『「国語」から旅立って』温 又柔著 知りたいってドキドキ

 朝起きてご飯食べて仕事行って帰宅して、ご飯食べてだらだらして風呂入って布団入る。それを繰り返してると一年とかほんとにあっという間で、ルーティン以外のことはあんまり考えなくても生きていけたりする。

 その習慣の中に月二、三ペースで組み込まれている、大きな書店をうろうろしていたときのこと。普段は通らない児童文学コーナー近くで本書を見つけた。あっ「よりみちパン!セ」。昔このシリーズ好きだったなあ、今はもう理論社からじゃないんだよね。とか考えながら手に取り眺めていると、書名の不思議な違和感とアジカンのゴッチ(※注 バンドマンであり眼鏡)が帯に寄せてるコメント、それらが妙に気になり、そのままレジに向かった。

 小説家の温 又柔による自伝的エッセーである本書。台北生まれ、3歳の時に父の仕事の関係で日本へやってきた彼女は、温 又柔と書いておんゆうじゅう、またはウェンヨウロウと読む。この「または」というのは、日本での読み方と母国でのそれとの違いなのだが、本書は幼少期から芽生え、そして歳を重ねるにつれ徐々に大きく膨らんでいった、自身のアイデンティティの模索が、言語という軸で描かれている。

 中国語と台湾語と日本語が飛び交う家、まだ日本語のおぼつかない両親が幼稚園を「ガッコウ」と呼んでいたこと、小学校でひらがなを習い知った、言葉を紙の上に射止める喜び、小学校に北京からの訪問団が来たこと、その中の先生が、自分が台湾人であると知ると「同胞」と呼び握手を求めてきたこと。しかし北京の子供たちと給食を共にしたとき、「ハオツーマ?(おいしい?)」と聞いたが伝わらなかったこと……。

 幼少期の些細な出来事から、自分は周りの子たちとは違うと認識していた又柔は、中学生になり、次第に自分にとっての「国語」とは何か考えるようになる。故郷に帰っても言葉がわからないことの悔しさ、中国語への興味。その一方で「ふつう」の名前……めぐみ、りえ、えみ、ともこ、そして「ゆう」……にも憧れがあり、彼女たちを主人公に物語を書くこともあったという。

 そんな葛藤を抱えながらも、彼女は「自分の母国語を取り戻す」ため、大学で中国語を学び、上海への留学も経験する。そこでは中国と台湾の政治的な関係に触れたり、なかなか抜けない南方訛りなど、いくつかの苦い思いも経験することになる。

 台湾のボキャブラリーを口にすれば大学の先生に「あなたの中国語は正しくない」と言われ、台湾の、つまり中華民国のパスポートを取り出すと、中国人に日本語で「こんな国、ないよ!」と吐き捨てられ、飲み屋で隣のテーブルに座った男に台湾人であることを伝えると「大丈夫だよ!名前さえ言わなければ、あなた日本人にしか見えない」と言われ、生まれ故郷である台湾への留学を目指し「派遣留学制度」を受けるも「志願者たちの中で、最も語学力が不足してい」ることが原因で、その座は日本人の大学生に譲ることとなる。「日本語、おじょうずですね!」と言われ、「中国人にしてはきみの中国語は下手だなあ!」と言われる……。

 自分は自分でしかないはずなのに、見る人によって自分の形が変わっていくようなモヤモヤを抱えた頃、又柔はある教授と出会う。教授は、彼女と同じように少年時代に親の仕事で異国の地、台湾で暮らし、周囲の大人たちが交わす中国語を耳で覚えたという。彼のゼミで又柔は、多和田葉子や李良枝、そしてゼミの担当教授であるリービ英雄らの本に触れるようになる。母国語と母語といった言語を軸に、自分の居場所を探す物語の数々。それらとの出会いを通して、又柔は徐々に自身の現在地点に向き合うようになっていった。

 「国語」という言葉に立ち止まる人がいることなんて、一切想像できなかった。そしてご近所の国と国の、一筋縄ではいかない関係性も。

 自分の無知さに呆れるが(どれくらい無知かというと、蒋介石って聞いたらつい「なんかおいしそうでも高そう」って思ってしまうくらい)、温又柔の文章は、瑞々しくて愛らしく、等身大の女の子の悩みとして、まっすぐに伝わってくる。そして、ひとつひとつのエピソードと、それによって変化する自身の感情や思考が、とても緻密に描かれているのも印象的だった。日記を書いていたからか、いや、ひらがなを覚える前のエピソードまで、そのひとつひとつが立体的に読み手に伝わってくる。

 台湾のことも、母国について悩んでいる人がいることも、知らないことは恥ずかしい。でも知ろうとしないことはもっと恥ずかしい。毎日をルーティンだけで終わらせて、自ら視野を狭めちゃうのはつまんないな。「台湾行きたいよね、小籠包食べて買い物しよ」って年に3回は友達と話してるわけだから、国のこともそこで暮らす人のこともここで暮らす人のことも、もっと知りたい、そして「知りたい」って、なんだかドキドキする。そんなことを思わせてくれる一冊だった。

(新曜社 1300円+税)=アリー・マントワネット

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