……と思いながら単行本を手にしていると、“これは何だろう……”という思いがやってくるのです。正直、不思議です。

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 短編集『一人称単数』の表紙の装丁には、若い女性の姿が描かれて、その女性の奥に見える植え込みの中に、「ウィズ・ザ・ビートルズ」と思われるLPレコードのジャケットが置かれています。このLPレコードのジャケットが装丁に使われるということには、短編集中、同短編が大切な作品であることを示していると思います。でも、この「ウィズ・ザ・ビートルズWith the Beatles」という作品は、ある屈折を含んだ作品となっていると思います。“これは何だろう……”と考えさせることが多いのです。

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 「一人の女の子のことを――かつて少女であった一人の女性のことを――今でもよく覚えている。でも彼女の名前は知らない」と記される女の子が、この作品の冒頭部に出てきます。「僕にわかっているのは、彼女が僕と同じ高校に通っており、同じ歳で(僕と同学年を表す色のバッジを胸につけていた)、おそらくはビートルズの音楽を大事に考えていたというくらい」だという女の子です。

 時は1964年。ビートルズ旋風が世界中を吹き荒れていた時代。秋の初め、彼女は高校の廊下を一人で足早に、スカートの裾を翻しながら、どこかに向けて急いでいます。

 「僕は古い校舎の長く薄暗い廊下で、彼女とすれ違った。我々二人の他にはそこには誰もいなかった。彼女は一枚のレコードをとても大事そうに胸に抱えていた。『ウィズ・ザ・ビートルズ』というLPレコードだ。ビートルズのメンバー四人のモノクロ写真がハーフシャドウであしらわれた、あの印象的なジャケットだ。そのレコードは僕の記憶の中では米国盤でも日本国内盤でもなく、英国のオリジナル盤だ。なぜかそのことはとてもはっきりしている」

 そのように記されたLPレコードのジャケットが、単行本の短編集『一人称単数』全体の表紙に反映し、使われているわけです。

 「彼女は美しい少女だった。少なくともそのときの僕の目には、彼女は素晴らしく美しい少女として映った。それほど背は高くない。真っ黒な髪は長く、脚が細く、素敵な匂いがした(いや、それは僕のただの思い込みなのかもしれない。匂いなんてまったくしなかったのかもしれない。でもとにかく僕にはそう思えたのだ。すれ違ったときにすごく素敵な匂いがしたみたいに)。僕はそのとき彼女に強く心を惹かれた――LP『ウィズ・ザ・ビートルズ』を胸にしっかりと抱えた、その名も知らない美しい少女に」

 そのようにあるのですから、主人公「僕」は、この「美しい少女」と付き合うことになるのかと思うと、それが、そうではないのです。

 「神戸の山の上にあるかなり規模の大きな公立の高校」(村上春樹の母校・神戸高校のことかと思われます)で、この少女を目にしたのは、そのときだけで、毎日、頻繁に廊下を歩いて行き来したようですが、以来、その少女にはあっていないようです。

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 そして、「僕」の「初めてのガールフレンドは、小柄でチャーミングな少女だった。その年の夏休み、僕は彼女と週に一度はデートをした」と、冒頭部の女の子とは別な女性と付き合うようになります。彼女は物語の中で「サヨコ」と呼ばれる女性です。

 「ウィズ・ザ・ビートルズWith the Beatles」という短編の大きな部分は、このサヨコと、その兄とをめぐる「僕」の物語です。この短編を読んでの最初の印象は「ウィズ・ザ・ビートルズ」のLPを抱えた女の子と、サヨコという女の子(この2人の女の子は同じ神戸高校と思われる公立高校の生徒です)とが「ウィズ・ザ・ビートルズWith the Beatles」という短編の中で、どのような関係にあるのだろうか……という点でした。

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 サヨコはビートルズにも、ジャズに関心がなく、好んで聴くのは、マントヴァーニ楽団やパーシー・フェイス楽団、ロジャー・ウィリアムズとか、アンディー・ウィリアムズ、ナット・キング・コールとか、その手の穏やかな、いうなれば中産階級的な音楽だった。そのように記されています。

 そして彼女の家にいくと、そういうイージーリスニング音楽をかけてくれて、「僕」はサヨコと肉体的な愛の戯れを楽しんでいるようです。

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 もう一つ重要な謎は、僕と別れたサヨコが、後年、自死していることです。

 その死は、東京・渋谷で偶然再会したサヨコの兄から伝えられるのです。「二十六のときに、勤めていた損保会社の同僚と結婚して、子供を二人産んだんやけど、それから自ら命を絶ってね。そのときまだ三十二歳やった」とサヨコの兄が話すのです。

 「誰にもその原因がわからんのです。その時期、とくに悩んでいたり、落ち込んでいたり、そういう素振りも見えんかった。健康にも問題なく、夫婦仲も悪くなかったと思うし、子供も可愛がっていた。そして遺書みたいなものも、まったく残されてなかった」ということです。

 さらに「医者からもらった睡眠薬を貯めておいて、それをまとめてそっくり飲んだんです。だから自殺は計画的なものやったやな。最初から死ぬつもりで、半年くらいかけて薬をちょっとずつ貯めていた。ひょっと思いついて、その場で衝動的にやったことではない」とサヨコの兄は「僕」に語っています。

 この「ウィズ・ザ・ビートルズWith the Beatles」には、「僕」がサヨコの兄に乞われて、芥川龍之介の『歯車』を朗読する場面がありますが、サヨコが大量の睡眠薬を飲んで自殺したことには、芥川龍之介の死と響き合う面があるかもしれません。

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 「僕」のガールフレンドの兄は「サヨコが自殺するかもしれんなんて、一度として考えたことがなかった。世界中の人間がみんな揃って自殺したとしても、あいつ一人だけはしっかり生き残るやろうと、たかをくくっていた。幻滅や心の闇やらを、一人で抱え込むタイプとはどうしても思えなかった。はっきり言って、考えの浅い女やと思っていた。小さい頃からあいつのことはとくに気にしなかったし、向こうもぼくに対してそうやったろうと思う。気持ちがうまく通い合わんとでもいうのかな……ぼくはむしろ、下の妹との方がうまくいっていた」と語っています。

 さらに「今ではサヨコに悪いことをしたと、心の底から悔やんでるよ。ぼくにはあいつのことがよくわかってなかったのかもしれん。何ひとつあいつのことを理解してなかったのかもしれん。ぼくは自分のことで頭がいっぱいになっていたのかもしれん。所詮ぼくみたいなものの力では、妹の命を救うことはできなかったかもしれんけど、何かを少しでもわかってやることはできたはずや。あいつを死に導くことになった何かをな。そのことが今となってはとてもつらい。自分の傲慢さ、身勝手さを思い出すと、たまらんほど胸が痛む」とサヨコの兄は「僕」に話すのです。

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 このかつてのガールフレンドの「兄」の言葉は、そのまま「僕」の中に響いてくる言葉ではないかと思います。村上春樹の小説の登場人物は、ある意味ですべてが分身的な存在ですから、「僕」の心の中をサヨコの兄の語る言葉が領してくると考えてもいいのではないかと思うのです。

 サヨコの兄は再会した「僕」との別れ際に「それから、こんなことを言われたらあるいは負担になるかもしれんけど、ぼくの意見をあえて言わせてもらえば、サヨコは君のことがいちばん好きやったんやと思う」と言います。

 続いて「僕は何も言わなかった。僕のガールフレンドのお兄さんもそれ以上は何も言わなかった」とあります。

 この「ウィズ・ザ・ビートルズWith the Beatles」という短編が、とても深いものを抱いて書かれていることが伝わってくる場面だと思います。

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 サヨコはなぜ死んだのでしょうか。サヨコの兄の最後の言葉によれば、「サヨコは君のことがいちばん好きやった」からだろうということかもしれません。

 考えてみると、この作品の中では、「僕」のチャーミングなガールフレンドであるサヨコの心の内側を示すような言葉は、ほとんど記されていません。ただ1カ所だけこんな場面があります。

 「ねえ、知ってる?」と高校生のサヨコが自分の家のソファの上で、僕に打ち明けるように小さな声で話し出します。

 「わたしって、すごく嫉妬深いの」とサヨコが言うのです。「ふうん」と「僕」は応えていますが、「それだけは知っておいてほしかったから」と言うサヨコに、「僕」は「いいよ」と答えています。

 「嫉妬深いってね、ときにすごくきついことなの」と、さらにサヨコは話しています。

 続いて「僕は黙って彼女の髪を撫でた。でも嫉妬深いというのが何を意味するのか、それがどのようなところからやって来て、どのような結果を生み出すのか、当時の僕にはまだうまく想像がつかなかった。そんなことより、自分の気持ちのことでとにかく頭がいっぱいだったのだ」とあります。

 再読すると、このサヨコとのやりとり、「どのような結果を生み出すのか、当時の僕にはまだうまく想像がつかなかった」の部分は、サヨコの兄の「何ひとつあいつのことを理解してなかったのかもしれん。ぼくは自分のことで頭がいっぱいになっていたのかもしれん」と対応した言葉ではないかと思います。

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 つまり、サヨコの自殺の原因は「嫉妬深い」ということなのかもしれません。「嫉妬深いってね、ときにすごくきついことなの」とサヨコが話しているわけですから。

 「嫉妬深いというのが何を意味するのか、それがどのようなところからやって来て、どのような結果を生み出すのか」と村上春樹は書いていますが、「嫉妬深い」ゆえに自死した女性を村上春樹作品の中に探してみれば、『東京奇譚集』(2005年)の中の短編「品川猿」に出てくる「松中優子」という女性がいます。

 「品川猿」の語り手は「みずき」という女性です。「みずき」の実家は名古屋ですが、中学・高校時代、横浜の私立の中高一貫校で寮生活をしています。そして高校3年の時、松中優子という2年生が「みずき」の部屋を訪ねてきます。

 その松中優子が「みずきさんはこれまで、嫉妬の感情というものを経験したことがありますか?」と質問します。

 「みずき」は「ないと思うよ」と答えています。

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 その「嫉妬」の感情について「たとえばみずきさんが本当に好きな人が、みずきさんではない別の誰かのことを好きになったとか、たとえばみずきさんがどうしても手に入れたいと思っているものを、誰か別の人が簡単に手に入れてしまったとか、たとえばみずきさんが『こんなことができればいいのに』と願っていることを、ほかの誰かが軽々となんの苦労もなくやってのけるとか……そういうようなことで」と松中優子は「みずき」に説明しています。

 これは対して「そういうことって、私にはなかったような気がする」と「みずき」は言っています。逆に「ユッコにはそういうことがあるの?」と尋ねると「いっぱいあります」と松中優子は答えています。

 さらに松中優子は「嫉妬の気持ちというのは、現実的な、客観的な条件みたいなものとはあまり関係ないんじゃないかという気がするんです。つまり恵まれているから誰かに嫉妬しないとか、恵まれていないから嫉妬するとか、そういうことでもないんです。それは肉体における腫瘍みたいに、私たちの知らないところで勝手に生まれて、理屈なんかは抜きで、おかまいなくどんどん広がっていきます。わかっていても押し止(とど)めようがないんです。幸福な人に腫瘍が生まれないとか、不幸な人には腫瘍が生まれやすいとか、そういうことってありませんよね。それと同じです」と述べています

 「嫉妬の感情を経験したことのない人に、それを説明するのはとてもむずかしいんです。ただひとつ言えるのは、そういう心とともに日々を送るのは、まったく楽ではないっていうことです。それは実際のところ、小さな地獄を抱え込んでいるようなものです。みずきさんにもしそういう気持ちを持った経験がないのだとしたら、それは感謝すべきことだと思います」と話しているのです。

 そうやって、「みずき」に嫉妬の感情について話した松中優子が、その直後に「どこかの森の奥で剃刀(かみそり)で手首を切って、血だらけになって死んでいた」のです。

 「何が理由で自殺をしたのか、誰にもわかりません。遺書らしきものも見つかりませんでしたし、思い当たる動機もまったくありませんでした」と書かれていますが、「みずき」だけは「彼女の抱え込んだ深い嫉妬の感情が、自殺の原因であったかもしれない」と考えている話となっています。

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 サヨコの自殺について、サヨコの兄は「誰にもその原因がわからんのです。その時期、とくに悩んでいたり、落ち込んでいたり、そういう素振りも見えんかった。健康にも問題なく、夫婦仲も悪くなかったと思うし、子供も可愛がっていた。そして遺書みたいなものも、まったく残されてなかった」と「僕」に述べています。

 紹介したように、サヨコの兄は、サヨコの自殺の話を伝えた後、「サヨコは君のことがいちばん好きやったんやと思う」と言っていますし、続いて「僕は何も言わなかった。僕のガールフレンドのお兄さんもそれ以上は何も言わなかった」とあるのですが、この物語を再読してみると、「僕」は「わたしって、すごく嫉妬深いの」というサヨコの言葉を聞いています。「僕」はそのサヨコの叫びのような言葉をどこかで思い出したはずです。

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 サヨコがなぜ自殺したのかという点に関する、私(小山)の考えは、そのような「嫉妬の感情」なのではないか…ということです。

 短編集『一人称単数』には「品川猿」の続編的な短編である「品川猿の告白」という作品も入っていますので、サヨコの自殺と「品川猿」の松中優子の自殺の関係を考えてみることに、根拠がないというわけでもないと思います。

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 「ウィズ・ザ・ビートルズWith the Beatles」はサヨコに会いに、彼女の家に「僕」が行くとサヨコが不在という話ですが、不在の理由に、謎が残されています。

 つまり、「僕」はその日の午前11時にサヨコを迎えに、彼女の家に行くことを約束していたのですが、その時にサヨコは家を留守にしているのです。

 「本当に今日の十一時に彼女をここに迎えに来る約束をしていたのかどうか、僕はもう一度記憶をさらってみた」と記された後、「しかしどれだけ考えても、約束の場所と日時に間違いはなかった。その前日の夜に僕らは電話で話をして、そのことを確認したばかりだ」とあるのです。

 そして、彼女の家から帰ってきた後、午後2時過ぎに、サヨコから電話がかかってきて「うちに迎えに来ると約束したのは、次の週の日曜日だったでしょう」と言うのです。「もうひとつ納得できなかったが、彼女がはっきりそう言うのならたぶんそうなのだろう。こちらがうっかり予定を間違えたのだろう。日にちを一週間間違えて、彼女のうちまで迎えに行ったことを、僕は率直にあやまった」とあります。

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 これは、やはりチグハグなやりとりですね。以前にも、この「村上春樹を読む」で記しましたが、仮に互いに「日にちを一週間間違えて」記憶していたとしたら、サヨコの方も「もしかしたら、自分が記憶違いだったかもしれない」ということを「僕」に伝えないといけないと思います。一方的な問題ではないからです。

 そして、このことが記されたあと、「僕」がサヨコの兄に芥川龍之介の『歯車』を朗読して聞かせたことや、サヨコの兄が「記憶をときどき喪失する疾患を抱えているという話」を「僕」に伝えたことに触れる文章が書かれています。

 もしかしたら……想像ですが、サヨコも「記憶をときどき喪失する疾患を抱えている」人なのかもしれないですね。それなら、日曜日の約束を1週間、間違っていることも理解できます。

 サヨコの兄は「僕」から芥川龍之介の『歯車』を朗読してもらった頃から、「記憶をときどき喪失する疾患」から快復したようですが、サヨコの方も「記憶をときどき喪失する疾患」を抱えていて、それから快復することもなく、32歳で亡くなるころには、その疾患への不安が深刻化していたということかもしれません。

 「医者からもらった睡眠薬を貯めておいて」、それをまとめてそっくり飲んで死んだということですが、サヨコが、何かの原因で、不眠で、医師から長く投薬を受けていたということは事実のようですから。自殺の原因に「すごく嫉妬深い」ことだけではなく「記憶をときどき喪失する疾患」が加わっていたのかもしれません。

 そして、「品川猿」の「みずき」も、ときどき自分の名前を忘れてしまう人間の物語です。短編集『一人称単数』に収められた「品川猿の告白」にも自分の名前を忘れてしまう女性が出てきます。そのような意味でも、「ウィズ・ザ・ビートルズWith the Beatles」は「品川猿」と響き合う作品なのではないかと思います。

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 「ウィズ・ザ・ビートルズWith the Beatles」の「僕」はサヨコの兄に芥川龍之介『歯車』の最後の第6章「飛行機」の部分を朗読しています。そして『歯車』について「その最後の一行は『誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?』だった。それを書き終えてから、芥川は自殺したのだ」とあります。

 その朗読の前、「僕」は「ずいぶん神経症的で、気が滅入るような話ですよ」とサヨコの兄に伝えますが、彼は「たまにはそういう話も聞いてみたい。毒をもって毒を制する、ということもあるやろう」と言っています。

 そして、その時、不在であるサヨコは「毒をもって毒を制する」話を聞いていないのです。「毒をもって毒を制する」部分を持たなかったことが、サヨコが、この世に留まることができず、自殺してしまったことに繋がっているかもしれません。

 そして、サヨコの死と「ウィズ・ザ・ビートルズ」のLPを抱えて「薄暗い高校の廊下」を歩いていた女の子との関係です。それはサヨコのようにイージーリスニング音楽ばかりではない音楽を聴きながら、暗い道を歩いてみることの大切さについて「ウィズ・ザ・ビートルズ」のLPを抱いた女の子は表しているのかもしれません。そんなことを考えてしまう物語です。

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 最後はちょっと、私(小山)に関する宣伝です。村上春樹の母校である早稲田大学が「早稲田新書」という新書シリーズを今年12月に創刊することになり、その創刊3冊の1冊として『村上春樹の動物誌』という本を書きました。

 村上春樹作品にはたくさんの動物が登場しますが、それらの動物は村上春樹作品の中で何を象徴しているのかということを考えてみた本です。今回の「村上春樹を読む」でも触れた「品川猿」「品川猿の告白」などについても書いていますので、興味のある方はぜひ読んでください。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

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「村上春樹を読む」が『村上春樹クロニクル』と名前を変えて、春陽堂書店から刊行されます。詳しくはこちらから↓

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