「村上春樹を読む」(85)暴力と戦争の問題を考え続ける 『海辺のカフカ』のナカタさんと佐伯さん

『海辺のカフカ』(新潮文庫)

 「もし思い違いでなければ、たぶん私は、あなたがいらっしゃるのを待っていたのだと思います」「はい。たぶんそうであろうとナカタも考えます」

 村上春樹『海辺のカフカ』(2002年)の中に、佐伯さんという女性と初老のナカタさんが出会って、そんな会話をする場面があります。

 何度か書いていますが(前回も記したかと思います)、村上春樹という作家は、2つの物語が並行して進んでいく小説が好きです。

 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)では開放系の「ハードボイルド・ワンダーランド」の話と閉鎖系の「世界の終り」が交互に進んで行きますし、『ノルウェイの森』(1987年)は、死の世界を象徴するような「直子」という女性と、生の世界を象徴するような「緑」の世界が交互に描かれています。

 でも、それらの世界は2つに分かれていて、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は開放系の「私」と閉鎖系の「僕」が出会うという構造を持った物語ではありません。『ノルウェイの森』でも「僕」だけは「直子」の世界と「緑」の世界を往還できるのですが、でも「直子」と「緑」が出会って話ができる物語にはなっていないのです。

 ☆

 『海辺のカフカ』も大きな意味では、15歳の「僕」の世界と、「ナカタさん・星野青年」の世界が、交互に語られていく物語です。そして、登場人物たちが四国・高松にある甲村記念図書館に結集します。その図書館の女性責任者が佐伯さんです。佐伯さんは、どちらかといえば「僕」の世界の側の人物かもしれませんが、この佐伯さんと、もう一つの「ナカタさん・星野青年」の世界の側のナカタさんが出会って、最初に紹介したような会話をするのです。

 つまり『海辺のカフカ』という小説は、AとBという2つの話が2重(2階建て)になっていて、AとBの世界の人たちが出会うことができて、さらに会話できるように書かれているのです。

 前回の「村上春樹を読む」では、星野青年が甲村記念図書館に入っていって、大島さんという人に「ひとつ訊きたいんだけれどさ、音楽には人を変えてしまう力ってのがあると思う?」と質問していましたし、大島さんは「化学作用のようなものですね。そしてそのあと僕らは自分自身を点検し、そこにあるすべての目盛りが一段階上にあがっていることを知ります。自分の世界がひとまわり広がっていることに。僕にもそういう経験はあります」と答えていました。

 そのように、AとBの世界の人が出会い、会話をすることのハイライトが、冒頭に紹介した甲村記念図書館という場所の責任者(館長)である佐伯さんと、ナカタさんの会話です。

 ☆

 でも、なぜ佐伯さんは「私は、あなたがいらっしゃるのを待っていた」のでしょう。それに対して「はい。たぶんそうであろうとナカタも考え」るのでしょう。

 なぜ2人は会わなくてはならないのか。どういう関係にあるのか。そういうことを読者に考えさせていく、佐伯さんとナカタさんの会話ではないでしょうか。

 村上春樹の作品には、しばしばこのような、読後も考えさせる言葉が記されていて、長く心に残ります。この佐伯さんとナカタさんの会話もその代表的なものでしょう。

 「あれは、何なのだろう……」という形で、自分の中を、言葉が生き続けるのです。前回の「村上春樹を読む」は、ナカタさんの相棒である星野青年が、甲村記念図書館の大島さんと音楽をめぐって会話をすることなどで、成長していく姿を書きました。今回は、私(筆者)が長い間、「あれは、何なのだろう……」と考えてきた、この佐伯さんと、ナカタさんの出会いと会話について、考えてみたいと思います。

 ☆

 ナカタさんと、佐伯さんには、いろいろな共通点があり、逆に対照的な相違点があります。まず共通点のほうを記せば、「ナカタには半分しか影がありません。サエキさんと同じようにです」とナカタさんが語っています。2人とも半分しか影がない人物です。

 ナカタさんは「ナカタサトル」という名前で、名字は「中田」ですが、「サトル」はどのように表記するのかは記されていません。佐伯さんは、姓が「佐伯」であることはわかりますが、名は記されていません。これらのことも、2人が半分しか影がないことに関係しているのかもしれません。

 ふたりとも「入り口の石」のことを知っています。「あなたは入り口の石のことをご存じなのですね」とナカタさんが言うと、「はい。知っています」と佐伯さんは答えています。

 そして、2人が異なる点を挙げてみれば、例えば、「ナカタには思い出というものもひとつもありません」とナカタさんは述べています。「思い出のことは、ナカタにはまだよくわかりません。ナカタには現在のことしかよくわからないのです」とも述べています。

 それに対して「私はどうやらその逆のようです」と佐伯さんは言っています。佐伯さんは思い出を抱いて、ずっと生きてきた人です。

 佐伯さんは自分自身に起きた出来事のすべてを細かく書き続けてきました。自分自身を整理するために書いてきたのです。そしてすべてを書き終えてしまいました。その3冊のファイルをナカタさんに焼き捨ててほしいと頼みます。「書くということが大事だったのです。書いてしまったものには、その出来上がったかたちには、何の意味もありません」と言うのです。それを焼く、ナカタさんは、読み書きの能力を戦争中の出来事以来失ってしまった人です。

 まだまだ、いろいろナカタさんと佐伯さんの共通点と相違点を挙げることができるのですが、『海辺のカフカ』の物語の展開からすると、この2人の対話のあと、まもなく佐伯さんも、ナカタさんも死んでいくことが共通しています。

 ☆

 さて、今年に入ってから、この連載コラム「村上春樹を読む」では、オウム真理教信者の犯罪と村上春樹作品のことについて、村上の作品を読み返してながら、書き続けてきました。

 その視点から、ナカタさんと、佐伯さんの2人の共通点を考えてみますと、「暴力」というものの問題を一身に受けとめて、生きつづけてきた人間同士であるということを見逃せないと思いました。

 『海辺のカフカ』の「僕」が寝泊まりする甲村記念図書館のゲストルームに一枚の絵がかかっています。海辺にいる12歳ぐらいの少年を描いた写実的な絵です。それは佐伯さんが、かつて愛した同年の少年で、彼は20歳のときに学生運動のセクト間の争いに巻き込まれて、意味もなく殺されてしまいました。

 その佐伯さんの恋人は、通っている大学がストライキで封鎖中で、そこに泊まり込んでいる友人に差し入れをするために、夜の10時前にバリケードの中へ入りますが、彼は対立するセクトの幹部と間違えられて捕まえられ、椅子に縛りつけられて「尋問」を受けました。人違いであることを相手に説明しようとしたが、そのたびに鉄パイプや角棒で殴られ、床に倒れると、ブーツの底で蹴りあげられました。そして夜明け前には彼は死んでいたのです。

 『海辺のカフカ』という名前は、佐伯さんが19歳の時に作詞作曲して歌い、大ヒットしたという曲の名でもありますが、彼女はもう二度と歌わなくなり、誰とも口をきかなくなって、通っていた音楽大学にも退学届けを出してしまいます。「佐伯さんの人生は基本的に、彼が亡くなった20歳の時点で停止している」とも書かれています。亡くなった佐伯さんの恋人は現在、甲村記念図書館としてある甲村家の長男でした。

 佐伯さんは、ナカタさんとの対話の中で「思い出はあなたの身体(からだ)を内側から温めてくれます。でもそれと同時にあなたの身体を内側から激しく切り裂いていきます」と語っています。そのように、佐伯さんは、暴力によって、永遠に失われてしまったものの思い出を抱き続けて、生きてきたのです。生きる屍(しかばね)のように。佐伯さんに半分しか影がないのはこのためです。

 ☆

 さて、ではナカタさんは、どのような暴力を受けた人でしょうか。

 ナカタさんが、読み書きの能力を失ってしまい、猫と話せるようになった出来事について、前回、このコラムで紹介しました。

 それは、次のようなことでした。戦前の国民学校の小学4年生だったナカタさんが、担任の岡持節子先生に(当時26歳)に引率されて、森の中に野外学習で入ります。実際には森の中へキノコを取りにいったような行動でしたが、一緒に行った男女合わせて16人の小学生全員が意識を失って、バタバタと皆、倒れてしまうのです。岡持節子先生だけは意識を失いませんでした。

 この事件そのものは、1944年11月7日の午前、山梨県のある町で起きたことですが、『海辺のカフカ』の中では、戦後の1946年5月12日にアメリカ陸軍情報部が岡持先生らを面接インタビューした報告書の形で、記されています。

 なぜ、児童たちは倒れたのか……。毒キノコによる食中毒というものも考えられますが、その兆候はありませんでした。誰も食べ物を吐いた形跡がないのです。よく似た症状は日射病ですが、季節が11月ですので、あり得ません。

 そして、そこにいた人たちは、毒ガス、神経ガスみたいなものが、まかれたか、発生したかを考えます。米軍が散布したのではないかと思ったりするのです。

 ☆

 そのことまでは、前回、紹介しましたが、さらに米軍の報告書によると、日本軍もこの事件に興味を抱いて、調査をしていたことが記されています。それはアメリカ陸軍情報部による東京帝国大学医学部精神医学教室教授、塚山重則(52歳)に対して行われたインタビューの報告書の形で記されています。

 日本軍も、この子どもたちの集団失神に興味を抱き、その軍の命令で塚山教授が、子どもたちの調査・面談に従事したのです。1944年11月半ばのことです。調査は軍の機密事項として、口外を禁止されていました。

 前回紹介したように16人の小学生が意識を失い、15人がまもなく意識を回復しましたが、ナカタサトルという少年だけが意識を回復しないまま、東京の陸軍病院に運ばれてベッドで眠り続けています。

 診療の担当は、遠山軍医少佐でした。もしかしたら、何かの毒ガスを子どもたちが吸い込んだのではないか。やはりそんなことから、軍もこの出来事に興味を抱き、調査をしていたのですが、遠山軍医は、毒ガス説に否定的でした。遠山軍医の説明によると、確かに陸軍も毒ガスや生物兵器といった化学兵器の研究をしていますが、それは主に中国大陸にある特殊部隊の内部で行われていて、人口の密集した狭い土地では、それを行うことには無理があるということです。

 さらにB29によって、米軍が毒ガスを散布したという説も、同様に、可能性が低いことも記されています。米軍がそんな兵器を開発したのなら、まず反応の大きい都市部で使うだろうからです。

 そして、塚山教授が考えた推論は集団催眠です。遠山軍医もそれに賛成しますが、でも何がその集団催眠を解除したのかという疑問を述べています。それ対する塚山教授の答えは「わかりません」というものです。つまり、よくわからないのです。しかもナカタサトル少年だけが、なぜ長く眠り続けているかについては……。

 ☆

 そして、昭和47年10月19日に、突然、塚山教授のもとに、ナカタ少年の担任だった岡持節子先生から、長い手紙が来ます。小学生集団昏睡事件から、28年の歳月がたっていました。その手紙によると、岡持節子が、ずっと嘘をついてきたというのです。

 事件の前夜、岡持節子は、夫の夢を見ます。それは「ひどく具体的な性的な夢でした」「言葉にはあらわせないほどの肉体の快感を私は感じました」とあります。そして、翌日、子どもたちを連れて、山の森の中に入ると、子どもたちが、さあこれからキノコ取りにとりかかろうかという時に、出し抜けに岡持節子の月経が始まりました。彼女は持参していた手拭いで応急処置をし、子どもたちにキノコ取りをさせていたのですが、「中田」という男の子が、応急処置に使った手拭いを見つけて、岡持節子のところに持ってきたのです。

 岡持節子は、恥ずかしさのあまり、「気がついたとき私はその子を、中田君を叩(たた)いてました。肩のあたりをつかんで、何度も何度も平手で頬を張ってました」と手紙に記されています。

 彼女が中田君を叩いている間「気がつくと子どもたち全員がじっと私を見つめて」いたのです。我に返った岡持節子は「地面に倒れていた中田君を両手で抱き上げ」「強く抱きしめ、心から謝りました」。

 そのような言葉が記されていますが、「それから子どもたちの集団昏睡が始まったのです」。そして、子どもたちは、昏睡から目覚めた後、誰もその出来事を覚えていないのです。

 ☆

 さらに、岡持節子の手紙には、疎開児童である「中田君」に「暴力の影を認めないわけにはいきませんでした。彼のちょっとした表情や動作に、瞬間的な怯えのしるしを感じることが再三ありました」と記されています。

 中田君の父親は大学の先生で、都会のエリートの家庭です。「もしそこに暴力があったとしたら、それはおそらく田舎の子どもたちが家の中で日常的に受ける暴力とは異なった、もっと複雑な要素を持つ、そしてもっと内向した暴力であったはずです。子どもが自分一人の心に抱え込まなくてはならない種類の暴力です」と岡持節子は記していますし、彼女が「暴力を振るうことによって、そのとき彼の中にあった余地のようなものを、私は致命的に損なってしまったのかもしれません」と記しています。

 ☆

 佐伯さんは20歳の時に、恋人が人違いから、鉄パイプや角棒で殴られ、ブーツの底で蹴りあげられるという暴力で殺され、そのひどい暴力の力を一身に受けとめて、恋人との思い出だけを抱いて、屍のように生きてきた人でした。影が半分しかない人生を生きてきた人です。

 そして、ナカタさんも、暴力を一身に受けて、それを受けとめて、影が半分しかない人生を生きてきた人です。

 つまり佐伯さんと、ナカタさんは、暴力で損なわれてしまったものを一身に受けとめて、これまで生き続けてきた人なのです。

 ☆

 このコラム「村上春樹を読む」では、今年に入ってから、オウム真理教信者たちが起こした事件と、それ以後に発表された村上春樹作品を読み返すことで、いま我々が生きている世界のことを考えてきました。

 『海辺のカフカ』は、父親を殺し、母親と関係するオイディプス王の物語として、しばしば論じられたかと思います。

 作中「お前はいつかその手で父親を殺し、いつか母親と交わることになる」という言葉が記されていますし、「それはオイディプス王が受けた予言とまったく同じだ」ともあります。物語の始まりが、父親を殺したかと思われる「僕」が家を出て、四国・高松に向かう物語ですし、「僕」は佐伯さんのことを自分の母親かもしれないと思っていて、(夢の世界かと思われますが)佐伯さんと「僕」が性的に交わる物語です。

 ですから、『海辺のカフカ』は、オイディプスの神話と関係があるように読まれることは当然です。村上春樹自身がそのように書いているわけですから。

 でもなぜか、オイディプスの神話のように読むだけでは、この物語の大切なことが、漏れ落ちてしまうのではないかと思ってきました。また村上春樹自身が、この『海辺のカフカ』という作品を、そのオイディプスコンプレックスの物語と関係づけて語ることも、あまりなかったように感じています。

 ☆

 そして、オウム真理教信者の犯罪と、村上春樹作品を考えながら、『海辺のカフカ』を再び読み返してみると、「もし思い違いでなければ、たぶん私は、あなたがいらっしゃるのを待っていたのだと思います」「はい。たぶんそうであろうとナカタも考えます」という会話が、新しい姿で迫ってきたのです。

 つまり暴力というものを一身に受けとめて、生きる屍のようにして生きてきた、その2人の出会いであると受けとれたのです。

 ☆

 小学生のナカタさんに激しい暴力をふるった後、我に返った岡持節子の気持ちについて、村上春樹は、次のように書いています。

 「私は中田君をしっかりと抱いたまま、しばらくそこに立ちすくんでました。私はこのままここで死んでしまいたいと思いました。このままどこかに消えてしまいたいと思いました。すぐそこの世界では巨大な凶暴な戦争が進行し、あまりに多くの人々が死に続けてました」

 この直後に、子どもたちが集団昏睡していくのですが、そのように、岡持節子がふるった暴力と、戦争という巨大な暴力が、つながったものとして描かれている作品なのだと思います。

 ☆

 ナカタさんが、猫と話せる力を獲得する経過については、前回のこのコラムで記しましたので、それを読んでほしいのですが、そのナカタさんが、猫と話せる力を失っていくのは、猫殺しのジョニー・ウォーカーと対決して、ジョニー・ウォーカーの胸にナイフを突き立てて刺した、その後からです。

 その前にジョニー・ウォーカーがナカタさんにこんなことを言っています。

 「私は君に殺してほしいんだ。恐怖と憎しみをもって、きっぱりと殺してもらいたい。まず君は私を恐怖する。そして私を憎む。しかるのちに君は私を殺す」

 そう言っています。

 「どうしてそれがナカタなのでしょう? ナカタはこれまで人を殺したことなんてありません。そういうことにはナカタはあまり向いておりません」と話すナカタさんに対して、さらにジョニー・ウォーカーはこう言っています。

 「世の中にはそういう理屈がうまく通じない場所だってあるんだ」「たとえば戦争がそうだ」と。

 さらに「戦争が始まると、兵隊にとられる。兵隊にとられたら、鉄砲をかついで戦地に行って、相手の兵隊を殺さなくてはならない。それもなるべくたくさん殺さなくちゃならない。君が人殺しが好きとか嫌いとか、そんなことは誰も斟酌(しんしゃく)しちゃくれない。それはやらなくてはならないことなんだ。さもないと逆に君が殺されることになる」と話しています。

 またこうも加えます。

 「これは戦争なんだとね。それで君は兵隊さんなんだ。今ここで君は決断を下さなくてはならない。私が猫たちを殺すか、それとも私を殺すか、そのどちらかだ。君は今ここで、その選択を迫られている」

 ☆

 この戦争と兵隊についてのジョニー・ウォーカーの言葉は、『騎士団長殺し』の中で描かれた場面とも重なって感じられます。同作の題名ともなった『騎士団長殺し』という日本画を描いた画家「雨田具彦」の弟である「雨田継彦」が南京戦の血なまぐさい戦闘に参加したことが『騎士団長殺し』には書かれています。

 その雨田継彦が「上官に日本刀を手渡されて、これで捕虜の首を切れと命令」されたことが書かれていますが、それに対して、雨田継彦は「そんなことはしたくなかった。しかし上官の命令に逆らったら、これは大変なことになってしまう」ので「その上官の命令に逆らえなかった」ことが語られているのです。

 「いったん軍隊みたいな暴力的なシステムの中に放り込まれ、上官から命令を与えられたら、どんな筋の通らない命令であれ、非人間的な命令であれ、それに対してはっきりノーと言えるほどおれは強くないかもしれない」と、雨田具彦の息子である「雨田政彦」も語っています。これと同じことが、『海辺のカフカ』のナカタさんとジョニー・ウォーカーの対決の場面に記されているのだと思います。

 村上春樹が一貫して、同じ問題を考え続けていることが、よくわかりますね。

 ☆

 ナカタさんは、『海辺のカフカ』の中で、どこかほのぼのとした人間として、描かれています。岡持節子の告白から考えてみれば、暴力を受けた被害者でもありますが、そのナカタさんも例外ではないのです。私たちは、どこかで、戦争になったら、人を殺しかねない心を抱えているのです。その問題を、深く考えていく作品が『海辺のカフカ』なのではないかと思います。

 最後にオウム真理教信者の犯罪との関係で、加えておきますと、オウム真理教信者が行ったことは、まことに凶悪な犯罪です。でも死刑となった人たちの中にも、どうして、そんな凶悪な事件を犯したのか、よくわからないような普通の真面目な人もいたようです。

 でもその人たちが、麻原彰晃という教祖に、魂のすべてをあずけて、これをやれと迫られると、そのことを実行してしまうのです。

 その凶悪な犯罪者と、私たちの世界は、あのほのぼのとしたナカタさんが、ジョニー・ウォーカーの胸にナイフを刺したように、どこか地続きなのです。戦争はまだ続いているのです。そのことを考え続けている作家が村上春樹なのだと思います。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

******************************************************************************

「村上春樹を読む」が『村上春樹クロニクル』と名前を変えて、春陽堂書店から刊行されます。詳しくはこちらから↓

 https://shunyodo.co.jp/shopdetail/000000000780/

© 一般社団法人共同通信社