『夏物語』川上未映子著 女は痛みでつながっている

 10代のころ、第2次性徴と呼ばれるすべてのことに嫌悪感があった。なぜだろう。生むことができる体を得たことが嫌だったのか。

 30代から40代にかけての一時期は、母になるべきか否かという問題を常に頭の片隅で考えていた。世間からのプレッシャーも感じていた。吹っ切れた理由は何だったか。

 そんなあれこれを思い出したのは、川上未映子の小説『夏物語』を読んだせいだろう。生理、豊胸手術、人工授精、生むか生まないか…。女の体に関わる根源的で切実な悩みが次々に現れる。それらは命につながる問いだから、哲学的な思索にもなってゆく。

 『夏物語』の第1部は、2008年に芥川賞を受けた『乳と卵』を加筆、再構成している。創作し直したといってもいいかもしれない。

 語り手の夏子は30歳、東京でアルバイトをしながら小説を書いている。2008年夏、シングルマザーの姉・巻子とその娘、11歳の緑子が大阪から上京してくる。巻子の豊胸手術のためだ。

 姪の緑子は思春期の苦しみのただなかにある。母親の巻子と口をきかない。夏子の部屋に着いてからも筆談だ。緑子が自分の気持ちをひそかに記しているノートには、こんな記述がある。「妊娠というのは、こんなふうに、食べたり考えたりする人間がふえるということ。そのことを思うと、絶望的な、大げさな気分になってしまう」

 緑子は生理が始まることも、胸が膨らむことも歓迎していない。将来の妊娠も願い下げだ。母の巻子を煩わしく思いつつ、心配もしている。なにより、豊胸手術なんてやめてほしいと思っている。そんな母と娘のやや面倒くさい関係を、夏子が見つめている。

 巻子が豊胸手術のカウンセリングを受けに行っている間、夏子と緑子は遊園地に行き、最後に観覧車に乗る。そのシーンが秀逸だ。夏子が緑子に話して聞かせる葡萄狩りのエピソードの切なさ。夕空の描写のはかない美しさ。しゃべらない緑子の優しい気持ちもくっきりと伝わってくる。

 第2部は8年後の16年夏から始まる。作家としてデビューした夏子にはパートナーはいないが、それでも自分の子どもに「会いたい」という願いを持つようになった。その思いが募り、精子バンクの利用を検討し始める。

 だが、非配偶者間人工授精(AID)で生まれたことにより父親が誰だかわからず苦しむ男性や、性的虐待に苦しんだ結果、子どもは生むべきではないと思っている女性に出会い、夏子の心は大きく揺れる。逆にAIDの選択を応援してくれる友人もいる。夏子はどんな道を選ぶのか―。

 登場人物の一人の女性が力説する。「女にとって大事なことを、男とわかりあうことはぜったいにできない」と。「女にとって大事なこと」とは「女でいることが、どれくらい痛いか」である。

 女である痛みは女にしかわからない。言い換えれば、女同士ならわかりあえるかもしれないということだ。

 夏子にとってもっとも大事なのは、祖母や母、姉、姪との関係だ。それぞれ女として生きた、あるいはいま、女として生きている彼女たちの痛みを夏子は知っている。その痛みは生まない女性にもある。女は痛みでつながっているのだ。

 大阪弁と標準語の交じり合う独特なリズムで、著者は女であることの痛みを刻みつけてゆく。それは深く掘り下げられるにしたがって、性差を超え、この世に生まれてきたすべての者の苦しみに通じていくように思えた。

(文藝春秋 1800円+税)=田村文

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