「サッカーコラム」天才を比較する意味とは 時代背景の違いに注意すべき

欧州チャンピオンズリーグ(CL)のドルトムント戦でゴールを挙げて喜ぶメッシ(左)とグリーズマン(中央)に駆け寄るスアレス=バルセロナ(AP=共同)

 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、自宅にいる時間が長くなった。一部のリーグは再開したもの、ほとんどの国でサッカーが行われなくなっている。そのせいだろう。古い映像を見直す機会が増えた。これまでは試合を録画したはいいが、それを見直すというのはなかなかなかった。学生時代の筆者は試験前に資料を集めただけで安心してしまい、資料を読み込むことはしなかった。もちろん、テストの結果は散々だった。サッカーでも同じで、録画すればそれで満足してしまうことがどうもあるようだ。

 しかし、今なら十分に時間がある。過去のワールドカップ(W杯)の記録映画のDVDなどを見るのも悪くはない。

 ディエゴ・マラドーナとリオネル・メッシ。説明するまでもない。アルゼンチンが生んだ2人の天才だ。彼らは常にこんな疑問がつきまとう。「どちらが素晴らしい選手か」である。ペレ(ブラジル)やヨハン・クライフ(オランダ)も含め、この2人はサッカー史上最高の選手であることは疑いようがない。とはいえ、実際に取材した経験がある筆者としえては比較できないし、比較してもいけないと考える。

 若い人は得点の多さから、メッシの方が優れていると主張するだろう。一方、オールドファンは周囲を使う能力も含め1人でゲームを決められる圧倒的な存在であるとしてマラドーナを推すのではないか。

 どちらも正しい。ただ、サッカーという競技が想像以上に変化していることを忘れてはならない。

 マラドーナが全盛を誇った1980年代から90年代。今と比べると、サッカーはかなり「野蛮」だった。相手の足やすねを意識的に標的にすることを意味する「削る」という言葉がサッカー界では普通に使われていた。そして、判定も“緩かった”。

 そのマラドーナがキャプテンとしてW杯優勝を飾った86年のメキシコ。この大会に出場したスペイン代表のCBアンドニ・ゴイコエチェアのキャッチフレーズは「足を折る男」だった。所属するアスレチック・ビルバオでは対戦チームのエースを徹底的に痛めつける。その犠牲になって骨折した選手のなかにはバルセロナ時代のマラドーナも含まれていた。

 試合を見直して衝撃を受けたのが、同大会のアルゼンチンの初戦となった韓国との試合だった。32年ぶり2度のW杯本大会出場を果たした韓国。しかし、マラドーナを「サッカーで止める」のは不可能だった。

 韓国が選んだ手段は、徹底したラフプレー。マラドーナのすねを削り、両手で引き倒した。挙句の果ては金属のスパイクが取り付けられたシューズの裏でマラドーナの腹部に蹴りを入れる。にもかかわらず、試合で韓国に出されたイエローカードは2枚だけ。今なら、韓国選手の半数が退場処分になるだろう。

 映像は残っているので、機会があったら見てほしい。そして想像してほしい。このラフプレーのなかで、メッシがいつもと同じプレーができるのか―ということを。

 もちろん、あれほどの才能ならば置かれた環境の中でラフプレーが当たり前のサッカーにも順応できるだろう。ただ、それはあくまで臆測。マラドーナの時代とメッシの時代のサッカーは全く異なるものなのだ。

 「マラドーナはファウルもさせてくれないんだ。簡単にすり抜けられた」

 そう話していたのは、日本代表としてマラドーナと対戦した都並敏史さんだ。イングランド戦でマラドーナが見せた「伝説の5人抜き」について解説しもらった風間八宏さんは、次のように話した。

 「イングランドの選手が、手を使うことも含めてファウルのできない間合いで逆を取っている」。

 最後は名GKピーター・シルトンまでも抜き去って決めたスーパーゴール。これは一般的には、激しくはあるが汚いファウルをしないイングランドの美徳があったからこそ生まれたゴールといわれている。しかし、ファウルをしなかったのか、できなかったのか。その真相はマラドーナにかわされたイングランドの選手しか分からない。

 美しくゴールが決まる瞬間を、故意のファウルで奪われることはない。その意味でサッカーはよりフェアなスポーツに進化したといえる。そして、悪質なファウルが少なくなればケガも減る。それが近年の選手生命の長さにつながっているのかもしれない。

 現在のファウルの基準に対する大幅な変更に影響を及ぼした人物として、マルコ・ファンバステンの名前を忘れることはできない。世界年鑑崔光選手に贈られるバロンドールを3度(88年、89年、92年)、FIFA最優秀選手を1度(92年)獲得したオランダのスーパーストライカーだ。

 ファンバステンは常に足首を狙われた。88年の欧州選手権で母国を初の欧州王者に導き、ACミランの黄金期を築いた。右足首の痛みは引かず最後の2シーズンを手術とリハビリに費やし、復帰することなくわずか30歳の若さで引退した。彼の足元を見ると、すね側に加えてアキレス腱(けん)にもガードのすね当てが入れられていた。それほどに足首を削られていたのだろう。

 ファンバステンを失って、サッカー界は存在の大きさに気づかされた。再び才能のある選手をケガが原因で若くして引退させてはいけないと、厳格なルールと判定が作られた。メッシやクリスチアーノ・ロナルドが活躍できる、現在の環境はその結果としてあるのだ。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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