麥田俊一の偏愛的モード私観 第3話「アレキサンダー・マックイーン」

アレキサンダー・マックイーン 2009-10AWコレクション

 旬の話もするのだぞ、と云うことを早晩書いておかねばと思ったわけでもないが、これまで2回の拙稿を指して、過日、奇特な読者(業界の先輩だけれど)から揶揄されたこともあって、予め編集部に提出しておいたラインアップを敢えて今回は覆してみた。「ムギちゃんの『意中の人』は随分とマイナーやなぁ」と云う茶々に虚勢を張るつもりはないが、今回は、英国人デザイナー、故リー・アレキサンダー・マックイーンを話題に据えてみた。但し、彼は、意中の人と云うよりは、私の心の止血剤のような存在で(仕事に於いて)番度くずおれそうな私の精神の主柱となってきたデザイナーなのだ。大袈裟だよ、とまたぞろ冷やかされそうだが(取材対象としての)彼は、今以て私の中で特異な位置にあるから仕方がない。劣等感に塗れた往時の私に、一筋の曙光めいたものの灯った感覚をもたらしてくれた経緯を、この稿で直截簡明に語る自信はない。

 事の発端は、某ファッション誌の編集部からの原稿依頼だった。まさに今、彼の短い人生(享年40歳)に迫るドキュメンタリー映画「マックイーン:モードの反逆児」が封切られているが(2019年4月5日より全国の劇場にて公開)それに当て込んだ特集が組まれ、その原稿を私は引き受けた。マックイーンがロンドンの自宅で自死した(2010年2月11日死去)直後、追悼を冠した特集(私がリーマン稼業をしていた頃に編集していた雑誌にて)を組んだが、それ以降、彼についての原稿を書く機会は当分ないだろうと思っていた。しかし、思わぬ奇貨が訪れた。その原稿には、これ迄歩んできた茨の道で(その悲惨さには触れないけれど)曲がり形にも続けてきた、ファッションを題材とした売文稼業の気骨を少しでも滲ませることが出来れば幸いと、臆面もなく私自身の私的な挿話を織り交ぜている。堪え難いほど薄っぺらで重みのない自分を引き合いにして、マックイーンの一端を語るなど、端より分不相応なのは承知しているが、それでも、彼の創作に賭する気概に縋ってこなければ、この仕事を続けることは出来なかった。だから、そのあたりの事情を、手前勝手に書いている。取材する側、受ける側の関係、況して対面式のインタビューは3回程度の間柄なのだが、それとて私にとって得難い矜持なのだ。

 高級注文服の製作の折に採寸するクチュリエの姿を自らに重ねて「俺が金持ちのお客の前で跪くわけがねぇだろ」と嘯くように語っていた、その彼が、気が付けば、パリのエレガンスの伝統を継承する「ジバンシィ」の主任デザイナーにまで上り詰めたのである(1996年10月に就任。2001年3月に退任)。果たして「ジバンシィ」での早熟なオートクチュールデビュー(1997年春夏)は甲論乙駁を以て迎えられたが、臆せず自分流儀を貫く押しの強さが周囲を圧倒した。自身のブランド「アレキサンダー・マックイーン」を1993−94年秋冬に立ち上げ、翌シーズンにはロンドンにてショーをした彼の、デザイナーとしての輝かしくも波乱に満ちた履歴をここで詳らかにすることは控えるが、天賦の才と云えるかどうかは兎も角、少なくとも服作りの才能を開花させる契機は10代の頃に遡る。進学も就職もせずにいる16歳の彼を、母堂は老舗テーラーへ勤めさせた。その後の、舞台衣裳を制作するアトリエでの修業もまた、往年の彼が漸次傾倒していった、本格的な紳士服を土台とした婦人服の仕立て、バロックやロココ、ビクトリアン時代と云った大時代的な装飾趣味を育む揺籃だった。マックイーンの軌跡を、典型的な労働者階級出身者(タクシー運転手の息子)の出世物語に喩えるのは容易いが、そのようなステレオタイプに当て嵌めたとて、彼の中に渦巻くコンプレックスや作り手としての野心を正当に評価することは難しい。かてて加えて「俺の眼は、ケツについているのさ」とか「さぁ、俺のケツの穴を見てやってくれよ」とか「それってマジで訊いてんの」とかの、彼の若い頃の悪態語録が伝説にもなっている。

 実際、私も初めてのインタビューの折、「用はそれだけ?」と喧嘩腰に云われたことがある。同行した写真家の執拗な撮影に苛立っての一幕だった。だからと云って、殊更、マックイーン神話を煽るつもりはない。作り手の人格と云うのは彼の作品そのものの中にしか有り得ないわけで、これが実に誤解されている節がある。つまり、彼が至る所に撒き散らし、垂れ流してきたアンチの観念や露骨な悪態と、彼の創作行為自体とが容易に混同されているのだ。執拗なまでに繰り返されてきた露悪的な迄の言動をそのまま彼の世界として理解してしまっては、実は、彼の作品の特異な在り方が見え辛くなってしまう。件の映画の邦題を「モードの反逆児」としたのは妥当なのかも知れない。だが、私には「叛逆」とか「反抗」などの言葉はあまりにも安直過ぎてマックイーンの本質にそぐわない気がしてならない。これは言語化の副作用(言語隠蔽と云うべきか)なのか。「叛逆」と口を極めて絶賛すればするだけ、彼の魅力が薄っぺらになりはしないか。私は勝手に危惧している。だがそれは、実際、映画を観た人に委ねるとしよう。

 優れた作り手は、彼に固有の世界を持っている。その世界が広いか狭いか、深いか浅いか、展開していったか萎縮していったか、そう云う点を抜きにしても、兎に角揺るぎのない世界が作品の中に表現されていなければならない。私は、マックイーンの世界は詩的な世界であると思う。だが、この「詩的」と云う言葉に対しては註を入れておかねば、これ程に誤解され易い言葉はない。つまり、彼の世界にあまりに近付き過ぎた形容なので、安っぽく取られては困るのだ。40歳と云う若さで他界した彼は、既に詩人(飽く迄も比喩として)としての真の自覚に達していたか、未だその道程にいたのかの推察は今となってはあまり意味がないことだが、デビュー当時より、人生を直視する鋭い眼光を既に持っていたことは確かだ。人生とは矛盾に満ちていて、しかも作り手である以上は、与えられた生の中より彼自身の泉を汲み続けなければならない。ぞっとするような実在としての生を直視しながら、そこに美を感じ取り、彼にとっての今を服に定着させようとして、自らの内の沸騰する情熱を只管服作りに注ぎ込む。彼は人生を受け容れ、その現実の中に闇雲に突進し、謂わば自爆するのだ。しかし、彼は現実を恐れたからでも、それから逃避したのでもない。彼はそのようにしか生きられなかった。そうした逆説的な生き方に於いても、生はマックイーンにとって充足したものであった筈だ。まぁ、そんな不埒な想像こそ蛇足と云うものだけれど。(麥田俊一、ファッションジャーナリスト)

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