『なんで僕に聞くんだろう。』幡野広志著 俺様神様仏様

 10年くらいの間、糸井重里教の信者だった。信者の一日は平日11時、土日は9時に更新されるウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の閲覧から始まる。そこに掲載される神からのお告げをありがたく拝読し、なんならコピペして自分に宛てたお手紙よろしく送信ボタンをポチった上で、読み返しまくり世知辛い浮世を耐え忍んできた。約10年。

 信仰歴も長くなると、サイトとかTwitterとかで神が発信して知った人物っていうのも沢山いる。神がいいっつうんだからそりゃすんばらしい人に決まってるだろと、万全の受け入れ態勢、思考停止状態で興味の枝葉を広げていった。幡野広志もそうして知ったうちの一人だ。

 今年37歳で、写真家で、既婚者で、一児の父で、元猟師で、現ガン患者。残念ながら治る見込みのないその病気を、幡野は世間に公表した。すると来るわ来るわ、励ましや応援のメッセージ、そして宗教勧誘や怪しい民間療法のお誘い(ex.赤ちゃんプレイ療法。なにそれ)、さらには恋の相談まで。ん?恋?って何ぞや。

 ガンになった写真家の元には、なぜか人生相談がバンバン届いたという。本書はウェブサイト「cakes」に掲載された幡野による人生相談を一冊にまとめたものだ。

「家庭のある人の子どもを産みたい」「社会人サークルで三角関係」「ガンになった父になんて声をかけたらいいかわからない」「自殺したい」「子どもを虐待してしまう」「風俗嬢に恋をした」「売春がやめられない」「息子が勉強できない」「一人旅をしたいけど、親に反対されている女子高生」「幡野さんより先に逝く末期ガン患者です」「兄を殺した犯人を今でも許せない」……。相談内容は多岐にわたり、幡野は回答時に何度か、書名の通り「コレ、なんでぼくに聞いちゃうかね?」とこぼしている。それでも幡野は正直に、冷静に、時にユーモアも織り交ぜて向き合っていく。

 子育てがつらく、「ほぼ虐待」をしてしまっていると苦しむ女性には「あなたがいま苦しいのって、あなたがやりたくなかった『ほぼ虐待』をしちゃってるからですよ。(略)いまのあなたは本当の自分じゃないよ。」と返し、「娘が非行にはしって」いると嘆く母親には「あなたのことがね、嫌いなの。嫌いどころか、大嫌いなの。」と言い切る。そして最後は「娘さんに変わってほしければ、あなたが変わるしかありません。」と締める。波乱万丈な人生を歩みながら、それを人に話すと「もっと辛い状況の人はいる」と返されてしまうと悩む人には「愚痴だったり不幸な話だったり、波乱万丈な話は、なるべくおもしろく話せるようになったほうがいいよ」とアドバイス。

 相談者の一言一句や行間に込められた感情や意図、そして無意識を見逃さない鋭さ。それはウェブで読んでた時も感じていたのだけど、一冊の本になった幡野の言葉は、以前読んだ時よりも温かく感じる。紙だしアナログだし、一枚一枚捲るからかな。最初はそう思っていたのだけど、幡野は冒頭でこの連載についてこう語っていた。この連載への回答は「息子から聞かれたと想像して答えて」いると。「息子からの相談であれば、こちらも真剣に答えてあげなければと考えるようになるから」と。そうか、それを知った上で読んだから、冷たさも温かさも厳しさもユーモアも、エールとして受け止められるんだ。

 回答の中で、「アンパンマンのマーチ」を引用する箇所がある。「なにがきみのしあわせか、わからないまま終わる生きかたなんて、そんなの嫌でしょ?」。幡野は、あるのか知らない世間の目や、誰が決めたか知らない無意味な常識をものともしない。自分の人生のハンドルは、自分で握る。幸せになることを恐れない。彼が言いたかったことは、一貫してそれに尽きるように思う。

 糸井重里をキリスト、幡野広志をヨハネだと思ってた日々はなんだったんだろう。あれか、スマホもタブレットもPCも、光ってるからかな。ほら神様も仏様も登場シーンってなんか輝いてるからそれと勘違い……てことにしとこ。私の世界の主導権はいつだって私が握ってやる。俺様神様仏様。イトイもハタノも脇役中の脇役じゃーい!

(幻冬舎 1500円+税)=アリー・マントワネット

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