100年前からこんにちは ラジオ誕生1世紀

わが家に残る1969年製のラジオ。電池でも鳴らすことができ、ポータブルラジオの走りと思われます。

 2020年は新型コロナウイルス感染症の話題一色となってしまったが、実は放送が始まって100年の節目の年だ。もちろん、普段目にするテレビではなく、当時はラジオ。それ以前にも愛好家同士の通信などは存在したが、幅広い人々に向けた民間による最初の放送は、米ピッツバーグのラジオ局KDKAが実施した、ハーディング大統領当選の速報だった。https://pittsburgh.cbslocal.com/wp-content/uploads/sites/15909642/2012/03/kdka-1st-broadcast.mp3日本では5年後に放送が始まり、あっという間にお茶の間の主役に躍り出ている。

 しかし、わずか20年ほどでトーキー映画が登場。さらに戦後、テレビやビニールレコード盤が爆発的に普及すると「ラジオは滅びるだろう」と言われた。ところがどっこい、今もラジオは現役のメディアだ。

 現代の日本で放送と言えばテレビを思い浮かべる人が多いだろうが、母国米国ではいまも週に1回でもラジオを聞くという人が9割を超えるという(2019年、ニールセン社)。現在はインターネットやSNSを通じて放送を楽しむ人も多い。彼らはラジオの方が「耳以外を別の作業に使える」や「選択肢が多い」「うその情報が少ない」などと評価する。制作費の肥大化が進むテレビはスポンサーの影響力などの“大人の事情”で忖度が働く恐れが高いのだという。うーむ、日本も同じかもしれない…。

 長年、ラジオへの協賛を続けるある大手飲料メーカーの偉い人に「なんでラジオCMを打ち続けるの?どんなメリットがあるの?」と質問してみた。広告単価の手軽さはもちろん、興味深かったのは「リスナーの多くが前向きな気持ちで聴いている」との答え。ネット上やテレビ番組では少しとんがった表現を選ぶとあっという間にバッシングの暴風が吹きすさび炎上を招くが、ラジオのリスナーはそれを面白がる人が多いらしく、トークやCMには批判精神を忍ばせたクスリと笑える楽しい作品が今でも多い。

 ラジオは耳で聴いた情報だけを元に、さまざまな状況を脳内で再生する必要がある。リスナーがそれぞれ自分の力で話の内容を再構築し、理解する。スポーツ実況などを想像してもらえると分かりやすいかも。わざわざラジオを聴くと言うことは、前向きに耳を傾けている人が多いわけだ。

 断片的な情報から想像力を刺激して楽しむ行為は、人間が本能的に好む活動らしい。技術の進歩で今や高精細な画像が再生できるテレビで、なぜか再現できない香りや味といった食べ物を紹介する番組が常に高い人気を集めることも、それを裏付けている。どれだけ技術が進歩しても、文字情報だけで楽しむ読書という行為がなくならないのも同じ理由だろう。

 わが家の1~10歳の子どもたちは、「知らない、かっこいい音楽が掛かる」「しゃべりがおもしろい」と、すっかりラジオ派だ。長い休校が続く現在は、音声アプリradiko(ラジコ)で各地のラジオに耳を傾け、踊れる音楽に合わせ家の中で飛んだり跳ねたりして(やめてほしい…)ストレスを解消している。ラジオも音楽イベント中止などの影響でCMが減るなど、影響は少なくないと推察される。しかしコロナ関連の番組や総集編、再放送であふれるテレビを横目に、比較的日常と変わらずユーモアを忘れずに放送されている。コロナ疲れが出てくる今日この頃、魔法の箱から流れる音楽やトークに、のんびり耳を傾けてみてはどうだろう。新しい友だちが増えたような気持ちで、少し前向きになれるかも!(共同通信記者・加藤朗)

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