「村上春樹を読む」(101)『風の歌を聴け』を読み返す フィッツジェラルドのエッセイ

 この「村上春樹を読む」の連載も101回目となりました。100回を過ぎて、新しくスタートするような気持ちになり、できたら村上春樹の愛読者たちと村上春樹作品を読み返していきたいとも考えているのですが、その手始めに村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』(1979年)を再読しました。

 これまでも、繰り返し読んできた作品ですが、じっくりと、自分に最も適したテンポで読み、改めて、この『風の歌を聴け』という作品が、その後のいろいろな村上春樹作品の原点なのだと思いました。村上春樹は『風の歌を聴け』という作品に込められた世界を、拡げ、深めながら、ずっと書き続けてきたのだと思います。

 この『風の歌を聴け』は、群像新人文学賞の応募作品ですが、応募時のタイトルは『Happy Birthday and White Christmas』だったそうです。いまでも装丁の表紙の上のほうに『HAPPY BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMAS』と、そのなごりのように書かれています。

 でも『風の歌を聴け』と『Happy Birthday and White Christmas』とでは、タイトルの感じが随分、異なりますね。最初に、どうして『Happy Birthday and White Christmas』という題名にしたのか、また、造本にそれを含ませるほどの愛着はどのようなものなのか、いつも読み返すたびに疑問でした。

 その疑問が解けたわけではないのですが、作中のかすかな繋がりから、もしかしたら……という妄想が湧いてきました。妄想というものは、根拠が盤石なものではまったくありませんが、今回は、コラム第101回の再スタートとして、村上春樹のデビュー作の題名をめぐる、私の妄想を記してみたいと思います。

 まず、その前に「分身」についての話をしたいです。

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 「東京は楽しいかね」と「ジェイズ・バー」のバーテン「ジェイ」が、東京に帰る「僕」に話しかけます。物語の最終盤です。「どこだって同じさ」と「僕」は言います。

 「だろうね。あたしは東京オリンピックの年以来一度もこの街を出たことがないんだ」「この街は好き?」「あんたも言ったよ。どこでも同じってさ」「うん」。そのような「ジェイ」と「僕」とのやり取りがあります。

 今年はまた東京オリンピックがあるので、こんな言葉も新たに迫ってきます。このことも、後で少し考えたいです。

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 この作品には「僕」の何人かの分身的な人物が出てきます。

 1人はこの「ジェイ」です。東京オリンピックのことを「ジェイ」が述べる前に「あんたが居なくなると寂しいよ。猿のコンビも解消だね」と「ジェイ」が、バーのカウンターの上にかかった版画を指して言います。「鼠もきっと寂しがる」とも加えています。

 前回も紹介しましたが「ジェイズ・バー」のカウンターには一枚の版画がかかっていて、その図柄は「僕には向かいあって座った二匹の緑色の猿が空気の抜けかけた二つのテニス・ボールを投げあっているように見えた」とあります。その「左の猿があんたで、右のがあたしだね」と「ジェイ」が答えていますので、彼は「僕」の分身的な存在だと思います。

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 そして、最も分身的な存在と感じるのは「鼠もきっと寂しがる」と「ジェイ」が語る、「僕」の友人の「鼠」です。

 「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」。この作品の第3章は「鼠」がカウンターに両手をついたまま「僕」に向って憂鬱そうにどなった場面から始まっています。

 その「鼠」は金持ちの息子です。「鼠は3階建ての家に住んでおり、屋上には温室までついている。斜面をくりぬいた地下はガレージになっていて、父親のベンツと鼠のトライアンフTRIIIが仲良く並んでいる」と書かれています。

 「この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る」とありますので、1970年に、このような生活をしている人はかなりの金持ちでしょう。その「鼠」と「僕」は3年前の春、大学に入った年に出会っています。

 朝の4時過ぎに泥酔して、車で猿の檻のある公園に突っ込み、猿たちを眠りから叩き起こして、猿たちをひどく怒らせています。その時の「鼠」の車は「黒塗りのフィアット600」でした。ちなみに猿の檻のある公園は村上春樹が通った図書館(芦屋市立図書館打出分室)に隣接してあります。

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 その「鼠」は「小説を書こうと思う」と「僕」に話しています。「僕」も、その後「そんなわけで、僕は時の淀みの中ですぐに眠りこもうとする意識をビールと煙草で蹴とばしながらこの文章を書い続けて」います。この小説を書いているのです。

 『風の歌を聴け』は「僕」が21歳の時の物語ですが、それから8年後、20代最後の年を迎えて「今、僕は語ろうと思う」と第1章に記されていますし、最終盤の39章には「僕は29歳になり、鼠は30歳になった」とあります。

 このように、お互いに「小説」を書いている「僕」と「鼠」は、ペアなる存在、分身的存在としてあるのだと思います。

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 もう一人「僕」の分身的な存在だと思うのは、この物語に登場する「左手の指が4本しかない女の子」です。

 彼女と「僕」は8時に「ジェイズ・バー」で待ち合わせますが、「僕」は「用事があって少し遅れ」ます。「僕」の「親父は毎晩判で押したみたいに8時に家に帰ってくる」。「僕」の家では「子供はすべからく父親の靴を磨くべし」というのが家訓で「靴を磨いてたんだ」と言うのです。「僕は靴を磨いて、それからいつもビールを飲みに飛んで出るんだ」と話します。

 それに対して「左手の指が4本しかない女の子」が「良い習慣ね」「きっと立派なお家なのね」と応えます。

 「僕」は「ああ、立派な上に金がないとくれば、嬉しくて涙が出るよ」と言います。

 それに対して、彼女は「でも私の家の方がずっと貧乏だったわ」と言うのです。

 「何故わかる」と問うと、「匂いよ。金持ちが金持ちを嗅ぎわけられるように、貧乏な人間には貧乏な人間を嗅ぎわけることができるのよ」と「左手の指が4本しかない女の子」が応じています。

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 「鼠」は「金持ち」を、「左手の指が4本しかない女の子」は「貧乏」の一面を表していて、「僕」はフィアット600やトライアンフTRIIIではないにしても、中古車は持っていますから、まあまあの「中流階級」に属しているということかもしれません。

 この作品における「金持ち」「貧乏」「中流階級」の「鼠」「左手の指が4本しかない女の子」「僕」の3人の関係については、昨年、亡くなった加藤典洋さんが『村上春樹イエローページ』や『村上春樹は、むずかしい』の中で考えていましたので、興味のある方は、それを読まれたらと思います。

 ここでは、少し別な問題を、私は考えてみたいのです。

「僕」と「鼠」、「僕」と「左手の指が4本しかない女の子」、そして「僕」と「ジェイ」らが、分身関係にあるのではないかと考えるところから、述べてみたいことがあるのです。

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 物語の終盤、「僕」と「左手の指が4本しかない女の子」が港の近くにある小さなレストランに入る場面があります。そして店を出て歩いていると、彼女が「指が5本ついた方の手で僕の手を」握り、「いつ東京に帰るの?」と尋ねます。「ジェイ」と「僕」との会話に先立つ場面です。

 「来週だね。テストがあるんだ」と言いますが、彼女は黙ったままです。そして「あなたがいなくなると寂しくなりそうな気がするわ」と言っています。

 「冬にはまた帰ってくるさ。クリスマスのころまでにはね。12月24日が誕生日なんだ」と「僕」は言います。

 彼女は「山羊座ね?」と言い、「そう、君は?」と問うと「同じよ。1月10日」と答えています。

 「僕」は1948年(昭和23年)12月24日生まれと思われますが、村上春樹は1949年(昭和24年)1月12日生まれなので、やはり山羊座です。「左手が4本の指の女の子」が、1949年(昭和24年)1月10日生まれなのか、それは知りませんが、ここに「左手の指が4本しかない女の子」が「僕」や村上春樹と分身的な関係であることが記されていると思います。

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 『風の歌を聴け』の群像新人文学賞応募時のタイトルは、紹介したように「Happy Birthday and White Christmas」でした。

 この『風の歌を聴け』の最後、「これで僕の話は終わるのだが、もちろん後日談はある」と記されて、「鼠」がまだ小説を書き続けていることが記されています。

 「彼はその幾つかのコピーを毎年クリスマスに送ってくれる」とあります。「昨年は精神病院の食堂に勤めるコックの話で、一昨年のは『カラマーゾフの兄弟』を下敷きにしたコミック・バンドの話だった」そうです。

 その原稿用紙の一枚目にはいつも

 「ハッピー・バースデイ、

   そして

 ホワイト・クリスマス」

 と書かれています。

 「僕の誕生日が12月24日だからだ」とあって、1行空いて「左手の指が4本しかない女の子に、僕は二度と会えなかった」と続いています。ここにも「鼠」と「左手の指が4本しかない女の子」が「僕」の分身的存在として連続して記されています。

 さて、この主人公「僕」の誕生日が「12月24日」であることは作者が、そう設定したのだとすれば理解できるのですが、なぜ、そのことから「ハッピー・バースデイ、/そして/ホワイト・クリスマス」を応募の際の題名にしたのか、そのことをここで考えてみたいのです。

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 「左手の指が4本しかない女の子」が同じ山羊座であることを述べた後、「なんとなく損な星まわりらしいな。イエス・キリストと同じだ」と「僕」が話しています。それに対して「そうね」と彼女も同意しています。

 つまり、イエス・キリストと同じ星まわりであることと関係した「ホワイト・クリスマス」を<なぜ、応募する際にタイトルにしたのか>ということです。『Happy Birthday and White Christmas』と『風の歌を聴け』とで、どちらの題名がいいかは問いませんが、やはり、随分、異なるタイトルだと思います。

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 この作品で、キリストに関係していると思われる場面にこんなところがあります。1週間ばかり調子がひどく悪かった「鼠」と「僕」が会い、2人が話す、第31章です。

 「翌日、僕は鼠を誘って山の手にあるホテルのプールにでかけ」ました。紹介したように「鼠」は「小説を書こうと思うんだ。どう思う」と「僕」に話します。「もちろん書けばいいさ」と「僕」も同意しています。

 そして何年か前の夏に「鼠」は「女の子と二人で奈良に行った」ことがあるそうです。「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね」と語ります。

 その後、「鼠」は黙って空を眺めていますが、この「風のために何かが書けたら」は『風の歌を聴け』の題名に繋がるような言葉かと思います。

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 「それで、……何か書いてみたのかい?」と「僕」が問うと、「いや、一行も書いちゃいないよ。何も書けやしない」と答えます。「そう?」と、さらに「僕」が加えます。

 すると「鼠」が「汝らは地の塩なり」と言います。「?」と「僕」が思うと、「塩もし効力失わば、何をもてか之に塩すべき」と「鼠」は言うのです。

 これはマタイ伝5章13節にある言葉です。キリスト教に詳しくはありませんが、「地の塩」とは「広く社会の腐敗を防ぐのに役立つ者を塩にたとえていう語」と『広辞苑』にあります。『大辞林』には「塩が食物の腐るのを防ぐことから、少数派であっても批判的精神をもって生きる人をたとえていう語」とあります。

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 昨年6月『ある作家の夕刻――フィッツジェラルド後期作品集』が村上春樹編訳で刊行されました。その中に訳された「壊れる」というエッセイの末尾にフィッツジェラルドが引用しているのも、このマタイ伝5章13節の言葉でした。

 「あなたは地の塩である。しかしもし塩がその味を失ったなら、何をもって塩とすればよいのだろう?」と村上春樹は訳しています。

 各作品の前に、村上春樹による短い紹介が記されています。

 「エスクァイア」誌の1936年2月号に「壊れる」、同3月号に「貼り合わせる」、同4月号に「取り扱い注意」と、連続して掲載されたエッセイが訳されています。

 「この三篇のエッセイを引き受けて掲載しただけでも、『エスクァイア』の編集長アーノルド・ギングリッチの功績は賞賛されるべきだ。僕はこの三篇のエッセイが個人的にも大好きで、昔から何度も読み返してきた。自分でも訳したかったのだが、それはもっと年齢を重ねてからの方がいいだろうと思って、今まで手を出さず大事にとってきた。でもまあそろそろ良い頃合いではないかと思いなし、本書のために訳出した」

 そのように村上春樹は書いています。

 村上春樹は、長いエッセイを書くときは、いつもこの「壊れる三部作」と、やはりエッセイの「私の失われた都市」(「マイ・ロスト・シティー」を新しく訳し直した)を頭に浮かべることを記し、さらに「ヘミングウェイに『女々しい』と罵られたこのエッセイの美しさを、そしてそこに隠された芯の強さを、皆さんにも味わっていただければと思う」と加えています。アーノルド・ギングリッチが、フィッツジェラルドとヘミングウェイについて書いた文が村上春樹訳で『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』に収録されています。

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 フィッツジェラルド「壊れる」の最後に引かれる言葉が、「鼠」の話す、マタイ伝5章13節と重なっているからといって、それをフィッツジェラルドのエッセイと関係づけて記すのには無理がありますが、でも『風の歌を聴け』の中の「鼠」と「僕」の会話には、さらにこんな言葉も記されていました。

 「僕」が「ジェイズ・バー」に行くと「鼠」はカウンターに肘をつけて顔をしかめながら、電話帳ほどもあるヘンリー・ジェームズのおそろしく長い小説を読んでいました。

 「面白いかい?」と「僕」が尋ねると、「鼠」は「でもね、ずいぶん本を読んだよ。この間あんたと話してからさ」と言います。これは第5章の冒頭に「鼠はおそろしく本を読まない」とあることを受けた言葉です。

 そして読んだ本の言葉には「こんなのもあった。『優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる、そういったものである』」と「鼠」は言います。

 「僕」が「誰だい、それは?」と問うと、「忘れたね。本当だと思う?」と、逆に「僕」に問うています。

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 「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる」は、フィッツジェラルドの言葉です。それも「壊れる」の冒頭近くにある言葉で、村上春樹は「第一級の知性の資格は、二つの対立する観念を同時に抱きつつ、その機能を十全に果たしていけることにある」と訳しています。

 続く言葉は「たとえば人は、ものごとは絶望的だと知りつつも、希望を捨てず道を探らねばならない。その哲学は、成人してまだ間もない頃の私にぴったり即したものだった」とフィッツジェラルドは書いています。

 『風の歌を聴け』での「汝らは地の塩なり」「塩もし効力失わば、何をもてか之に塩すべき」がマタイ伝にあることは知っていました。「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる」が、フィッツジェラルドの言葉であることも、後に知りました。

 それらの関係を述べた本や研究、文章もあるかと思います。でも管見ゆえに、私(小山)は『ある作家の夕刻――フィッツジェラルド後期作品集』で「壊れる」を読み、今回、『風の歌を聴け』を読み返すまで、その二つを関係づけて考えたことがありませんでした。

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 そして、これらの言葉がフィッツジェラルドの作品からの言及や引用であっても、村上春樹が最も好きな作家なのですから、不思議でもないのですが、これが同じエッセイの冒頭近くと末尾にある言葉だとすると、この「二つ」の言葉がとても強く、深く結びついたものなのだろうという思いが自分の中に響いてきたのです。

 「今まで手を出さず大事にとってきた。でもまあそろそろ良い頃合いではないかと思いなし、本書のために訳出した」という村上春樹の言葉が、響いてきたのです。

 『風の歌を聴け』の群像新人文学賞応募時のタイトルが『Happy Birthday and White Christmas』であることと、「なんとなく損な星まわりらしいな。イエス・キリストと同じだ」と「僕」が「左手の指が4本しかない女の子」に話かける、キリストに関する言葉が、フィッツジェラルドの言葉を媒介して、結びついて感じられてきたのです。

 「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる」「汝らは地の塩なり」「塩もし効力失わば、何をもてか之に塩すべき」と小説を書くことについて話す「鼠」も「僕」の分身的存在です。

 「なんとなく損な星まわりらしいな。イエス・キリストと同じだ」と話す「僕」も「左手の指が4本しかない女の子」も「山羊座」で、分身的な関係です。

 その「鼠」と「左手の指が4本しかない女の子」が「僕」の思いを分身的に表し、深く結びついているのではないかと思うのです。

 イエス・キリストのように「なんとなく損な星まわりらしい」人間たち(「僕」と「左手の指が4本しかない女の子」)は、「汝らは地の塩なり」「塩もし効力失わば、何をもてか之に塩すべき」というキリスト教の言葉を記すフィッツジェラルドと、それをさらに引用する村上春樹と深く結び付いているのではないかという考えが自分の中に湧いてきたのです。

 つまり、そんなことから、最初のタイトルを『Happy Birthday and White Christmas』と、村上春樹が名づけたのか……という妄想が生まれてきたのです。

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 もう1つ例を挙げてみましょう。

 「こんなのもあった。『優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる、そういったものである』」と「鼠」が言い、「僕」は「誰だい、それは?」と問うと、「忘れたね。本当だと思う?」と「鼠」が言います。

 それに対して「僕」は「嘘だ」と答えます。「何故?」という「鼠」の問いに対して、「僕」はこう話しています。

 「夜中の3時に目が覚めて、腹ペコとだとする。冷蔵庫を開けても何も無い。どうすればいい?」という言うのです。

 「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる」という価値ある言葉が発せられると、そんなことを言っても「夜中の3時に目が覚めて、腹ペコとだとする。冷蔵庫を開けても何も無い」、こんな中で、いったいどうすれば、二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができるのか? そんなの「嘘」だと「僕」が言っているわけです。

 村上春樹独特の記述法ですね。価値ある言葉をその後で、すぐ消していくのです。

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 この「夜中の3時に目が覚めて、腹ペコとだとする。冷蔵庫を開けても何も無い」というのは『風の歌を聴け』の第1章の最後の次のような言葉の反映でしょう。

 「夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間には、それだけの文章しか書くことはできない。

 そして、それが僕だ」

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 さて『ある作家の夕刻――フィッツジェラルド後期作品集』で「エスクァイア」誌の1936年2月号に「壊れる」の次に、同誌3月号で訳されている「貼り合わせる」にはこんなことが記されています。

 フィッツジェラルドは、この「貼り合わせる」の冒頭を「前回掲載の記事で筆者は、いま自分の前にあるのが、自らの四十代のために注文しておいたものとはちがう皿であることに気がついた、と語った」と書き出しています。

 そして「ひびの入った皿も食器棚にとっておくと、ときどき何かの役に立つ」と記し、「それが客の前に出されることはないにせよ、夜遅くにクラッカーを盛られたり、食べ残しを冷蔵庫に入れるときに使われたりすることはあるだろう……」と書いています。

 さらに「しかし夜更けの三時には、一個の忘れられた小包が死の宣告に負けぬ悲劇的重みを持つ。そこでは治癒法などは無益だ。そして魂の漆黒の暗闇にあっては、来る日も来る日も時刻は常に午前三時なのだ」と書かれているのです。

 『風の歌を聴け』の「夜中の3時に目が覚めて、腹ペコとだとする。冷蔵庫を開けても何も無い」「夜中の3時に寝静まった台所の冷蔵庫を漁るような人間」の「冷蔵庫」と「夜中の3時」はフィッツジェラルドの「貼り合わせる」の「冷蔵庫」と「夜更けの三時」「午前三時」と関係して記されているのではないでしょうか。

 なにしろ、「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる」というフィッツジェラルドの「壊れる」の中の言葉をめぐる、「鼠」と「僕」の会話の続きなのですから。

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 「僕」の考えを聞いて「鼠はしばらく考えてから大声で笑った」とあります。その後、「僕はジェイを呼んでビールとフライド・ポテトを頼み、レコードの包みを取り出して鼠に渡した」と村上春樹は書いています。

 「なんだい、これは?」と「鼠」が言うと「誕生日のプレゼントさ」と「僕」は言います。「でも来月だぜ」という「鼠」に、「僕」は「来月にはもう居ないからね」と話します。

 「そうか、寂しいね、あんたが居なくなると」と言いながら、「鼠」は包みからレコードを取り出しています。

 分身的存在である「鼠」は「ジェイ」や「左手の指が4本しかない女の子」と同じように、「僕」が去ることを「寂しく」思っているのです。

 そして、このレコードは「左手の指が4本しかない女の子」が店員をしているレコード屋で買ったものです。「ハッピー・バースデイ」と「鼠」と「左手の指が4本しかない女の子」と「僕」とフィッツジェラルドが、わずか2ページの中に記されている『風の歌を聴け』の第16章なのです。

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 「『舵の曲ったボート』の歴史意識――村上春樹、小説家40年を貫くもの」(「文學界」2019年12月号)という文でも記しましたが、村上春樹の物語は、相手に問う問題を、同時に自分にも問うという形で進んでいきます。

 そんな認識を明確に持って出発した作家が村上春樹です。村上春樹は二つの話が並行して進んでいく物語が好きですが、これも相手を問い、同時に自らを問う、向こう側とこちら側の二つの両端を同時に叩く意識の反映だと、私は考えています。

 「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる」ということを村上春樹は抱き続けて書いてきたのでしょう。

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 そのことと、もう一つ初期作品から貫かれているのは、村上春樹の歴史意識です。

 詳しくは「『舵の曲ったボート』の歴史意識――村上春樹、小説家40年を貫くもの」を読んでいただけたらと思いますが、村上作品には、一貫して「8月15日」に対する強いこだわりがあります。

 この日本の敗戦から「一週間」を意識して書かれた作品が『風の歌を聴け』ではないかと、私は考えています。「僕」の分身である「鼠」は「8月15日」あたりから「一週間」調子が悪く「ジェイズ・バー」に来ていませんし、やはり分身である「左手の指が4本しかない女の子」も堕胎手術のため同じ時期に「一週間」ほど「僕」に会っていません。

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 「ジェイ」が「東京オリンピックの年以来一度もこの街を出たことがない」ことを話した後、「でも何年か経ったら一度中国に帰ってみたいね。一度も行ったことはないけれど」と「僕」に話しています。ここで「日本」と「中国」のことが話されています。

 この二つの「一度も」という「ジェイ」の言葉は関連呼応したものだと思いますが、これに対して「僕の叔父さんは中国で死んだんだ」と応えています。「そう……。いろんな人間が死んだものね。でもみんな兄弟さ」と「ジェイ」は話しています。

 この会話が「ジェイズ・バー」の版画の「僕には向かいあって座った二匹の緑色の猿が空気の抜けかけた二つのテニス・ボールを投げあっているように見えた」ということに対応しているのだと思います。「二匹の猿」の「左の猿があんたで、右のがあたしだね」という分身的言葉と結びついています。

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 『風の歌を聴け』の第1章には「僕には全部で三人の叔父がいたが、一人は上海の郊外で死んだ。終戦の二日後に自分の埋めた地雷を踏んだ。ただ一人生き残った三番目の叔父は手品師になって全国の温泉地を巡っている」ことが書かれています。

 そして、その直前には「僕」が文章についての多くを学んだという「デレク・ハートフィールド」の本を中学3年の時にくれた叔父が、その3年後に腸の癌で、苦しみ抜いて死んだことが書かれています。

 「最後に会った時、彼は狡猾な猿のようにひどく赤茶けて縮んでいた」と書かれています。この叔父の「猿」の姿が、「ジェイ」との「二匹の猿」の会話にも反映しているのでしょう。「鼠」と「僕」が車で突っ込んだ「猿」の檻のある公園の「猿」たちとも繋がっているのかもしれません。

 文章についての多くを学んだ作家を教えてくれた叔父がなぜ苦しみ抜いて、「狡猾な猿」のようになって死ぬのか……つかみ難いですね。確かに一つの価値観から捉えようとすると、とてもつかみ難いですが、でもそれは「二つの対立する概念を同時に抱きながら」書かれているのだと思うのです。

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 「鼠」と「僕」が、山の手にあるホテルのプールに行った時、「港に巡洋艦が入ると、街中MPと水兵だらけになってね」と、日本の敗戦後の風景のことを話しています。

 米軍の飛行機の話から「セイバーは本当に素敵な飛行機だったよ。ナパームさえ落とさなきゃね」と「鼠」が話しています。セイバーは戦後の米軍のジェット戦闘機です。「あと10年もたてばナパームでさえ懐かしくなるかもしれない」と加えていますので、これはベトナム戦争のことでしょう。

 「飛行機は好きなのかい?」と問う「僕」に「操縦士になりたいと思ったよ」「空が好きなんだ」と「鼠」は語っています。

 「鼠」は戦後の風景を懐かしんでいるのか、あるいはひどく嫌っているのか……。ここも「二つの対立する概念を同時に抱きながら」書かれている部分だと思います。

 村上春樹作品では、一見、反対の価値観が、同時に記されているため、意味がつかみ難い部分がありますが、それは「優れた知性とは二つの対立する概念を同時に抱きながら、その機能を充分に発揮していくことができる」という考えの反映なのでしょう。

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 紹介した、飛行機と戦争の話の後、「鼠」が「女の子と二人で奈良に行った」ことを話すのですが、その女の子と夏草の生え揃った斜面に腰を下ろして「気持ちの良い風に吹かれて」いると、向こう側に見える木の繁った小高い島のような古墳が見えます。昔の天皇の墓でした。

 この話を「僕」にする時、「鼠」は「裸の胸に吊したケネディー・コインのペンダント」をいじくったりしています。

 その後に「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ」と言っています。そして「汝らは地の塩なり」「塩もし効力失わば、何をもてか之に塩すべき」とマタイ伝5章13節にある言葉を「鼠」は語るのです。

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 『ある作家の夕刻――フィッツジェラルド後期作品集』の「訳者あとがき」にも、エッセイ「壊れる」の三部作のことが触れられています。「全体のトーンは暗くはあるものの、独特の美しさをたたえたエッセイだ。衰えを感じさせない瑞々しい文章の力――彼は最後の最後までその優れた文章力を保持した――が、彼の心の奥底を精密に、ある種の矜恃(きょうじ)をもって照らし出す」と記されています。

 そして、フィッツジェラルドは長編『ラスト・タイクーン』を書いている途中、1940年12月21日に44歳で急死するのですが、村上春樹は自分が44歳の時、フィッツジェラルドの母校・米国のプリンストン大学に在籍していて、『ねじまき鳥クロニクル』(1994年―1995年)を執筆中でした。

 「この作品を書き終えられず死んでしまったら、きっとやりきないだろうな」と、痛感したそうです。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

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