『あなたの右手は蜂蜜の香り』片岡翔著 これはハッピーエンドなのかどうか

 なんとも愛おしい物語だ。北海道に住んでいる、雨子という名の少女が、人里に迷い込んだ子グマの可愛さに吸い寄せられて近づき、人間の手から子グマを守ろうとして近づいた母グマが大人たちに銃殺され、子グマを親無しにしてしまったのは自分のせいだと責任を感じ、子グマが保護された仙台の動物園で、子グマの担当飼育員になるためだけに生きる。初恋も青春もかなぐり捨てて、目指す場所へ向けてまっしぐらに進む。

 特筆すべきは、彼女の目指すゴールが「担当飼育員になること」ではない点だ。彼女のゴールは、その子グマを、ふるさとの山に帰してやること。まだ小学生の彼女は、親が貯金しておいてくれたお年玉をおろして単身仙台へ渡り、子グマと再会して、子グマの声を聞く。「ここから出してほしい」と。

 高校生になり、進路を調べ倒した彼女は、飼育員になるのに必要な関門を着々と突破。資格を取り、専門学校を卒業して、焦がれに焦がれたその動物園の面接試験に臨む。

 感受性の強い雨子にとって、人生におけるあらゆる瞬間がハードルである。友人と接すること。本心を打ち明ける相手を厳選すること。両親に、その本心を悟られないこと。彼女の支えとなるのは小学校時代の級友の「那智くん」と、河原で鳩に餌をやるおばちゃん「鳩子さん」のみだ。一心不乱に目標に向かう雨子の心に何らかの揺れが発生すると、雨子は彼と彼女と対話することで、その揺れを鎮めていく。

 そう、雨子は大いに揺れるのだ。最終目的は決してびくともしないのに、雨子の心は大いに揺れる。親たちから受ける愛情。大人の都合に振り回される子供の人生。雨子が幼い頃に離婚した両親は、その理由を雨子に問われ、「雨子のため」と答える。「ため」って何だ、「ため」って。そっちの都合に、勝手に巻き込むな。釈然としない心を抱えながら、雨子はふと、我に返る。子グマの「ため」に生きている自分の生き方は、ほんとうに、子グマの幸せにつながっているだろうかと。

 目指した飼育員になってからの日々も興味深い。心の内では、誰にも言えない志を抱いていても、たぶん、はたから見たら、仕事熱心な新人飼育員である。仕事仲間もできた。那智くんもそばにいる。しかし雨子は、その幸福を謳歌したりしない。幸せを感じそうになると、彼女は子グマを思う。ごめんね、すぐ助けてあげるからね。

 そして訪れるラストシーン。これをハッピーエンドと受け取るか否か。どっちでもないし、どっちでもあるのだろう。たぶん、それが人生だ。

(新潮社 1550円+税)=小川志津子

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