『魔法がとけたあとも』奥田亜希子著 「身体」というままならない代物

 自分の身体は、自分のものである。にもかかわらず、こんなにも思うままにならないものってあるだろうか。でっぷりと前に突き出た腹部も、謎のタイミングで襲ってくる頭痛も、どうしてこんなところに発生するのかわからないニキビも、すべて「自分」の一部なのであり、だからなんとか、うまくやっていかなくてはならない。

 本書は、そんな「自分の一部」とうまくやっていくことに、難儀している人々の物語を集めた短編集である。つわりに苦しむ妊婦は、ガラスのコップにさえ悪臭を感じて絶望する。健診で胸に不審な影が見つかった女は、自分で漬けた6年ものの梅酒をついに飲もうと、大瓶を抱えて老舗旅館にチェックイン。顔の真ん中にあるホクロを気にする青年は、これまで学校でも職場でも、器用に友人を作ることができずにきた。

 しかし、そのすべての登場人物に、用意されているのはハッピーエンドである。

 妊婦に夫が改めて愛を告げる。梅酒女には年の離れた友人ができる。青年はすぐそばにいた愛する人の存在に気づく。

 たとえ身体がままならなくても。たとえ人生がままならなくても。ハッピーは、それらと脈絡もなく、唐突に目の前に現れる。肝要なのは、それを素直に受け取るかどうかだ。

 自分の加齢と息子の成長にうなだれる母親は、かつて熱を上げたアイドルの20周年ライブで、ある思いに達する。そして最後に置かれている短編の、ほろ苦さが他とは異質である。中年に達し、人生が思うようには回っていかない世代。友人は妻からの暴力に苦しんでおり、自分の妻は二人目の子どもを産まねばならないと苦悶している。あちらを立てると、こちらが立たない。鬱屈の渦の中で主人公が得たのは、相手への理解力、想像力だった。

 読み終えて、ふと思う。私たちが、私たちの身体と、つきあい続けてこれているのは奇跡だ。同じように、私たちが、私たちの人生を、なんとか今日までやってこれたのも奇跡だ。ときに失望したり、強く嫌悪したりしても、きっぱりと放棄したり、決裂したりすることは一生できない。一生、一緒にやっていく。そのことが見せてくれる景色は豊かだ。

(双葉社 1400円+税)=小川志津子

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