「サッカーコラム」五輪で輝きを放った東欧勢に足りなかったもの W杯では「自由な発想」に及ばず

W杯スイス大会の決勝を前にしたハンガリーのプスカシュ(右から2人目)と西ドイツのワルター(左から2人目)の両主将(AP=共同)

 規律の中で生きている人ほど、不確定要素に出くわした際に抱く不安は大きいのではないだろうか。

 本来なら、今年7月に東京で五輪が始まるはずだった。しかし、新型コロナウイルスという何ともやっかいな感染症が世界中で大流行したため、1年延期されることになった。

とはいえ、1年後も五輪が開催できるかについてははなはだ怪しくなってきた。感染症は日本国内だけで解決されるものではないからだ。世界規模での対処となると、ハードルは限りなく上がるだろう。そのような状況で五輪を目標にすえて研さんを積んできたアスリートたちは、不安な日々を過ごしているに違いない。

 今から約30年前、1989年11月9日に当時の西ドイツと東ドイツの間に築かれたベルリンの壁が崩壊した。それを皮切りに東欧諸国が次々と門戸を開放していった。その東欧の国々は五輪のサッカー競技では輝かしい成績を収めてきた。

 五輪での男子サッカーは08年ロンドン大会から採用された。当初はいわゆる「西側」の国が優勝していたが、次第に東欧勢が優勝を独占するようになった。52年のヘルシンキ大会で「マジック・マジャール(魔法のハンガリー人)」と呼ばれたハンガリーが優勝。プスカシュやコチシュなどの名手をそろえたこのチームは、50年から54年ワールドカップ(W杯)スイス大会準決勝までの4年間、無敗という圧倒的な強さを誇った。

さらに五輪での東欧勢の快進撃は続く。56年メルボルン大会から80年モスクワ大会まで7大会連続で金メダルを独占したのだ。優勝国を挙げる。56年は旧ソ連、60年ローマ大会では旧ユーゴスラビアがそれぞれ優勝。64年東京と68年メキシコはハンガリーが連覇した。

70年代以降も強さは変わらない。72年ミュンヘン大会はポーランドが、76年モントリオール大会では旧東ドイツが制覇。そして、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して西側諸国が大会参加をボイコットしたモスクワ大会は旧チェコスロバキアが金メダルに輝いた。

84年ロサンゼルス大会はモスクワ大会の報復として東欧諸国が参加しなかったためにフランスが優勝したが、88年ソウル大会では、再び旧ソ連がタイトルを東欧に持ち帰った。

 ところが、92年のバルセロナ大会を境に状況が一変した。「23歳以下」という条件付きではあるがプロ選手の参加が認められたのだ。ちなみに同大会で優勝したスペインには、スペイン代表としても活躍したグアルディオラやルイス・エンリケが名を連ねていた。補足すると、プロ選手自体の参加は84年ロサンゼルス大会から認められていたが、ここには「W杯予選に出場していない選手」との条件がついていた。実質のB代表だ。

 東欧諸国はなぜ、五輪のタイトルを独占できたのか? 背景にあったのは、当時の五輪に存在していた厳格なアマチュア規定だ。影響で、プロリーグのある国の優秀な選手には出場資格が与えられなかった。その間隙(かんげき)を突いたのが、五輪を「国威発揚の武器」として利用していた東欧諸国だった。

 当時、「ステート・アマ」と呼ばれた東欧諸国選手は実際のところプロと変わらない待遇を受けていた。しかし、プロチームに所属していないので「アマチュア」として五輪に出場できる。東欧諸国がその国のトップ選手を送り込んでくるのに対して、西側諸国はアマチュア選手でチームを編成してくる。勝敗は明らかだった。

 ハンガリーの他にも印象に残るチームは多い。「ウルチカ・パス(小路を通すパス)」の代名詞で知られるショートパスを多用した旧チェコスロバキア。さらに司令塔のディナに快速のラトー、ルバンスキーを擁しミュンヘン大会を制したポーランドなどはその代表格だ。

 W杯ではどうだったのだろう。54年スイス大会はハンガリー、62年チリ大会ではチェコスロバキアはそれぞれ準優勝している。74年西ドイツ大会でもポーランドがブラジルを破って3位に入っている。

確かに好成績を残してはいるが、優勝できていないのも事実だ。ここには大きな差がある。真のトップ選手が参加することから、W杯はギリギリの状態で競り合うことが多い。その時に、勝敗を分けるのは「自由な発想」なのではないか。

 最近、サッカーメディアを見ていると「再現性」とか「立ち位置」とかいう言葉をしばしば耳にするようになった。そういう言葉を使えば、解説が高尚に聞こえるのかもしれない。だが、数学のように方程式に当てはめれば「ゴールという答え」が導かれるように聞こえてならない。この考え方には同意しかねる。

 再現性の高いプレーとは何か。チームのシステムや戦術を理解した上で選手らが状況に応じて適切な選択をすることだと考える。それが必要なことは認める。

しかし、ここで問題となるのは誰が選択する権利を持っているかだ。実際、ほとんどの権利を持っているのは選手ではなく監督なのだ。

 かつての東欧のチームは、パターン化された再現性を武器としていた。それゆえ、W杯でも対応力が低いチームにはとことん強かった。82年スペイン大会ではハンガリーがエルサルバドルから1試合最多記録となる10ゴールを奪った86年メキシコ大会では旧ソ連がハンガリーのゴールに6点をたたき込んだ。

しかし、グループリーグでは「強いな」と思わせた東欧のチームも、プロ選手の自由な発想にはかなわなかった。

 プレスにはめることを原則に、再現性でいくら武装してもメッシやロナルドは止められない。かつてクライフやマラドーナを抑えられなかったと同じだ。結局は規則の中でだけサッカーをしてきた選手は、予想外の不確定要素を持つ選手に不安と恐れを抱いてしまうのだ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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