麥田俊一の偏愛的モード私観 第14話「リトゥンアフターワーズ」

2019年11月、東京・上野恩賜公園 竹の台広場にて発表された「リトゥンアフターワーズ」のショー

 時節柄不謹慎だが、人は誰しも己の内に「毒虫」を飼っている。昔から、「毒にも薬にもならぬ」という云い方があるが、これを裏返せば、「薬は毒と紙一重」と云うことになる(私はこの稿を、新型コロナウイルスが世界各地で猛威を振るう3月の第1週、出張先のパリで書いている)。

 服を作る人の懐に土足で入り込むほどに図々しい取材活動を長らく続けていると、表現者としての作り手に恋い焦がれるあまり、浅薄な我が身を、勝手にその作り手の側に少しでも寄り添う形で、自らを表現者の端くれに置いてみたい、そんな大それた妄想に駆られてもくる。そもそもそんな勘違いが、常人からすると紛れもない毒、なのかも知れない。しかし、ファッションショーを取材したり、デザイナーの談話を文章にする折々に、冷静な報告記事(絵日記的なレポートは私の中ではあり得ない)とか、業界に少しでも貢献する分析(この服が売れる、売れないの判断は、自分の仕事の領域ではないと会社勤めを辞めた時から割り切っている)とかの、通り一遍の文章だけを書き続けて来たならば、間違いなく今の私はない。馬鹿は馬鹿なりに、そう信じてやまない。今の私があるのは、「毒」のお陰だ。酒精中毒者のように、わなわな震えている矜持。「毒」は屡々、不条理に投げつける礫(つぶて)のような「怒り」にもなる。此度は、表現者としての止むに止まれぬ強いエゴを内に抱え、その毒性の強さにうっかり自家中毒を起こしかけた一人のデザイナーの物語だ。

 話の切っ掛けは一冊の絵本。「ぼくは0てん」(朝日出版社刊)と云う題名の、至って簡素な体裁の絵本。昨年の師走に届いた。答案用紙の白と鉛筆の黒と採点用のペンの赤だけの配色で、それもヘタクソな線描だから、自ずと余白が気になってしょうがない。この白場を眺めているだけで、なぜだか少しくセンチになってしまう。いつまで経っても試験で0点をとり続ける主人公の「ぼく」は、落ちこぼれのままクラスメートと卒業を迎えることになり、あるかなしかの希望を、なんとか自分の未来に託してみたいと悲愴な決意を抱きながら、新たな人生に旅立つと云う切ない物語。そもそも点数にどんな意味があるのか。評価とは何が基準なのか。

 私は、物心ついた子供の頃より世間並のことがろくすっぽ出来ず、事ある度の父の小言も右から左式の、愚鈍を絵に描いたような幼少期の自分を、絵本の「ぼく」のダメぶりに重ねてしまい、しみじみと心に沁みてもくるのだが、ただそれだけで云うのではない。ある時期の私にとって、この物語は、まさに心の止血剤となったのだから。問題の絵本は、絵、文ともに山縣良和の作。どうやら、山縣も自分の形(なり)をその主人公に重ねている節がある。彼は「リトゥンアフターワーズ」のデザイナーであり、デザイナー養成のための私塾「ここのがっこう」を主宰している。

 私と「ぼく」との出会いは随分と前に遡る。絵本の筋書きは、「リトゥンアウターワーズ」の「卒業コレクション」(2009―10年秋冬。デビューして4回目のファッションショー)の原案として、山縣の手で書かれ、既に絵と文は今より十年以上も前に出来上がっていた。それを拝見したのが初見だった。山陰地方に帰郷する深夜バスに揺られながら作を練って完成させたと、後日、本人より聞き及んだのだが、忖度すれば、往時の山縣も退っ引きならぬ崖っ縁に追い詰められていたのだろう。一方の私はと云えば、時を同じくして、公私こもごも行き詰まり、会社勤めを辞めるか否かの瀬戸際。あの頃の私の生活は、大袈裟なようだが、耳掻きですくうほどの希望も感動もない、天道に背を向けたものだった。おまけに、その背中を悔恨と焦燥の火にチョロチョロと焼かれていた。そんな折、さして期待もせずに「僕は0点」のショー(上述の「卒業コレクション」)を取材したのだが、なんと、それが因で潮目は見事に変わった。まさにその時、何かそれまではまるで空っぽだった自身の内に一筋の曙光めいたものの灯った感覚が生じたのだった。

 それは服なのに、布や糸を一切使わず、紙屑と廃材、ガムテープだけで拵えた随分と横紙破りなものだった。一体誰が、服飾や美術系の学生たちの卒業制作の過程で棄てられる運命にあった廃材などを拾い集め、再利用して服を作るだろうか。私の眼前にデロリと投げ出された不気味なほどの図太さ、山縣のがむしゃらになる覚悟と、一種の捨て鉢な開き直りに、比うべきもない共鳴を覚え、私の全身は震えた。何か神経的な電流で帯電しているような感覚。この電流のようにピリピリした昂奮の気配がひしひしと感ぜられた。尋常ではない熱量の波動をもろに浴びせられ、私は酔い痴れた。心をギュッと鷲掴みにされた。そして救われた思いがした。私の中の毒虫の舌は、独りでに渇きを覚えていたのだ。紙であろうが服は服。紙の服のどこか悪い?と云う創作的エゴ剥き出しの開き直りともとれる山縣の壮絶さに打たれた。この際、服作りの巧拙は扨措くとして、思い込みの強さに縋ることが創作にとって何より代え難い動機になり得るとする彼の心組みは、今にして思えば確かに稚拙極まりないし、現にリハーサルでモデルが着用した折に服は幾度も壊れもしたから(実際、着るのを躊躇ったモデルもいたほどだった)、既にその時点でプロのデザイナーとしては失格の烙印が押されていた。或る年輩のジャーナリストなどは、わざわざこのような低級な見世物に付き合わせるために私を呼んだのかと、物凄い剣幕で山縣に突っ掛かり、それに同調する輩も数名いた。以前の山縣のショーにはありがちの挿話だが、その実、デビュー間もない頃、只管にファッションに於ける荒唐無稽な夢ばかりを追い続けていた彼には、ファッションのリアリティーに欠けると云う憾みが付いて回っていた。世間一般のお利口馬鹿であれば打ち棄てる筈の青臭い作家性にこだわり続けるあまり、いくら頑張っても到底世間並みの服には及ばなかった。彼には端よりその心算などないのだから仕方がない。結果、ファンタジーの結実が得られぬまま、彼は漸次焦燥に駆られて行く自らの姿を意識せずにはおれなかった。以降、暫しの雌伏の時を経ることになる。これでは「卒業」どころではない。私は私で、暫し「0点」のままの「ぼく」の世界に浸りながら、そこに自分自身の内なる声に耳を傾けていた。と同時に、ファッションは何を表現すべきかと云う命題が俄かに鎌首をもたげ、空っぽの私の頭の中をグルグルと駆け回っていた。

 世間で云う「点数」に、そもそもどのような価値があるのか。誰しも快適さを求めるのは、人の世の常。着られない服は服ではないと云う理屈も尤もだ。但し、正論だけをかざしていたら、眼に見えてファッションはぎすぎすと痩せ細って行くばかり。それではファッション本来の魅力が削がれてしまう。「卒業コレクション」のショーの会場に居ながら、私の耳には、慣習の厚い殻が粉々に砕け散る音が確かに聞こえてきた。その場に居合わせた幾人かが、よしんば慣習の擁護者であったとて、古臭い考え(自己愛のようなもの)にしがみつきながら、以前とは何かが変わったことにいつまでも眼をつむっているわけにはいかなくなったと渋々ながら悟った筈である。

 昨年11月、山縣は2年ぶりにショーを発表した。会場は、東京・上野恩賜公園 竹の台広場(噴水広場)。裏テーマの「ノマド」は、いかにも遠回しな表現で、報道用には、確かに聞こえはいいのだが、からきし私には腑に落ちない。実際は「路上生活者」や「社会的弱者」を題材の一つとしていたのだから(どこの報道でも、この手の表現は避けられていた。実際にこのショーを見た誰しもの脳裏を過ったこの言葉を、なぜその通りに書かない? だから日本のファッション報道は欧米に比してどこまでも面白みが薄いのだ)。東北の玄関口と云われていた昭和初期の上野駅、そこを行き交う季節労働者の群れとか、路上生活者や社会的弱者の姿を重ね易い上野公園は格好の舞台だった。「After All」と題したこのショー(2020年春夏)は、「魔女」(2019年春夏)より続く三部作の完結篇である。註釈を付けておくと、山縣の作品には、三部作と云う形式で編まれたものが夥しい。連作と云っても、そもそもこれまで発表してきた各シーズン総てに於いて、彼固有の一つの創作的視座が個々の作品に深く根を張っているのだから、彼はデビューより綿々と連作を続けてきたことになる。一貫した思想はシーズン毎に分載と云う形で練られてきたが、紙数に限りがあるので、ここで過去の作品を紐解き一々詳らかにすることは割愛する。作品群の底流にある「虐げられた者への視線」は、時に温かく、時に冷徹にもなることだけを記しておくにとどめる。

 どの場合にも、第一章の作品で主題は明らかに呈示されている。ではその掌篇だけで事足りるのかと云えば、そうはいかない。第二章は、第一章の残響に従って呼び起こされ、それが新しい物語となって再び、鬱蒼とした樹海の中に消えて行く。第一章と第二章と合わせて整った形に近づく。だが、そこに最終章(完結編)が来ると、更に一層整うが、決してそのために余剰が汲み尽くされたと云うことにはならない。否、寧ろ、些かのコペルニクス的転回が加わることで物語は恰幅を増し(「魔女」の主題が「浮遊する遊動民」に発展し「路上生活者」に変貌したように)、その物語は必ずしもまだ終わっていると云えないのかも知れない、と云う余韻を残して完全には閉じようとしない。

 ファッションは何を表現すべきか。その回答の一つが提示されたこのショーは、ともかくも極め付きだった。彼が編む物語には、時流とか時代と関わる心理と云ったものとかがポーンと抜けている、と云うか、恐ろしく無邪気で説話的な物語に見せておいて、実は社会的な視座にまで高めた提言を容赦なく見る者に投げつけて来るから、こちらも、アッと息を呑んで身体がすくむ。それも厳粛でラジカルなものだから、一瞬たじろがざるを得ない。「世界が統合に向けて躍起になる傍ら、難民問題や人種差別が再燃。分裂が露呈し始めた現代に於いて、代々住み続けた土地を追われた人たちがそもそも土地と土地、人と人を繋いでいる筈だった」とする考えが、そもそもの起点となった。一種のカオス的な見世物としての展開は、加害者と被害者、傍観者と当事者、差別される側と差別する側、西洋と東洋、光と影、美と醜、男と女、子供と老人、過去と未来、生と死、娑婆と霊界などの相反概念はいつでも反転し得ると云う視点(第二章にあたる「魔女狩り」に着想した2019-2020年秋冬)の巧妙なルフランとなっている。「魔女狩り」と称して焼かれた異端者を悪とするか、弾圧する教会乃至民衆の側を悪とするか。彼は敢えて回答を用意してはいない。

 ショーで展開される物語の舞台にある人物や風景は、総てが明るい照明のもとに照らし出されているわけではない。時にはドス黒い粘質性のものが、青魚の肝のように舌にしつこく残ってくる。描写は正確を期そうと努めているのだろうが、結果、雑然として稚拙な表現になったとて、描写の下手さなりに却ってそこに或る種の影が生じ、その影は影として見る側に任せてしまうところがある。また彼は、眼に見たものだけを描いていても、眼に見えないもの(或いは眼を背けたいもの)までをまなこで見るようにこちらに強制してくる。作品の底に漂うものは人間であることの業(ごう)より生まれる哀しみである。この蒼白い哀しみが作品の主題を不即不離に照応し合って、一種の象徴的な味わいを帯びることは、これは「語り」の巧い山縣の独壇場と云える。そしてこの「騙り」のようなものが、彼の内に巣食っている「毒」を自ら中和する捌け口なのかも知れない。(麥田俊一、ファッションジャーナリスト)

© 一般社団法人共同通信社