『死にがいを求めて生きているの』朝井リョウ著 自らの存在価値を見いだそうとあがく

 8組9人の作家によって紡がれた「螺旋プロジェクト」の1作である。全9作を通して読むと、原始から未来までの日本を舞台に、「海族」と「山族」が対立する歴史を描く壮大な物語となるという。本書はその「平成」編にあたるが、独立した作品としても楽しめる。

 第1章は看護師、白井友里子の視点で語られる。彼女の勤める病院に、ある事件に巻き込まれて植物状態になってしまった南水智也が入院していて、智也の幼なじみの堀北雄介が頻繁に見舞いに訪れている。2人は幼稚園からの付き合いの「親友」だという。

 看護師になって3年目の友里子は、日勤、深夜勤、準夜勤、休日という「四日間の塊」を繰り返すうちに「自動的に、運ばれていく」という感覚に陥っている。患者の死にも、家族の悲しみにも、あまり心が動かない。智也が目を覚ますことを信じ献身的に看病する雄介の姿を見て、羨ましいと思う。

 しかし、第2章以降、別の人物たちによってこの2人の関係が多角的に語られ始めると、美しく見えていた“友情物語”がどんどん曇り、濁り始める。いや、奇妙に歪み始めると言った方がいいだろうか。

 雄介は競争を好む少年だった。テストの順位の張り出しがなくなったり、運動会での競技性が失われていったりする学校の在り方に不満を持ち、抗議もした。目立つ行動を取ろうとして、周囲から浮くこともあった。

 大学に進むと、学生の自治に関する活動にはまる。いつも何かしら、のめり込むものを探している。

 雄介だけではない。社会運動にしがみつかざるをえない大学生たち、女性同僚の活躍に焦り、無理をしようとするテレビ番組制作会社の男性ディレクター…。みなプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、必死に動き回っている。おまえは今、どれだけ注目されているのか。社会のために役に立っているか。生きていていいのか―。そんな問いに追い詰められている。

 描かれているのは、この社会で、自分の存在意義を実感したいという切なる欲求だ。誰かと競い合ったり、対立する相手を見つけたりすることによって、自らの価値を見いだそうとあがいている。

 雄介が女性を妬んで嘆く場面がある。

 「女性の自立とか女性の社会進出とかさ、ずるいよなー。俺ら男は自立して当然だし社会進出してないとクズだって思われるのによ。男で何も成し遂げなかったらヒモ扱い、女で何か成し遂げたらヒーロー扱い」

 そんな雄介の近くにいる智也は、どのような背景を持ち、どんな思いで雄介を助けようとしていたのか。それが最後の章で明かされる。

 「俺は、死ぬまでの時間に役割が欲しいだけなんだよ」。そう吐露する雄介の思いは、私たちが共通に持つ根源的な欲求であり、苦悩である。そして、対立を生む構図もまた、人間社会が始まって以来、ずっと続いているものだ。

 私たちは決して一人では生きられない。そしてこの世界に参加しようとすれば否応なく、対立の渦中に投げ込まれる。

 しかし、対立や分断ではなく、対話や友好を選ぶこともできる。生きているだけでいいと認め合うこともできるはずなのだ。それを模索する方途と希望を、本書は淡い光で照らしだす。

(中央公論新社 1600円+税)=田村文

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