「村上春樹を読む」(88)貫く、近代日本への歴史意識 『風の歌を聴け』から『騎士団長殺し』まで

「風の歌を聴け」(講談社文庫)

 平成の天皇が、4月末で退位、5月1日に今の皇太子が新天皇に即位するということで、「平成最後の」ということが、新聞・テレビなどで話題となっています。新しい元号も4月1日には発表されるそうです。

 村上春樹の作品には、元号のことや天皇のことがあまり出てこないような感じを持っている人がいるかもしれません。

 特に村上春樹がデビューしたてのころ、村上春樹作品をアメリカナイズされた小説だと語る人たちがたくさんいました(実際、アメリカ小説の影響を村上春樹自身が語ってもいます)。でも、そういう人たちが、村上春樹作品は“現実の日本社会や日本の近代史と触れていない小説だ”と認識して語ることに接するたびに、果たしてその通りか……?と、疑問を持っていました。私は、村上春樹は、最も日本社会に対する歴史認識を持ち続けて作品を書いている作家の一人だと思っていましたので。

 その村上春樹作品を貫く、近代日本に対する歴史意識を、天皇や元号をキーワードに、少しだけ考えてみたいと思います。

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 まず、デビュー作『風の歌を聴け』(1979年)です。この作品に「僕」が友達の「鼠」(「僕」の分身のような存在です)と山の手のホテルのプールに行って、2人で話す場面があります。

 「何年か前にね、女の子と二人で奈良に行ったことがあるんだ。ひどく暑い夏の午後でね」と、奈良の山道を3時間ばかりかけて歩いた話を「鼠」が「僕」にします。

 しばらく歩いた後で「鼠」たちは、夏草が生え揃った斜面に腰を下ろして、気持ちの良い風に吹かれています。

 「斜面の下には深い濠が広がって、その向う側には鬱蒼と木の繁った小高い島のような古墳があったんだ。昔の天皇のさ。見たことあるかい?」

 そう「鼠」が話すと「僕」は肯いています。

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 第一作『風の歌を聴け』に、このように天皇のことが出てくるのは偶然ではないと思います。

 例えば『ねじまき鳥クロニクル』という長編は、第1部と第2部が1994年4月に刊行されましたが、第3部があるのかないのか、わからない作品でした。でも第3部刊行の予告として、文芸誌「新潮」の1994年12月号の巻頭に「動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)」(『ねじまき鳥クロニクル』第3部<鳥刺し男編>)として、その一部が掲載され、この末尾で、『ねじまき鳥クロニクル』第3部が、新潮社から1995年の夏頃より刊行予定であることが明らかにされました。

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 「輸送船はいかにも覚束ない足取りで、翌日の八月十五日の午後四時過ぎに佐世保港に入港した」とあった後、次のような文章で、「動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)」は終わっています。

 「その日の正午に、天皇の終戦の詔がラジオから流されていた。そしてその六日前に、長崎の街は一発の原子爆弾によって焼きつくされていた。満州国はやがて数日のうちに、幻の国家として歴史の流砂の中に飲み込まれ、消え去ろうとしていた。そしてその頬にあざのある獣医は、回転扉の間違った仕切りに入ったまま心ならずも満州国と運命をともにすることになった」

 このように、話題作の3巻目が刊行される予告編の最後の文章に天皇の詔のことが出てくるのです。

 その『ねじまき鳥クロニクル』の第3部には第1部第2部に、ほとんど出て来なかった「赤坂ナツメグ」という女性が登場します。

 「動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)」の最後の「その頬にあざのある獣医」は満州の新京動物園の主任獣医だった「赤坂ナツメグ」の父親です。彼女が父親と別れて、輸送船で、日本へ向かう途中、輸送船がアメリカの潜水艦に沈められそうになった話などが語られる部分です。

 (ただし、1995年8月に刊行された単行本『ねじまき鳥クロニクル』第3部<鳥刺し男編>では「輸送船は覚束ない足取りで、翌日の八月十六日の午前十時過ぎに佐世保港に入港した」「十五日の正午に、天皇の終戦の詔がラジオから流されていたのだ。七日前に、長崎の街は一発の原子爆弾によって焼きつくされていた」というふうになっていて、「赤坂ナツメグ」が乗った輸送船がアメリカの潜水艦に沈められそうになった日が「八月十五日」であるように改められています)

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 村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』の第1部では、昭和13年(1938年)の旧満州・モンゴル国境のノモンハンで情報活動をしていた山本という男が生きたまま全身の皮をナイフで剥がれされて殺される、残酷な“皮剥ぎ”と呼ばれる場面があります。

 その“皮剥ぎ”という出来事を「僕」に語りにくるノモンハン事件の生き残りの間宮中尉は「私は片腕と、十二年という貴重な歳月を失って日本に戻りました。広島に私が帰りついたとき、両親と妹は既に亡くなっておりました。妹は徴用されて広島市内の工場で働いているときに原爆投下にあって死にました。父親もそのときちょうど妹を訪ねに行っていて、やはり命を落としました。母親はそのショックで寝たきりになり、昭和二二年に亡くなりました」と語っています。

 第3部刊行を予告する「動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)」で「その日の正午に、天皇の終戦の詔がラジオから流されていた。そしてその六日前に、長崎の街は一発の原子爆弾によって焼きつくされていた」と、長崎への原爆投下が触れられているのは、きっと第1部でノモンハン事件の生き残りである間宮中尉が、広島の原爆を語る場面と対応しているのでしょう。

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 そして『スプートニクの恋人』(1999年)には「ぼく」と「すみれ」という女性との会話に「天皇」のことが出てきます。

 「記号と象徴のちがいってなあに?」と「すみれ」が「ぼく」にたずねます。「ぼく」は考えた末にこんなことを言っています。「天皇は日本国の象徴だ。それはわかるね?」と言うと「なんとか」と彼女は言います。「なんとかじゃない。実は日本国憲法でそう決められているんだ」と話します。

 さらに「天皇は日本国の象徴だ。しかしそれは天皇と日本国とが等価であることを意味するのではない。わかる?」と言います。

 つまり「天皇は日本国の象徴であるけれど、日本国は天皇の象徴ではない。それはわかるね」と言うと、彼女は今度は「わかると思う」と答えます。

 そして、これが例えば<天皇は日本国の記号である>と書いてあったとすると、その2つは等価で、交換可能になる……そんな具合に「記号と象徴のちがい」を「ぼく」が「すみれ」に説明しているのです。でも、面白い「象徴」と「記号」の説明ですね。

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 そんな「すみれ」がヨーロッパを旅行しますが、彼女から「ぼく」への手紙には「たぶん8月15日頃に帰国します」と記されていました。『スプートニクの恋人』という長編は、その「すみれ」が「8月15日になっても戻って」こられなくなってしまう話です。この世から消えてしまう物語です。

 太平洋戦争の終戦記念日である8月15日を境にして、この世とあの世、生と死が分かれてしまうという点で、『スプートニクの恋人』は『ねじまき鳥クロニクル』と同じ形をしています。

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 さらに『風の歌を聴け』の古墳のデートの話の少し前のほうに、「僕」が付き合った「三人目の相手」の「仏文科の女子学生」が、翌年の春休みにテニス・コートの脇の雑木林の中で首を吊って死んでしまったことが出てきます。『ノルウェイの森』(1987年)で、サナトリウムの森の中で首を吊って死んでしまう直子という女性の系譜に繋がる女子学生です。この女の子のことは『風の歌を聴け』の中で何回か繰り返し出てきますが、彼女も8月15日に関係した存在のように描かれているのです。

 同作23章は「僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを『あなたのレーゾン・デートゥル』と呼んだ」と書き出されています。「人間の存在理由(レーゾン・デートゥル)」について、僕は考え続けて「全ての物事を数値に置き換え」ることが癖になってしまったそうです。「約8ヵ月間」電車で乗客の数をかぞえ、階段の数を全て数えたりするのです。そのところに、次のようなことが記されています。

 「当時の記録によれば、1969年の8月15日から翌年の4月3日までの間に、僕は358回の講義に出席し、54回のセックスを行い、6921本の煙草を吸ったことになる」

 そして、この数行後に「そんなわけで、彼女の死を知らされた時、僕は6922本めの煙草を吸っていた」という言葉が記されて、23章が終わっています。

 つまり林の中で死んでしまう「三番目」の女の子との付き合いの起点に「8月15日」が置かれているのです。その女の子は4月4日に死んだということでしょうか。ともかく、ここでも「8月15日」は「死」と関係した日付けとして記されています。

 このように、村上春樹の「8月15日」と時代への関心は、デビユー以来、ずっと一貫して続いているものなのです。

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 また『海辺のカフカ』(2002年)には、ケンタッキーフライドチキン(KFC)の店頭にある人形カーネル・サンダーズと星野青年が神様について話す場面があるのですが、そこでは「戦争の前には神様だった天皇は、占領軍司令官ダグラス・マッカーサー将軍から『もう神様であるのはよしなさい』という指示を受けて、『はい、もう私は普通の人間です』と言って、1946年以後は神様ではなくなってしまった」という、いわゆる昭和天皇の人間宣言と呼ばれることについて、カーネル・サンダーズが「ほしのちゃん」に話しています。

 ケンタッキーフライドチキン(KFC)はアメリカ発祥の企業ですし、カーネル・サンダーズはその創業者の人形ですから、カーネルと星野青年の会話には、日米戦争が反映されているのかもしれません。

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 そして、元号のことが、一番はっきり出てくるのは『1Q84』(2009年、2010年)です。

 『1Q84』の冒頭については、このコラムで、何度か紹介していますが、それは主人公の1人の女性「青豆」が、高速道路を走るタクシーでヤナーチェックの『シンフォニエッタ』という曲を聴いている場面です。

 この『シンフォニエッタ』は1926年作曲の作品。そして作中に「一九二六年には大正天皇が崩御し、年号が昭和に変わった」と記されています。

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 『1Q84』は現実の「1984」年から、少しだけズレた時間を舞台としている物語です。『ねじまき鳥クロニクル』の小説の時代が「1984年」を主に舞台としていて、それを受けたような時代設定です。その「1984年」は日本の元号表記で言えば「昭和59年」です。つまり日本で「大正天皇が崩御し、年号が昭和に変わった」年に作曲された音楽を聴く場面から始まっている『1Q84』は「昭和59年」と、少しだけズレた時間を進んでいく物語なので、村上春樹は「昭和」という時代に、こだわって書いている作家ではないかと思うのです。

 最新の長編である『騎士団長殺し』(2017年)でも「騎士団長殺し」という絵を描いた画家「雨田具彦」の弟である「雨田継彦」が南京戦に加わって、上官から捕虜の首を切ることを命令される際、「帝国陸軍にあっては、上官の命令は即ち天皇陛下の命令だからな」と、継彦の甥で、具彦の息子の「雨田政彦」が話しています。

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 平成の天皇は85歳の誕生日に際しての、天皇として最後となる記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と話しました。これは近代以降の明治、大正、昭和という時代には戦争がずっとあったということですが、今を生きる多く人は「昭和」時代の戦争のことを天皇の言葉から感じたと思います。

 平成の天皇は終戦の8月15日、広島と長崎に原爆が投下された8月6日と9日、そして沖縄で多数の民間人を巻き込んだ戦闘が終わった6月23日には、毎年、どこにいても、それぞれの慰霊祭の行われる時刻に黙祷を捧げていて、広島、長崎、沖縄をはじめ、太平洋戦争の激戦地、硫黄島、サイパン島、パラオのペリリュー島を訪問して慰霊を続けてきたことで知られますが、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」という言葉は、戦争のことを常に考えて行動してきた自身の深い感慨の表れだったのでしょう。

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 天皇が出てくる村上春樹作品の場面をたくさん紹介しましたが、これは「天皇」という言葉で探していけば、村上春樹作品の中にそのように記されている場面があるということであって、ことさら村上春樹が天皇のことを描こうしているわけではないと思います。だって、村上春樹作品に天皇のことが出てきたったけ……と思う人もかなりいるぐらいのことの記され方なのですから。

 でも村上春樹が近代日本の歴史を考え、繰り返された戦争のことを考え、日本社会のことを考えていくと、やはり天皇のことに触れないわけにいかないということなのでしょう。何しろ、平成の天皇自身が、最後の記者会見で「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と述べたほど、戦争と近代の天皇が結びついているということなのだと思います。

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 「古代の天皇」の墓は「あまりに大きすぎた」ものでした。「巨大さってのは時々ね、物事の本質を全く別なものに変えちまう」とデビュー作『風の歌を聴け』の「鼠」は語っています。

 「鼠」は「俺は黙って古墳を眺め、水面を渡る風に耳を澄ませた。その時に俺が感じた気持ちはね、とても言葉じゃ言えない。いや、気持ちなんてものじゃないね。まるですっぽりと包みこまれちまうような感覚さ。つまりね、蝉や蛙や蜘蛛や風、みんな一体になって宇宙を流れていくんだ」と「僕」に話します。

 「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かが書けたらどんなに素敵だろうってね」という印象的な言葉もあります。

 その「水面を渡る風に耳を澄ませた」「風のために何かが書けたらどんなに素敵だろう」は『風の歌を聴け』のタイトルにも繋がる言葉です。このことが語られる場面に、昔の天皇の墓である古墳のことが語られているのです。

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 そして、天皇は出てこないのですが、村上春樹が戦後という時代の問題をどのように考えていたかをよく示す作品に、『国境の南、太陽の西』(1992年)があります。でも、今回の「村上春樹を読む」も、かなりの長さになってしまいました。このことは次の回で考えてみたいと思います。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

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「村上春樹を読む」が『村上春樹クロニクル』と名前を変えて、春陽堂書店から刊行されます。詳しくはこちらから↓

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