『私をくいとめて』綿矢りさ著 せめて今日から勇気を

 高校生の頃片想いしていたのは、隣のクラスの渋谷くん(仮名)。1年の時はこんなイケメンいるなんて知らなかった!って友達に話したら、去年まで肥満児だったらしい。アンディ・ウォーホルが好きとかいう、今思えばいけすかない奴だった。放課後に図書室で勉強してたとき、フラッとまるきゅう(渋谷くんの隠語)が入って来て、話しかけるか否かで、立ち上がりかけ、座り、また立ち上がりかけ、というヒップアップダウンをひたすら1時間繰り返した思い出。不審者。尚、その後進展なし。

 大学生の時の片想いは、隣の学科の通称ピーちゃん。名前の由来は親が元ヒッピーだから(友達と考えた)。永瀬正敏みたいな渋めの塩顔で(例えが20世紀)、でも身長は推定150cm台ってバランスが最高だった。一年中大体同じ服で、一年中大体風呂に入らないらしい。「でも、むしろいい匂い」は共通の友達、ヨシダ談。美容師の彼女と同棲してて、定期的に殴ってるともっぱらの噂だった。本当なら色々最低。風呂も入んないくせに。と、心の中では思うものの、カンバセーション皆無の現実。

……という、記憶の奥底に葬っていたはずの黒歴史が、蘇っちゃって蘇っちゃってわー!!ってなっております。なんでこんな枕に顔埋めて足バタバタ案件をことごとく思い出しているかっていうと、綿矢りさァァァ!あんたのせいだぁぁあ(注:お会いしたことはありません)。

「実写映画化決定!」と帯に華々しく書かれていたこと、解説が金原ひとみという人選、あと表紙がなけなしの女性ホルモンが疼きそうな可愛さだったので、フラッと本書を手に取った。

 主人公の黒田みつ子はもうすぐ33歳を迎える会社員。食品サンプルをはじめ食べ物の模造品が好きで、休日は合羽橋まで一人でエビの天ぷらを作りに行ったりもする。「おひとりさま」を存分に満喫する彼女は、ある時を境に自分の頭の中から、自分に話しかける声が聞こえるようになる。最初は精神疾患を疑った彼女だが、

 穏やかで冷静な声で「あなたは私です」と語る声に対し徐々に心を開いていく。ある時は愚痴を聞いてもらい、ある時は人間関係が円滑になるアドバイスをもらう。

 みつ子は彼をAと名付け、ことあるごとにAに話しかけるようになった。悩みはいつもAが解決してくれて、一人で生きることにはなんの抵抗もないみつ子。そのおだやかな日常は、Aの思いもよらない提案によって、少しずつ動き出して行くのだが……。

 ほんとーに「少しずつ」なんですよ。なぜならみつ子とAの会話、つまり自問自答、シンキングタイムが物語の大半を占めているから。そしてその、牛歩の如くの展開、身に覚えがありすぎて(冒頭参照)わーってなる。アラサーアラフォー、いや全世代の女性陣、概ねわーってなるんじゃないでしょうか。語彙のなさ。

 展開がのろいとか言うとめちゃくちゃ悪口言ってるみたいですが、それを感じさせないのが脇を固める人々のキャラの濃さ! 立ったまま缶入りの水羊羹をひと飲みで完食するポール・スミスバカの同僚・カーター(ナルシスト)。その水羊羹をカーターに献上したりカーターを盗撮したりするノゾミ先輩(明るい変態)。近所に住んでるからって月に一回とか二回、みつ子宅にご飯をご馳走になりに皿を持って現れる取引先の営業・多田(絶対部屋には上がらない)……。みんなどこかいびつで、それが愛らしく、実在しそうな立体感で登場するのだ。

 日々を暮らす中で、なかなか新たな挑戦をしない、しないためならいくらでも理由を挙げられる、頭でっかち女の恐ろしいほどの説得力。そして物語全体を包むホンワカとしたコミカルな雰囲気。その絶妙なバランスが明るい読後感をもたらしてくれる。そして、過去は変えられないんだから、せめて今日から、小さな勇気を絞り出したいと思わせてくれる一冊だ。

(朝日新聞出版 640円+税)=アリー・マントワネット

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