東北に吹く生え抜き指揮官の新風 楽天の平石洋介新監督

地元ファンの声援に応える楽天・平石監督=楽天生命パーク

 プロ野球東北楽天の平石洋介新監督の評判がすこぶるいい。4月23日で39歳、12球団最年少で、チーム初の生え抜き指揮官でもある。

 昨年、チームは最下位の屈辱にまみれた。当時の梨田昌孝監督が途中退団、監督代行に指名されたのが平石新監督だ。

 ヤクルトや大リーグのドジャースで活躍した石井一久氏は、オフにゼネラルマネジャー(GM)職を受諾すると、正式に監督就任を要請している。

 楽天の歴史を振り返ると、初代監督の田尾安志氏から始まり、野村克也氏、故星野仙一氏ら外部から大物を招請する流れが続いた。それは、三木谷浩史オーナーの好みとも言われた。

 だが、石井GMはあえて、現役時代に実績のない平石新監督に白羽の矢を立てている。

 「1軍も2軍も含めてチームのことを一番知っているから」。シンプルな考えの先に、石井GMは平石新監督の持つリーダーシップと野球に対する熱量を高く評価していた。

 開幕して、まだ2週間足らずとはいえ、珍事? は起こった。

 4月10日の西武戦に連勝すると、常勝ソフトバンクに肩を並べ同率首位に立ったのだ。この時点で8勝3敗1分け、開幕ダッシュに成功した。

 この好スタートの要因はいくつか挙げられる。やはり、FAで西武から獲得した浅村栄斗が3番に座ることで打線に厚みが加わった。

 昨年は、故障に泣いた茂木栄五郎や、例年春先に弱かったウィーラーらのはつらつとした動きも勝利に貢献している。

 キャンプの段階でエースの則本昂大が故障を発症、長期の戦列離脱とあれば、今年もまた苦戦が予想されたが、それを全員野球でカバーしているのは新監督の用兵、采配と言っていいだろう。

 類いまれなリーダーシップの持ち主である。

 大分から中学時代に大阪へ移り住むと、ボーイズリーグの関西選抜主将として世界一を経験。高校は当時の最強豪校であるPL学園(現在は休廃部状態)に進学した。

 期待されながら肩を痛めてレギュラーになれなかったが、3年時の部員による投票でここでも主将の重責を担っている。いわゆる「松坂世代」である。

 夏の甲子園の準々決勝では、その松坂大輔(現中日)のいる横浜と対戦。延長17回に及ぶ死闘の末に敗れたが、今でも球史に残る名勝負として記憶する人は多いだろう。

 同志社大、社会人野球のトヨタ自動車を経て、2004年にドラフト7位でプロのスタートを切るが、大半は2軍暮らし。

 6シーズンで1軍での安打数はわずかに37本で戦力外通告を受けるが、球団は平石新監督に指導者の道を用意している。彼の持つリーダーシップと指導力がいかに評価されていたかがわかる。

 指導法は対話によるコミュニケーションと、人一倍の情熱をぶつけていく熱血漢ぶりに象徴される。

 「選手をやる気にさせるために、いっぱい会話をする。一方通行にならないよう選手の言い分も聞きます。いいものはいい、駄目なときは厳しく言う。そうやって選手のいい部分を引き出してあげたい」

 新人からベテランまで分け隔てなく、対話によって意思疎通を図るから、選手も自分の役割や、今何をすべきかを共通認識として持って戦いに臨める。ここに「平石流」の人心掌握術がある。

 現役時代に実績を上げ、監督としてもキャリアを積む指揮官は、ともすれば一選手からは話しづらく、距離も感じやすい。だが、年齢も若く、現役時代の実績もない平石新監督だからこそ、悩みも喜びも共有できる利点があるのだろう。

 同い年の久保裕也や渡辺直人らが「同世代として監督を男にしたい」と口をそろえる。

 メジャーリーグでは、現役時代の実績より、その後のコーチ修行で指導者の資質を磨いた者が監督に指名されることが多い。

 日本では1970年代、主に阪急で指揮を執った上田利治氏が選手時代の実績こそなくても名将の仲間入りを果たした。

 “第2の上田監督”になれるか。今後が楽しみなニュータイプの指導者である。

荒川 和夫(あらかわ・かずお)プロフィル

 スポーツニッポン新聞社入社以来、巨人、西武、ロッテ、横浜大洋(現DeNA)などの担当を歴任。編集局長、執行役員などを経て、現在はスポーツジャーナリストとして活躍中。

© 一般社団法人共同通信社