「村上春樹を読む」(96)「寛容性」と「所産」 「至るところにある妄想 バイロイト曰記」

「文藝春秋」2019年10月号に掲載された「至るところにある妄想 バイロイト日記」

 「この夏、ドイツでワーグナーと向き合って考えたこと」という言葉が添えられた、村上春樹「至るところにある妄想 バイロイト日記」が、「文藝春秋」2019年10月号に掲載されています。

 ドイツの新聞社「ディー・ツァイト(Die Zeit)」から「今年の夏にバイロイトに来てワーグナーのオペラをいくつか観劇して、それについて原稿を書いてくれないか」という依頼が来たのだそうです。

 夏の予定は既に入ってしまっていたので一度は「残念ながら、スケジュール的にみて今年はむずかしい」と断りましたが、折り返し「でも、今年はクリスチャン・ティーレマンが『ローエングリン』を振るんですよ」というメールが、ドイツから送られてきて、「そうか、ティーレマンの『ローエングリン』かあ……」と考えているうちに、バイロイトに行きたくなって、結局夏の予定を組み直し、「いい機会だ、この際バイロイトまで行って、ワーグナーをたっぷり聴いてやろうじゃないか」となったそうです。

 村上春樹はドイツの作曲家、リヒャルト・ワーグナーのことを直接詳しく書いたことはあまりないですが、村上春樹が好きで大切にしている音楽家の中にワーグナーがいるのではないかということを何回か、いや繰り返し、この「村上春樹を読む」で書いてきました。

 私は、残念ながらクラシック音楽に詳しい人間ではなく、ワーグナーの音楽について、語る資格はないのですが、そのように感じて、この「村上春樹を読む」の読者に紹介してきたのです。

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 「最初にお断りしておきたいのだが、僕はとくに熱烈なワーグナー愛好者というわけではない。世の中にはディープなワーグネリアン(ワーグナー信者)が少なからずおられるようだが、そういう類いのファンではない」。「至るところにある妄想 バイロイト日記」は、そのように書き出されています。

 さらに続けて「クラシック音楽は昔からわりに熱心に聴いてはいるけれど、僕がふだん愛好するのは室内楽か器楽曲か、あるいはバロック音楽が中心で、大がかりな音楽はそれほど頻繁には聴かない。小説家になって、仕事をしながら静かに音楽を聴くことが多くなり、そういう傾向はいっそう強くなったかもしれない」と記しているのですが、でもさらに、次のようにも記しています。

 「それでももちろん一人の音楽愛好者として、ワーグナーの音楽は折に触れて楽しんできた。日本に住んでいると、ワーグナーのオペラや楽劇をナマで聴きに行く機会はあまりないが、数多く出ているDVDやビデオで、一通りそれらのステージを目にしてきたし、レコードやCDを通してその音楽に耳を傾けてきた」と。

 村上春樹自身がそのように記しているのですから、どれだけ好きか……などということを考えることには意味がありません。

 ですから、村上春樹作品の中に現れるワーグナーについて、ざっと、おさらいの意味で紹介してみたいと思います。

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 村上春樹作品とワーグナーの関係で一番わかりやすい例は、短編「パン屋襲撃」です。これは「早稲田文学」1981年10月号に発表された作品です。

 「僕」が相棒の「彼」と包丁を持って、商店街にあるパン屋を襲う話で、包丁は体のうしろに隠したままにして、パン屋の主人に「とても腹が減っているんです」「おまけに一文なしなんです」と迫ると大のワーグナー好きの店主が、「僕」と「相棒」に対して、ワーグナーの音楽を聴いてくれたら、パンを好きなだけ食べさせてあげようという奇妙な提案をします。こういう奇妙、意外で、興味深い展開は村上春樹作品の独擅場ですね。

 そして、その店主の提案に「僕」と「相棒」が応じて、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を聴きながら、腹いっぱいパンを食べるという話です。

 この作品の後日談として、対になる「パン屋再襲撃」が女性誌の「マリ・クレール」の1985年8月号に掲載されました。

 この作品では、その後、結婚した「僕」が妻に、かつてパン屋を襲撃し、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』を聴きながら、腹いっぱいパンを食べた話をします。この話を聞いた妻が「ワーグナーを聴くことは労働ではない」と言うのです。

 パン屋を襲い、働きもせずにパンを得たことからの呪いが、結婚したばかりの妻にも伝わっていると話すのです。その若い夫婦は、ひどい空腹感、飢餓感に襲われていて、妻が「もう一度パン屋を襲うのよ。それも今すぐにね」と言います。

 今度は「僕」と妻の2人で、レミントンの散弾銃と黒いスキー・マスクを持って、マクドナルドのハンバーガーショップを襲撃するという話です。

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 2013年は、ワーグナーの生誕200年ですが(ワーグナーは1813年5月22日生まれ)、この2013年の2月には「パン屋襲撃」「パン屋再襲撃」に少し手を加えて、ドイツ人の女性イラストレーター、カット・メンシックさんによるイラストを交えて、『パン屋を襲う』という1冊本を村上春樹は出しています。

 この年の4月に、長編『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が刊行されて、大きな話題となったので、『パン屋を襲う』がワーグナーとの関係であまり大きな話題となりませんでしたが、でも『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』はリストのピアノ独奏曲集「巡礼の年」が重要な役割を果たす作品ですし、リストとワーグナーは友人で、ワーグナーの妻となったコージマは、リストの娘です。

 『パン屋を襲う』と『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の刊行には、どこか関係があるのかもしれないと、私は考えています。

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 村上春樹は、第3作の『羊をめぐる冒険』(1982年)について、「この作品が小説家としての実質的な出発点だったと僕自身は考えている」と『走ることについて語るときに僕の語ること』(2007年)の中で記しています。

 その『羊をめぐる冒険』の中にもワーグナーが出てきます。

 『羊をめぐる冒険』は、主人公の「僕」が、黒いスーツを着た、右翼の大物の秘書の男に頼まれて、背中に星の印を持つ栗色の羊を探して北海道まで行く話です。さらに友人の鼠のことも「僕」は探しています。でも両方ともなかなか見つかりません。

 「鼠も羊もみつからぬうちに期限の一カ月は過ぎ去ることになるし、そうなればあの黒服の男は僕を彼の『神々の黄昏』の中に確実にひきずりこんでいくだろう」とあります。

 『神々の黄昏』には「ゲッテルデメルング」とルビが振ってありますが、その『神々の黄昏』はワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』の中のオペラです。

 『ニーベルングの指環』は『ラインの黄金』『ワルキューレ』『ジークフリート』『神々の黄昏』の4つをつなぎ合わせた神話的な大オペラですが、『神々の黄昏』は世界の終焉を描くオペラです。

 その『神々の黄昏』のことが『羊をめぐる冒険』に出てくるのです。

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 紹介したように『羊をめぐる冒険』は1982年の刊行ですし、短編「パン屋襲撃」の発表は「早稲田文学」1981年10月号ですので、「パン屋襲撃」のほうが、ワーグナーとの関係では、少し早いですね。

 また『羊をめぐる冒険』は、村上春樹が大好きな映画、フランシス・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(日本公開は1980年)との関係もよく議論される小説です。

 『地獄の黙示録』の原作はイギリスの作家ジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』ですが、アフリカ・コンゴ川を舞台にした、その小説をベトナム戦争に移して、映画化したものです。そして『羊をめぐる冒険』には、コンラッドのことも記されています。

 その『地獄の黙示録』では『ニーベルングの指環』の『ワルキューレ』の中の音楽「ワルキューレの騎行」が使われていました。ですから『神々の黄昏』が『羊をめぐる冒険』の中に登場することと、関係があるのかもしれませんね。

 ただ、村上春樹とワーグナーの関係は、それだけでもないのではないかと、私は思っています。でもそれは英国の詩人、T・S・エリオットと村上春樹作品の関係を論じた回に詳しく書きましたので、ここで紹介すると、長くなりそうですので、よかったら「村上春樹を読む」の、その回を探して読んでください。

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 そしてワーグナーとの関係で最も見逃せないのが、『1Q84』(2009年―2010年)だと思います。

 同作の女主人公で殺し屋である青豆が「恋人もつくらないで、ずっと処女のままでいるつもり?」と親友の環(たまき)に言われる場面があります。その「環は大学一年生の秋に処女を失った」そうです。その環の処女喪失はテニス同好会の一年上の先輩による暴力的なもので、その身勝手な行為に環はショックを受けてしまいます。その環の受けた傷の深さについて「それは処女性の喪失とか、そういう表面的な問題ではない。人の魂の神聖さの問題なのだ」と村上春樹は書いています。さらに「青豆は二十五歳になっていたが、まだ処女のままだった」という言葉も記されています。このように、「処女」という言葉が繰り返し出てくるのです。6ページに4回も。

 これは『ニーベルングの指環』の中の『ワルキューレ』について述べているのではないかと、私は考えています。

 「ワルキューレ」とは、戦死した勇者たちの魂を、神々の長であるヴォータンの城、ヴァルハラ宮殿に運ぶ「処女戦士」のことです。「二十五歳になっていたが、まだ処女のままだった」女殺し屋・青豆は、ワルキューレ(処女戦士)の1人ということではないかと思うのです。

 ちなみに『羊をめぐる冒険』にも、前に紹介した黒いスーツを着た秘書の男が、自分たちの組織について、右翼の大物の「先生が死ねば、全ては終る」と言い、「先生の死によって組織は遅かれ早かれ分裂し、火に包まれたヴァルハラ宮殿のように凡庸の海の中に没し去っていくだろう」と述べる場面があります。

 この右翼の大物「先生」の黒服の秘書はワーグナーに詳しい人物。あるいは北欧神話、ゲルマン神話に詳しい人なのだと思います。

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 環は24歳の時に2歳上の男と結婚しますが、彼女は26歳の誕生日を3日後に控えた晩秋の日に、自宅で首を吊って死んでしまいます。環は夫の絶え間ないサディスティックな暴力によって、身体的にも精神的にも傷だらけになっていました。

 青豆は鋭い針で瞬間的に相手を死に至らしめる力を身につけて、環の夫を殺害するのですが、それが青豆が殺し屋になるきっかけでした。

 その青豆の親友の名前が「環」です。これは『ニーベルングの指環』の「指環」の「環」と重なる名づけですね。

 ですから、青豆=ワルキューレ(処女戦士)、環=『ニーベルングの指環』かもしれないと私は思うのですが、でも“それは妄想が過ぎる”という人がいるかもしれません。

 でも、こんなことも『1Q84』にはあるのです。

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 『1Q84』の冒頭は高速道路を走るタクシーの中で、青豆がヤナーチェック『シンフォニエッタ』を聴く場面から物語が始まっています。この影響で、ヤナーチェック『シンフォニエッタ』のCDがたくさん売れたという話もありました。

 では、同作の最後に出てくる音楽名は何かを考えながら読んでいくと、これが『神々の黄昏』なのです。

 それは天吾の父親が亡くなる時のことです。「NHKの集金人」だった天吾の父親はNHKの集金人の制服を身にまとって、その質素な棺の中に横たわっています。

 「彼が最後に身につける衣服として、それ以外のものは天吾にも思いつけなかった。ヴァーグナーの楽劇に出てくる戦士たちが鎧に包まれたまま火葬に付されるのと同じことだ」と書かれています。

 そして、天吾の父親の遺体はいちばん安あがりな霊柩車にのせられて運ばれていきます。「そこにはおごそかな要素はまったくなかった。『神々の黄昏』の音楽も聞こえてこなかった」と記されています。

 これは「『神々の黄昏』の音楽も聞こえてこなかった」という、否定形の表現ですが、これが、大長編『1Q84』で、最後に記される音楽名なのです。

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 さらに、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の中には、主人公・多崎つくるが、東京の大学に進学して知り合った灰田という学生が出てきます。

 灰田は自分の父親が若い時に放浪生活をしていた時代があったことを話します。灰田の父親が大分県山中の小さな温泉で下働きをしていた時に、緑川というジャズ・ピアニストと出会います。灰田は、自分の父親が、その緑川と死のトークンについて話したことを、多崎つくるに語るのです。

 その死のトークンについて「さあな。そいつは俺にもわからん。はて、どうなるんだろう? 俺と一緒にあっさり消滅してしまうのかもしれない。あるいは何かのかたちであとに残るのかもしれない。そして人から人へとまた引き渡されていくのかもしれない。ワーグナーの指環みたいにな」と緑川が語っています。

 作中、かなり難しい会話の部分なのですが、そこにワーグナーの『指環』のことが出てくるのです。

 やはり、ワーグナーは村上春樹作品にとって、重要な音楽家だと思うのです。

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 村上春樹は「至るところにある妄想 バイロイト日記」の中で、独自にミュンヘンの中央駅から列車で、バイロイトまで向かいます。その行程のことも詳しく書かれています。ミュンヘンからニュールンベルクまでは、おおむね広々とした畑の風景ですが、「ニュールンベルク発バイロイト行きの列車から見える風景は、畑よりは森の方がずっと多くなる。そこを縫うように、あちこちに涼しげな小川もさらさらと流れている。平地から山あいへと入ってきたのだ」と書かれています。このように「森」の世界に入っていく文章は、村上春樹作品の世界に入っていく感じです。

 そして、バイロイトに到着して、ホテルに落ち着いた後、ワーグナーの「終の棲家」となった「ヴァーンフリート荘」まで、歩いていったようです。その家は、ワーグナーが1874年から亡くなる1883年まで、奥さんのコージマや、子供たちや愛犬と共に生活を送った家です。ここに住みながら「祝祭劇場」の建設を見守り、バイロイト音楽祭を指導し、また最後のオペラ『パルジファル』を作曲した家です。ワーグナーはここを「終の棲家」と決め、庭には夫婦のための墓所まで用意しました。

 歩いて、25分、異様に暑い気候のようで、ショートパンツにスニーカー、帽子(ボストン・レッドソックスのキャップ)とサングラスという格好で行ったようです。

 「ヴァーンフリート荘」の建物の入り口には「我が妄想(Wahn)が平和を見いだすところ」という言葉が掲げてあるそうです。「Wahnは辞書的には『妄想』だが、僕の感覚としては――あるいは好みとしては――仏教用語『煩悩』の方が近いような気もする」と村上春樹が書いていることが印象的です。「至るところにある妄想 バイロイト日記」のタイトルと繋がる言葉です。

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 かなり長いバイロイト日記ですし、このように紹介していくと、あまりに長い「村上春樹を読む」となってしまいますので(ここまででも、十分長いですね)、私の心に響いたきたところを紹介したいと思いました。

 村上春樹は『ローエングリン』と『ニュールンベルクのマイスタージンガー』の2公演を鑑賞しています。

 『ローエングリン』に対して「このドラマのテーマのひとつに宗教的対立がある。キリスト以前の異教の神と、それに対する『聖杯の力』とのへゲモニー争い」ということを村上春樹は指摘しています。

 ローエングリンは聖杯の騎士ですし、ローエングリンの受けた「神意」と、異教の女・オルトルートが身につけている魔力との熾烈な戦いが、このドラマの推進力だと述べています。この二人だけが「超越的な力」を有しており、2人の揺らぎなき意志に従ってドラマは推し進められていくのです。

 それ以外の登場人物はその筋書きに心ならずも巻き込まれたり、ただ為す術もなく見守ったりしているだけに過ぎないとも村上春樹は書いています。

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 ここからの展開が、実に村上春樹らしいと思います。

 「純粋な悪と、純粋な善との戦い。最終的に悪は打ち破られるが、それによって善が輝かしい勝利を収めたというわけでもない。ほとんど誰も幸福にはなれないまま、物語は結末を迎えることになる」「そういう意味では、かなり不思議な成り立ちのドラマだ。善と悪が躊躇なくきっぱり峻別されているにもかかわらず、カタルシスというものが訪れない。神もなぜかじっと口を閉ざしている」

 そう村上春樹が記しています。確かに、神の裁判・神判によって潔白が証明されたエルザ姫と騎士(ローエングリン)は結婚することになりますが、愛するゆえに、禁じられた騎士の名を問うことによって、ローエングリンは去っていかなくてはなりませんし、そのためにエルザ姫は死んでしまいます。誰が勝者なのか、勝者が得たものは何なのか……そんな結末の物語です。

 「かつての聴衆は、そのほとんど全員が、おそらく善のサイドを応援しながら『ローエングリン』を観劇していたことだろう。しかし現代の観客の少なからぬ部分は、悪女オルトルートの怒りや絶望の方にむしろシンパシーを抱き、そこから物語のパワーを感じ取るのではないだろうか」と書いています。

 「善」と「悪」の問題を考えぬく村上春樹がここにいると思いました。現代は「善」と「悪」の問題がすぐ入れ替わってしまう時代ですが、その中で「善」と「悪」はどのようにあるのだろうか。さらに言えば、それを含めて「善」はどのような形であるべきかという問題です。

 「考えてみればオルトルートだって、自らの神に忠実であろうと全力を尽くしているだけなのだ。そのためには彼女は手段を選ばない。何が善で、何が悪か、それはそう簡単には決められないことだ。『ふん、神様の力だって、結局は魔法じゃないか』と言い切るオルトルートに『それはそうだよな』と同意せざるを得ない部分はある。オルトルートはなかなか魅力的なキャラクターだ。そう、正義は基本的に一本調子で退屈であり、悪は愉しくヴァラエティーに富んでいるのだ」

 と村上春樹は書いています。

 「オルトルートだって、自らの神に忠実であろうと全力を尽くしているだけなのだ」とありますが、オルトルートの神は北欧神話のオーディンに相当するゲルマン神話の主神・ヴォーダン(『ニーベルングの指環』ではヴォータン)のことです。オルトルートが「力強い神、ヴォーダンよ、あなたを呼びます」という場面があります。

 周囲がキリスト教化されていく中で、キリスト教以前の信仰を守っているオルトルートの一族が迫害されていたのです。

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 その点に関して、村上春樹は、新旧の宗教の対立の例として、日本人が旧来の土着信仰である神道=多神教と、あとになって輸入された仏教(仏を崇める一神教)を「並行して採用してきた」ことを挙げて、論じています。

 日本人は「ある場合には神道を採用し、ある場合には仏教を採用する。その二つの宗教が深刻に対立したり、暴力的に争ったりという例は、仏教渡来の少し後(7世紀頃)と明治維新(19世紀後半)に起こったいくつかの局地的トラブルを別にすれば、ほとんど見当たらない。そしてその二種の宗教の並行採用システムは、現代でもなお平和裏に――おおむね無意識のうちに――継続している」ことを述べています。

 「そのような観点から見ると、ローエングリンとオルトルートの闘争は、僕ら日本人の目にはかなり非寛容なもの、必要以上に暴力的なものとして映ることになる。それは『ローエングリン』というオペラを最初に見たときから、(日本人である)僕の心にいくぶんひっかかり続けてきたことだった」と加えています。

 さらに「そのような非寛容性を緩和し、中和することに、この演出(2018年プレミアとのこと)は何らかの寄与をおこなっているだろうか?」と記しています。

 ここで、村上春樹は「非寛容」な世界の在り方を、緩和していくこと、中和していくことが重要であることを指摘しているように、受け取りました。

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 既に、たいへん長い文章になっているので、『ニュールンベルクのマイスタージンガー』についての村上春樹の言葉を詳しく紹介できませんが、市の書記の仕事をしているベックメッサー(ワーグナーから見て、ユダヤ人の典型的なあり方の人物)が殴られる「ベックメッサー乱打事件」を一種のポグロム(ユダヤ人に対する集団的迫害)を強調する、強烈な演出だったようです。村上春樹は「ワーグナーの反ユダヤ的言辞は広く知られているところであり、究極の反ユダヤ主義者ヒトラーとバイロイトの親密な結びつきもまた有名だ」と記している。

 それに対して、村上春樹が「所産」という言葉を記しながら、評していることが、たいへん印象的です。

 自分は日本人であり、アンチ・セミティズム(反ユダヤ主義)の潮流についてそれほど詳しいわけではないことをことわった上で、次のように書いています。

 長いですが、ユダヤ人、反ユダヤ主義、ワーグナーの残したものと、ナチズムに関係した言葉ですので、そのまま紹介したいと思います。

 「ワーグナーの『反ユダヤ的言説』は何かの起因になるものというよりは、ひとつの所産に過ぎないのではないかと、基本的に考えている。もちろんその『所産』が、後年ナチスに都合良く利用されたというのは事実であり、そういう意味において、それがひとつの起因となっているのは間違いないところだ。しかし『マイスタージンガー』という基本的にはハッピーで肯定的なオペラの中で、そのようなメッセージをかくも具体的な、そしてショッキングな形で聴衆に突きつけるというのは、いささかやり過ぎではあるまいか? それはもう少し暗示的なものであってもよかったのではないか? 率直に言って、そういう個人的な意見を持たざるを得なかった」

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 「寛容」さの必要。そして「所産」と考える村上春樹の冷静さが、よく伝わってくる「至るところにある妄想 バイロイト日記」です。

 そこには、さまざまに対立する現在の世界の混乱に対する村上春樹という作家の考えがよく表れていると思います。

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 ここまで記してきて、ふと思い出したことがありました。それは「パン屋襲撃」のワーグナー好きのパン屋の店主が、50歳すぎの共産党員で、日本共産党のポスターが何枚も店内に貼ってあることでした。

 『パン屋を襲う』から引用しますと、パン屋の主人はラジオ・カセットから流れるワーグナーにうっとり耳を澄ませています。「共産党員がワグナーを聴くことがはたして正しい行為であるのかどうか、僕にはわからない。それは僕の判断が及ばない領域にあるものごとだ」とあります。

 ワーグナーというと、反ユダヤから、ナチスドイツ、ヒットラーと結び着けてしまうわけですが、このワーグナー好きの共産党員のパン屋の主人の姿に、ユーモアを感じながら読んだ記憶があります。そのことを思い出したのです。

 ユーモアは寛容さに繋がる感覚です。

 ワーグナー好きの共産党員がいていいわけですし、ユダヤ人の中にもワーグナー好きの人もいるはずだと思います。芸術を好み、愛するということは、そういうことだと思います。それは「僕の判断が及ばない領域にあるもの」なのですから。

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 「至るところにある妄想 バイロイト日記」の最初のページには、タキシードにブラックタイ姿でピアノの上に立っている村上春樹の写真が掲載されています。なぜ、そんな写真が載っているのかなどもわかりますので、ぜひ「至るところにある妄想 バイロイト日記」をお読みください。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

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