『夢見る帝国図書館』中島京子著 自由求めた女性と本の物語

 かつて東京・上野公園にあった帝国図書館。現在、その役割と蔵書は永田町の国会図書館に受け継がれ、建物自体は国会図書館の支部である国際子ども図書館として使われている。中島京子の新作『夢見る帝国図書館』はその上野を舞台に、日本の図書館の歩みと、「喜和子さん」という魅力的だが謎の多い女性の人生を“重奏的”に描く。

 作家の「わたし」が喜和子さんと出会ったのは、まだフリーライターをしていた15年前、上野公園のベンチに腰掛けていた時だった。喜和子さんは奇天烈な装いをしており、「わたし」の目の前でたばこを吸い、咳をする「わたし」に金太郎飴をくれた。

 全面開館した国際子ども図書館の取材をしてきたと説明する「わたし」に、喜和子さんはそこに「半分住んでたみたいなもの」だと話す。「わたし」はなぜか正直に「小説、書いているんです」と明かす。

 2人は偶然再会し、親しくなってゆく。喜和子さんは「上野図書館が主人公の小説」を書いてみたらと「わたし」に勧める。そして図書館の歴史を語り始める。「ねえ、どうして、図書館ってものが作られたのか、あんた知ってる?」

 こうして、後に「わたし」が書いたとおぼしき「夢見る帝国図書館」と題する物語と、「わたし」が語り手の喜和子さんの物語が、少しずつ、交互に綴られてゆく。

 図書館はその出発から、苦難の連続だった。資金難の中で蔵書をいかに守り、いかに増やすか。戦前・戦中の言論統制の中で「表現の自由」を守る側に立てないこともあった。

 図書館の物語には、文学者たちの姿も刻まれる。「もし、図書館に心があったなら、樋口夏子に恋をしただろう」という一文が印象的だ。夏子は樋口一葉の本名。生涯、金に苦労した一葉は、上野の図書館に通った。宮沢賢治はそこで、友との悲しい邂逅と別離を味わった。

 図書館の外で起きたことも記される。関東大震災時の朝鮮人虐殺や、戦時中の猛獣処分といった悲劇だ。ゾウの花子の目には、人間の残忍さと愚かさが映る。

 喜和子さんの物語は初め、ユーモアのある伸び伸びとした筆致で展開していく。自由で気ままな喜和子さんの姿を追っていくだけで楽しい。だが喜和子さんの娘が登場するあたりから、暗い影が見えてくる。そして、別れが訪れる。

 喜和子さんの死後、「わたし」は喜和子さんの人生に秘められた部分に分け入る。彼女の家に下宿していた元藝大生、元愛人の大学教授、行きつけの古書店主、かつて上野でホームレスをしていた彼氏…。喜和子さんの孫も登場し、おぼろげながらその人生が浮かびあがってくる。それは、帝国図書館と分かちがたく結びついていた。

 喜和子さんの宮崎での暮らしが明かされる部分を読むのが苦しかった。その過去を塗り替えるために彼女は、敗戦直後にいっときを過ごした上野に向かった。子ども時代の上野の記憶を手に、後半生に上野で「自由」を追い求め、図書館に通って「自分を育て直した」。そんなささやかな人生を、本書は優しい光で照らしだす。

 本と図書館への愛着、書く人と読む人への共感に満ちた豊饒な物語である。

(文藝春秋 1850円+税)=田村文

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