麥田俊一の偏愛的モード私観 第16話「バレンシアガ」

写真右は2019年春夏コレクション、左は2020-21年秋冬コレクション(PHOTO: Courtesy of BALENCIAGA)

 既に始まったパラダイムシフトを受け容れつつ、何が起きようが、我々は内なるイメージの世界を萎縮させるべきではない。よしんばファッションに於ける創造や創作が、これまでのような自前のオーラを持ち得なくなったとしても、また、仮想世界に陶酔することによってカタルシスを得る場面が潰え、これまでの夢幻の側面が空手形に堕そうとも、イメージの風景の中を逍遥する自由精神は、我々の内なる蒼白い琴線を、いつの日か、再び掻き鳴らしてくれる筈だ。一抹の焦燥にさえ駆られながら、思い出の走馬灯は限りもない勢いで回転するものの、嘆息しているばかりでは能がない。何を今更、唯々虚構と陶酔の島を遍歴しているに過ぎないではないかと云われればそれまでだ。しかし、パリと云う酒蔵一杯に溢れる醇々たる旨酒の靄は、受ければあわや潸々(さんさん)として滴らんばかりの味覚に満ち澱んでいたのだから、見す見すそれを御破算にする法はない。今年3月、パリにて発表された「バレンシアガ」のファッションショー(2020~21年秋冬)を思い返してみれば、会場演出を含め、それは偶然のようでもあり必然のようでもあるが、寧ろ、予兆的な出来事だったと、ハッと思い立ち書き始めている。

 少しく昔の話。ファッションショーの歴史の中でスペクタクル的な趣向が随分と流行ったことがある。舞台は1990年代の中頃のパリ。英国人デザイナーのジョン・ガリアーノ(現「メゾン マルジェラ」のクリエーティブ・ディレクター)が、ロンドンよりパリに再び発表の場を戻したことが発端。彼はその数シーズン後、「ジバンシィ」を経て「クリスチャン ディオール」の主任デザイナーに就任(1997年春夏オートクチュールにてデビュー)したのだが、その当時の「ガリアーノ」のショー(「ディオール」に比してもド派手だった)がスペクタクルの先駆けだった。舞台装置、演出を味方に付けた、まさに豪快かつ壮大。パリの見せ場と云うに相応しい桁違いな規模だった。服は勿論、空間演出のイメージは麻薬的、劇薬的と形容しても過言ではない程、そのイマジネーションは才気に満ちていた。巧拙の差こそあったが、パリではこうしたスペクタクルを我先にと競う傾向が続いた(すぐさまミラノにも伝播した)。とりわけ、故リー・アレキサンダー・マックイーン(ガリアーノの後任として1996年より2001年まで「ジバンシィ」を手掛けた)の自身のショーは、毎回用意する物語の筋と細部の描写の釣り合いがピタリと収まった出来栄えだった。その神秘的な美しさ(屡々それは暗黒世界の浪漫)と云ったらなかった。また、ときの山本耀司(「ヨウジヤマモト」)も、会場全体を陶然とさせたことが幾度もあった。そうこうするうちに、ヘルムート・ラング(「ヘルムート ラング」の創業デザイナー)や「コム デ ギャルソン」の川久保玲が反スペクタクルを掲げ、大興行よりビジネスの場を「お題目」に据え、敢えてショーの規模を極端に縮小して見せ始めた。時流に棹さすだけがファッションではない。当時の「コム デ ギャルソン」は、モデルに服を着せて歩かせはしたが、BGMを一切使わないストイックな新作発表を行ない、「これはショーではなく、あくまでもプレゼンテーション」と云う、自らの立ち位置に固執した。そうした掛け声も手伝ってスペクタクル規模のショーは漸次収束して行った。

 さて、話を「バレンシアガ」に戻そう。創業デザイナーのクリストバル・バレンシアガは、1917年、母国スペインのサン・セバスティアンに開店したオートクチュールメゾンを、1937年、念願叶ってパリのジョルジュ・サンク通りに移設。スペインの野性味とパリの洗練を併せ持ったメゾン固有の特質は、創始者の没後、幾人かの後継デザイナーによって継がれたが、その時々で浮沈を繰り返してきた。直近の例で云えば、創業者より導き出された野性性と洗練と云う二つの命題を、二律背反に陥ることなく、時代の半歩先を見据え、巧くバランスさせているのが、現在のアーティスティック・ディレクター、デムナ・ヴァザリアである(2016~17年秋冬メンズにてデビュー)。ジョージア(旧グルジア)生まれのヴァザリアは、自身のブランド「ヴェトモン」を2014年より開始し、瞬く間にカルト的な人気を得た。2019年9月、自ら立ち上げた「ヴェトモン」のデザイナーを退任し(デザインチームが彼の衣鉢を継いでいる)、現在は「バレンシアガ」に全力を注ぎ込んでいる。唯一無二なクチュールメゾンの革新を目指す本道を躊躇わずに歩き始めた彼は、安定した、何処かしら一腰も二腰も腰の入ったパフォーマンスを見せている。

 先刻、最も新しい「バレンシアガ」のショーを指して「予兆的」と記した。時節が時節なだけに、言葉を選ばねばとは思うが、あの時のセットの凄さを形容するには止むを得ないだろう。会場は、暗闇に呑み込まれた巨大な空間。階段状に設置された座席は、床まで迫る劇場式のそれだ。跳ね上げ式の座席の、最前列の背凭れは、半ばドス黒い重油に水没していて(実際は、床一面に黒い水が張られ、通常カメラマンたちが陣取るスペースまでも夥しい水が侵蝕していたから、一体彼等は何処にいたのだろうか)、この重油を模した不気味な液体が、恰も実際の客席の際まで押し寄せてくるかのようなセットである。切迫する環境問題への警鐘を仄めかしているのだろう。驚きは「地」だけではない。天井を覆い尽くしたLEDの映写幕が映し出すパノラマもたいそう幻想的である。例えば、風に押し流される暗雲、赤黒く焼け爛れた空、無人の浜辺の潮の満ち引きなどの映像は、まさに、創世神話、或いは、世界の終末を想起させかねない壮大なスケールだった。スペクタクルを以て迎える側と会場に招かれた側の、この相互間の諒解は電気みたく、それだけで熱っぽい稲妻を走らせ、作り手とそれを受け止める側との奇妙な共生を確かめ、両者の間で絡み合った不可思議な係わりを強めたのである。その空間には秘密の絆があった。恰もそれは、感情移入のような親和力だ。互いに余計なことは云わずに語り合えるような磁力だ。これこそ一種のカタルシスだと私は思う。

 そう云えば、2019年春夏のショーもLEDを駆使した陶酔の極致だった。新感覚な体験だった。会場は、LEDパネルで床から天井まで継ぎ目なく覆った、内壁が映像面で構成された円筒状の空間。ジョン・ラフマン(カナダ人のアーチストで映像作家)と協業したイマーシブなビデオインスタレーションが作り出す仮構のドリームスケープが、スクリーンパネルを貼り付けたトンネル内の空間(ショー会場)を覆い尽くす仕掛けだった。有無を云わせず招待客は、その場を支配するテクノフェチなバーチャルイメージが放つ強烈なバイオレンスを、視覚と聴覚で体感させられたのである。

 デムナ・ヴァザリアは一つの観念(創意)へ、史料(オートクチュールメゾンとしての伝統)と虚構を巧妙緻密に嵌め込むことで、虚と実とか、作られた服とその根底に横たわる世界観の間を縫って、ドリルの刃のように螺旋を描きながら、整然と様式化、視覚化された、現代の御伽草子のような幻妙で不可思議な小宇宙をそこに創出するのである。そして、その場に居合わせた我々は、恰も幻想博物館へ迷い込んだかのような錯覚を存分に享受することが可能な、そんな仕掛けをショー会場に用意する。そうした手法には、作り手が服作りを以て描出せんとする世界観を十全に補償する可能性が蔵されていることもまた確かである。ショーの演出にばかり紙数を費やすことは出来ないから、最後に最新コレクション(2020~21年秋冬)に言及しておく。全篇にデムナ・ヴァザリアのアクの強さが行き渡っている。緊張と弛緩、醜と美、動と静、禁欲と官能を大胆に対比させ、緩急を放胆に掛け合わせた形は、ネオゴシックと呼ぶに相応しい建築的な出来栄えである。特定のドレスコードの価値観を反転させ、本来備わっていた形式だけを取り出し、それを新たなコンテクストとして時代に叮嚀に位置付けている。例えば、祭服や法服の持つ厳格さは、カジュアルウエアへと再解釈され、クラシカルな伝統とハードコアの美やフェティッシュな味付けが混じり撹拌されて、現代のファッションオブジェクトが生まれる。彼の野性的な感覚は生得のものであるが、知的な操作によってそれを琢磨した。ぶっつけに投げ出された感覚もなければ、生地のままの素顔を見せることもない。必ずや理知のベールがそれを覆い、創作的技巧が、詩人的情緒と野性的感覚を制御しているように見える。この場合の理知のベールとは、他でもないオートクチュールメゾンとしての伝統的な作法であり、アトリエの匠を指す。そしてそこには、ブルータルな荒々しさがある。即ち、シェイプは慣習の厚い殻を粉々に砕き、シルエットはガーメントの技術的な構造、身体の形、或いはガーメントと身体との間の僅かな空間を支配するかの如し、である。(麥田俊一、ファッションジャーナリスト)

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