『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』奥野克巳著 生き方のゼロ地点

 このグローバル時代に、これだけ現代の価値観と隔絶した共同体が残っていることにまず驚いた。熱帯ボルネオ島の狩猟採集民プナンの村で、2006年から通算約600日間暮らした文化人類学者のフィールドワークの記録だ。

 従来の知見で解釈可能な風習や文化も多い。公然たる夜這いや共同保育。誕生日を知らない。精神疾患がない。東西南北を示す言葉がない。おむつや便所はなく、糞便・放屁の質や臭いを品評する。死んだ人間の持ち物はすべて処分され、家族や親族は名前を変える。

 著者が大いに戸惑ったのは、彼らが自分の過失や失敗について謝罪も反省もしないことだった。周りも本人の責任を追及しない。反省がなければ向上も発展もない。いや、彼らはそもそも向上も発展も求めていない。今を生きている彼らに「よりよき未来」という時間感覚はないのだから。

 個人所有を嫌い、財を分け与える彼らに貸し借りの概念はない。だから借りても返さず、物をもらっても感謝しない。謝意を示す言葉さえなく、「よい心がけ」という評価があるのみ。要するに彼らは徹底的に個人間の差異を否定する。

 さてここから、個人の欲望を追い求め、競争と格差のただ中にある私たちの社会を反省的に捉え直すことは可能だろう。しかし著者が味わったのは、あらゆる価値観が消失する感覚、どの生き方が正しく、より良いかなど判断できない価値のゼロポイントだった。

 私たちもいつの間にかその場所に立たされ、しばし考え込む。

(亜紀書房 1800円+税)=片岡義博

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