『遠の眠りの』谷崎由依著 女という難民たちの苦難

 女はずっと難民だったのだと、この小説を読んで気づいた。ひとりの人間としてまともに扱われず、歴史の中に埋もれていった女たちの嘆き、憤り、諦め。その重みを背負い、引き受けて、この小説は在る。女たちの悲しみの布を織り継ぐように。女という難民が乗る小舟を漕ぐように。

 医学部入試における女性差別問題や、性暴力加害者への相次ぐ無罪判決、就活女子学生に対するセクシュアルハラスメント…。現代日本で起きているこうした出来事に接するたび、女の苦難は連綿と続いているのだと思い知る。本書は「いま」につながっているのだ。

 谷崎由依の小説『遠の眠りの』の舞台は、大正期から昭和20年にかけての福井。冒頭、主人公の絵子が、幼い妹を負ぶって狐川の水辺に立つ。絵子は対岸へ行くため、おばちゃんが漕ぐ渡し舟に乗る。

 対岸の家に住むのは、友人のまい子だ。2人が会う部屋には古い手織機がある。まい子の家は旅籠屋だが、まい子自身は手機(てばた)の織り子になりたいと思っている。

 川と舟と織物。この小説の重要なモチーフが、最初のシーンに盛り込まれている。そして、なぜだかとても、懐かしい場面でもある。

 絵子は貧しい農家の生まれだが、本を読むのが大好きな少女である。しかし家には本がないし、貸本屋から借りるお金もない。それで絵子は、小学校で同じ組だったまい子に本を借りるようになった。

 だが繁忙期の農家の娘には、本を読む時間はない。なぜ弟ばかりが魚が与えられ、勉強させてもらえるのか。どうして女は好きな本を自由に読むことさえ許されないのか。「女は、男の子を産んで育てて、その子の将来に託すようにしか夢を描くことを許されない。そのようにしてしか生きることができない」。そう気づいた絵子は両親に逆らう。

 父親に殴られ、家を追い出される絵子。謝って許しを請えば戻れたかもしれない。だが絵子はそうしなかった。絵子のはるかなる“旅”がスタートする。

 まい子の家に転がり込んだ後、人絹工場の寮に住み、「女工」として働き始める。賃金を得るようになった絵子は本を買う。イプセン、トルストイ、ゾラ…。さらに同じ女工の朝子から雑誌を手渡される。『青鞜』という名のそれは既に廃刊していたが、絵子には十分、新鮮だった。絵子はイプセンに、平塚らいてうや与謝野晶子に、そして何より、朝子に感化されてゆく。

 やがて、街で開業した百貨店「えびす屋」(「だるま屋」がモデルだろう)に雇われ、えびす屋専属の少女歌劇団の「お話係」となる。歌劇団では舞台に立つのは少女ばかりだが、その中でひときわ輝き、美声を誇るキヨは、実は少年だった。絵子はキヨに強く惹かれるようになってゆく。

 『遠の眠りの』とは、絵子が少女歌劇団のために書き下ろした演劇のタイトルでもある。それは女たちの物語だ。人として扱われず、影となって働いてきた女。夫の暴力を受けてきた女。子を産めなかった女。女工だった女。そんな女たちが小舟に乗り、逃げようとしている。「難民船に、それはそっくりだった。女という難民たちだった」

 絵子も、まい子も、朝子も、みな難民だった。それぞれ闘い、ぼろぼろになっていた。

 終盤、朝子が絵子に「生き延びましょう」と言う。「生き延びて、逃げ切りましょう。―わたしたちが、わたしたちのようでいられる世のなかが訪れるまで」

 いま、そうした世の中になっているだろうか。おそらく、まだだ。だから谷崎は読者に呼びかける。「生き延びましょう」と。

(集英社 1800円+税)=田村文

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