『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』幡野広志著 どんな言葉も足りない凄み

 この1か月、ずっと持ち歩いていた本がある。電車の中や喫茶店、そして誰もいない職場の更衣室で、時間を見つけては読み続けた。

 幡野広志。35歳の写真家で、元猟師でもある彼は、2017年に多発性骨髄腫という「治らないほうのがん」になる。医者から余命三年と言われた幡野の、本書はエッセーでありドキュメンタリーだ。

 原因のわからない不調、告知をされた時の心境、治療と痛みと医療関係者のこと、ブログでがんを公表した理由、旅に出て出会った人たちのこと、生まれ育った家のこと、自分が作った、自分で選んだ家族のこと、この本を出そうと思った経緯、そして終わりの迎え方。

 本書は大きくふたつの構成で成り立っている。まずひとつは自身のエッセーとしての要素。そしてもうひとつは、幡野が会いに行って話を聞いた人たちのインタビューとしての要素だ。幡野ががんを公表して以降、応援、同情、憐れみや非難など、あらゆるメッセージが殺到したそうなのだが、中には感謝のメッセージがあったという。そこに記されていたのは差出人が抱えるあらゆる事情だった。病気や、いじめの被害者と加害者、DV、不倫した人とされた人。過去に罪を犯した人に、依存症患者……。がん患者やその周囲の人だけではなく、あらゆる傷や罪の意識に苛まれる人が、幡野だけに打ち明けるようになる。

 そこで幡野は退院すると、そのうちの何人かに会って、インタビューをするため各地に赴いた。それぞれの話を聞くと、彼らを苦しめているのは病気や生きづらさではないことに気付く。苦しめているのは一番近くで大切な人の顔をして支配しようとする、肉親の存在だった。

 本書は、がん患者の闘病記ではない。病気を通して幡野が明確に決意した、「自分の人生を生きる」について書かれたものだ。それは治療方法や、安楽死を含む「死に方」にまで及んでいる。

 明るいとか暗いとか、強いとか弱いとか、そういう振り分けが意味を持たない、いろんなものを飲み込んだ力強い一冊。そしてこれは、奥さんと「どう控えめに言ってもかわいい」息子さんという、幡野が選んだ「家族」への手紙でもあるんだろう。誰になんと言われようと、自分の人生を生きる。その覚悟を決めたお父さんから、大切な家族への手紙。優しさとか正直さとかまっすぐさとか真剣さとか、どんな言葉も凌駕した、凄みを感じる一冊だった。

(ポプラ社 1500円+税)=アリー・マントワネット

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