『向日葵を手折る』彩坂美月著 「寄り添う」を見つめ続ける物語

 人は、年齢に関わらず、止まってしまった時計のひとつやふたつ、持っているものだ。自ら止めたものもあれば、期せずして止まってしまったもの、あるいは、突然押し付けられるようにして握らされた時計もある。再び動かすことも、誰かに押し付けることも、打ち捨てることもできずに、ただ時計たちはこの手の中で、音もなく、じっとしたままだ。

 小学校6年生で父親を突然失い、母親の実家のある山形の山村に越してきた主人公の「みのり」。優しくいたわってくれる存在が急になくなって、彼女の「父への思い」という時計はすっかり止まってしまう。一方で、クセの強すぎる悪ガキ同級生「隼人」と、いつも優しさをたたえた少年「怜」との日々という、激動する時間を彼女は生きる。怒り、泣き、驚き、笑いながら、彼女は成長を重ねていく。

 本書は、そこから4年間の彼らの成長を描く。出版社による紹介文によると、この物語は「青春ミステリ」なのだそうだ。確かに、謎めいたことがいくつか起こる。そしてその謎たちはそれぞれのタイミングで、解かれたり、解かれなかったりする。

 大きく描かれるのは「向日葵男」の謎だ。村の行事である「向日葵流し」を控えて、植えられていた向日葵の花々が、切り落とされるという事件が起こる。皆、謎の「向日葵男」の仕業だと噂する。そしてその謎が解けるのは数年後、物語の終盤だ。しかし、この謎解きは決して、解けた瞬間の爽快さとか、責めるべき悪者が判明したことによるカタルシスとか、そういったたぐいのものではない。私たちは、それとはまったく別の味わいで、それらの謎解きを見守ることになる。

 寄り添う、という感慨である。

 私たちは、読むことで、彼ら彼女らの青春に寄り添う。怜や隼人も、それぞれの方法で、心の深いところに悲しみを抱いてしまったみのりに寄り添う。そしてみのりも、ある出来事を機に、身を焦がすかのごとく、怜に寄り添いたいともがく。そんなみのりに、隼人はまっすぐに寄り添う。

 謎解きの答えは、彼ら彼女らが誰かに「寄り添った」ことによる副産物。「寄り添う」ことなくしてはたどり着けなかった地平なのだ。

 「寄り添う」を見つめ続ける本書は、同時に「愛」というものの芽生えと本質を見つめ続ける物語でもある。愛とは、いつもそばにいることではない。別々の人生を生きる者どうしが、離れながらも寄り添おうとする姿が胸を打つ。その様が実に誠実で、読み終えた瞬間、「……おおーーーー」と、地鳴りのような声が漏れてしまったことを、ここに告白しておく。

(実業之日本社 1700円+税)=小川志津子

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