「サッカーコラム」日本代表に欠ける“悪あがき”

エクアドルと引き分け8強進出を逃し、引き揚げる日本イレブン=ベロオリゾンテ(共同)

 潔さ。日常生活では美徳とされる言葉だ。しかし、スポーツにおいては必ずしもそういうわけではない。そんなことを改めて思い出したのは、ブラジルで開催されている南米選手権に参加していた、われらが「サムライブルー」の戦いぶりを見たからだ。日本代表には、いわゆる「武士の矜持(きょうじ)」が誤って伝わっているのだろうか。思ったより、淡泊に試合を諦めてしまう感じがする。

 「美しい敗戦」。これは最後の1秒まで死力を尽くして戦った末の結果を指して言うのだ。そこで選手らが見せる必死さは、時に滑稽に写るかもしれない。それでも、“悪あがき”するからこそ、見いだせる光明は確かにある。

 いわば「基本フォーマット通り」のサッカーで“培養”されてきたからだろう。日本人選手は、相手に“悪あがき”されたあげく、終盤に失点を喫することが多い。反対に、日本のチームが“悪あがき”して結果、終盤に得点を挙げるという場面はほとんど目にしない。

 1点が絶対に必要な場面で、リスクを承知で“悪あがき”をすることは必ずしも悪いことではない。80数分を続けられた規則的な責めに攻撃に慣れた守備側の目には、変則的な攻めをされると対応が難しくなるからだ。例えば、ヘディングの強いCBを前線に上げて、競り合いからのこぼれ球を狙う―。どの国もが当たり前のように持っている戦術を、日本はほとんど使わない。なぜなのか。かつて、サッカーの現場でよく耳にした「百姓一揆」的な得点も、現在の「チキタカ」による洗練されたゴールも1点に変わりがない。それを認識すべきだ。

 勝てば決勝トーナメント進出を手に出来る南米選手権グループステージの第3戦。現地時間の6月24日に行われたエクアドルとの試合は、1―1の残念な結果に終わった。ちょうど1年前のこの日は、ワールドカップ(W杯)ロシア大会グループステージ第2戦で当たったセネガルに2―2で引き分けて大喜びをしていた。それと比べると、同じ勝ち点1でも気分はまったく別なものだ。

 それにしても思う。日本のサッカーはこれでいいのだろうか、と。勝てるチャンスがあるのに、これを生かそうとしないように見える。先日のU―20(20歳以下)W杯の決勝トーナメント1回戦、韓国との試合は目を疑った。終盤に1点をリードされているにもかかわらず、悠長に戦術ボードの駒を動かすだけで、なかなか交代選手を投入しない影山雅永監督の姿がテレビに大写しになったからだ。失点したのは後半39分。にもかかわらず、交代選手を投入したのは残り2分しかない後半43分だった。点を取るしかないのに4分の貴重な時間を無駄にした。リードされた終盤の戦い方を、この監督は想定していなかったのだろうか。そう考えるとショックだった。加えて、韓国が決勝に進出したものだから、余計に腹が立ってしまった。

 「それは結果論だ」と言われるのかもしれない。だが、エクアドル戦の森保一監督にも同様にがっかりさせられた。特に感じたのが、FW前田大然の投入時間だ。飛び抜けたスピードを持つアタッカーが投入されたのは後半43分。アディショナルタイム5分も含めた7分間の短い時間のなかで、前田はスピードを生かしてGKとの1対1のビッグチャンスを作った。エクアドルも日本に勝てばグループリーグ突破ができる。当然、前に出てくる。最もカウンターが狙いやすい状況だったのだが…。

 「勝てば予選を突破できたので、最後チャンスもあったので決められなくて悔しい」

 この試合で日本の唯一の得点を決めた中島翔哉が、試合後のインタビューで本当に悔しそうに語っていた。もちろん、選手は全員が勝ちたいという気持ちを持って戦っているだろう。とはいえ、全員が中島のような積極性を持っていたら、もう少しなんとかできたのではないだろうか。

 国際舞台では、この日のエクアドル戦のように数多くのチャンスを作ることは難しい。その中で、“日本病”と表現してもいいほどの深刻な問題がまたもや浮き彫りになった。シュートの確率の低さだ。この問題は簡単に改善されるものではない。

 日本の選手は技術的に非常に進歩したといわれる。それはボールを運ぶことやボール扱いを指すのだろう。一方、まったく進歩していない技術がある。キックの精度だ。

 この試合で後半21分から途中出場したFW上田綺世は、巧みな動きだしでシュートチャンスを作り出した。特に後半45分に前田が放ったシュートのこぼれ球をペナルティーエリア内で受けたときはフリーだった。しかもGKは飛び出している。つまり、ゴールは無人の状態だ。枠に飛ばしさえすれば決勝点。ところが、チリ戦に続きキックはまたしても精度を欠いた。

 まだ大学生。その言い訳はここまできたらきかないだろう。来年開催の東京五輪で代表に選ばれれば、サッカーファン以外からも注目される。素晴らしい動きだしやDFとの駆け引きも、すべては最後の動作であるシュートが正確でなければ宝の持ち腐れだ。簡単に直るものではないかもしれない。それでもテニスのボレーなどを参考に、ボールのインパクト時の「面」の作り方などを徹底的に突き詰める必要がある。国際試合では、一撃必殺でなければ優れたストライカーとは評価されない。

 それにしてももったいない。本物のセレソンとブラジルのホームで真剣勝負をするチャンスが、目の前にあったのだ。逃がした魚は、あまりにも大きい。若い選手たちには、これ以上ない経験になったはずなのに、サムライたちはそれを自ら手放してしまった。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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