「サッカーコラム」「プレー」するとは「遊ぶ」こと ルヴァン杯でJ1川崎に感じた可能性

川崎―清水 前半、オーバーヘッドシュートを放つ川崎・レアンドロダミアン=等々力

 Jリーグが開幕したころ、草サッカーを通じて日系アルゼンチン人の男性と知り合った。日本語が堪能だった彼と話すのは楽しいだけでなくとても勉強になった。スペイン語圏出身の選手が話したことを「直訳」してくれたからだ。

 彼が訳した内容は、チーム通訳のそれとはまるで違った。それもそのはず、通訳はいわゆる放送禁止に近い言葉などは訳していないのだから。アルゼンチンを代表するストライカーでJリーグ初代得点王に輝いたラモン・ディアスなどが当時のJリーグにはいたが、友人の訳を通じて選手達の素顔がより理解できた。

 残念なことに、彼とはいつしか疎遠になってしまった。しかし、あるときに道でばったり会うことができた。四半世紀前と変わらぬ笑顔を浮かべながら、彼はこう尋ねてきた。

 「元気? まだ遊んでる?」

 質実剛健な日本男児を自負している筆者としては「遊んでなんかない。真面目に生きている」と反論したいところだ。しかし、これは大きな勘違い。すぐに彼の真意に気づいた。彼の「遊んでいる」は英語の「PLAY」を直訳したもの。つまり、サッカーをプレーしているか?という意味だった。

 サッカーに限らず、スポーツはある程度の遊びがないとつまらない。観客がうなるのは、自分の予想から外れたプレーを選手が披露したとき。教科書に載っている画一的なプレーでは、大きな喜びは得られないのだ。

 2月16日に行われたJリーグ・YBCルヴァン・カップのJ1川崎対J1清水は、遊び心を感じる試合だった。

 両チームにとって、今季の公式戦初戦。加えて、ともに昨シーズンとは違うフォーメーションを採用している。どんな戦いをするのかや完成度はどれくらいなのかに注目が集まる一戦となった。

 川崎は4―2―3―1から田中碧をアンカーに据えた4―3―3に変更。一方、清水はリーグ王者・横浜Mと同様に両ウイングが高い位置で張るシステムだ。昨季まで横浜Mでヘッドコーチを務めたピーター・クラモフスキーを監督に迎えたのだから、当然か。

 最初のゴールは、トリッキーな形から生まれた。前半10分に、左サイドを深くドリブルで切れ込んだ川崎の左サイドバック(SB)登里享平が出したグラウンダーのクロスに対し、ゴール前のFWレアンドロダミアンがアイデアを見せた。パスの軌道に合わせ相手ゴールに背中向けた状態から軽やかに反転。左足のヒールで軽やかにゴールに送り込んだ。本人は「(前所属でブラジルの)フラメンゴ時代も同じような形でゴールを挙げている」という得意な形。それをちゅうちょなく出せるのは、体が自然に反応するからだ。

 ゴール前でのヒールキックによるシュート。「部活動」でこんなプレーをして、失敗したら指導者にこっぴどく叱られるに違いない。日本の「プレー」に遊びの要素は含まれず、基本に忠実であることを強いられる。結果、日本人選手はどんな場合でも教科書通りのシュートを狙う。外しても、ヒールで失敗するよりは怒られ方が軽くて済むからだ。となると、シュートの「引き出し」は少なくなる。遊びを通じて身に付けているブラジル人とは確実にアイデアの幅が変わってくる。

 レアンドロダミアンは、先制点の後もアイデアを見せた。前半14分、スローインを受けると背中にDFが張り付いているにもかかわらず、オーバーヘッドシュート。ボールは清水GKネト・ボルピに弾き出されたが、相手の予測を覆すタイミングでシュートを打てるのは、点取り屋ならではだろう。

 終わってみれば5―1の快勝。川崎は期待の新戦力である旗手怜央と三笘薫が途中出場して、それぞれ1アシストを決めるなど、昨季は欠けていた攻撃の破壊力が戻ってきた感じだ。鬼木達監督も満足したのだろう。試合後に「ゴール前に多くの人がいた、昨季とは違うかなと思っています」と力強く語った。脇坂泰斗のクロスを大島僚太がヒールで流し長谷川竜也が決めた前半23分の2点目でも分かるように、遊びが許容される幅が他のチームよりかなり広い。

 思わぬ大差で敗れた清水だが、圧倒的に押し込まれたとは感じなかった。クラモフスキー監督も「試合をコントロールし、自分たちがボールを持つ時間もあった」と手応えを口にしたように、攻撃的サッカーの兆しは見えた。確かに横浜Mのような完成度はない。それでも、ボールを支配して攻撃を仕掛けようという姿勢は十分に感じられた。後半22分に、それが結実した。中村慶太の浮き球のパスを、ヘディングで決めたのは右SBの石毛秀樹だ。ディフェンダーが流れの中から決めたことでも、全員攻撃のコンセプトは伝わってきた。

 清水のサッカーが理想に近づくには、時間が必要だろう。昨シーズンに比べれば、遊ぼうとしているのは分かる。それでも、サッカーを十分に遊び切れていない。

 真面目ならば、それで良いとは限らない。人生だけでなく、サッカーにも遊びは必要だ。そういえば、自分の周りを見ても、堅物よりは適当に遊んでいる人間の方が世の中をうまく渡っている気がする。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はブラジル大会で7大会目。

© 一般社団法人共同通信社