【特集】「QBつぶせ」で連想した「敵を殲滅せよ」 構図の類似

陸上自衛隊の函館駐屯地に配備されたものと同型のL90高射機関砲

 「つぶせ」という指示を忠実に受け止め、「ことの重大性」に後から気付く。しかし、トップは否定する。日本大のアメリカンフットボールの悪質な反則問題。日大の宮川泰介選手の証言を5月22日、日本記者クラブで聞いた。質問する記者に真摯に向き合い、自分の言葉で答えようとする姿勢に正直、心打たれた。卑劣な行為をしなければいけないほどに追い詰められた心境を説明する言葉にうそは感じなかった。それでも内田正人前監督は指示を認めなかった。このもどかしさは全く次元の違う過去の取材で味わったことがある。上官から指示され、部下たちが「超法規的行動」を取ったある事件だ。状況は酷似している。(共同通信=柴田友明)

日本が震撼した日

 2002年5月、筆者は神奈川県横須賀市で陸上自衛隊の元幹部と向き合っていた。戦後日本で実際に武力攻撃事態が想定され、緊張が極限に達したある事件についてのインタビューで証言を聞くためだった。

 1976年9月6日の「ミグ25事件」。米ソ冷戦下の42年前、世界を震撼させた出来事だ。「応戦」準備に陸上自衛隊が戦車を投入、高射機関砲が実弾発射された可能性があるにもかかわらず、実はまだ正確な検証作業が行われていない。

 事件は当時のソ連軍最新鋭のミグ25戦闘機が航空自衛隊の防空レーダー網をかいくぐり、北海道の函館空港に強行着陸したことから始まった。パイロットは亡命が目的だった。

 米軍から日本側に緊急情報がもたらされたのはその2日後だった。「機体を奪回、破壊するためにソ連軍による攻撃の可能性がある」。陸上幕僚監部から北海道の師団を通じて函館駐屯地にその内容が届いた。当時現場で部隊を指揮していた元幹部は部下500人に「戦闘準備」を指示したことをインタビューで認めている。飛来するかもしれないソ連機に対応するため高射機関砲、戦車2両を配備、各隊員に実弾をすぐに渡せるような状況で準備を整えていた。

破棄された資料

 自衛隊法に基づく防衛出動の命令がないまま、この元幹部は「超法規的行動」を覚悟していた。この間、陸自トップの陸上幕僚長(当時)から「攻めてきた敵は一人も生かして帰すな。敵を殲滅せよ」と電話で連絡があった。この指示は文書で示さず、あくまで口頭での命令だったという。

 「識別不明の3機が函館に向かっている」。その後、陸自のレーダーがキャッチしたとの情報に隊員の緊張はさらに高まった。別の元幹部はこの時、L90高射機関砲が海に向けて実弾発射されたと証言した。戦闘準備のための試し撃ちである。この点については最初にインタビューに応じた元幹部は否定しており、検証作業が行われないため、この間の部隊の「超法規的行動」はまだ謎が多い。

 結局、識別不明の機体は自衛隊機であることが判明。駐屯地から函館空港に部隊が展開することはなかった。しかし、文民統制(シビリアンコントロール)が効かないまま、口頭とは言え「敵を殲滅せよ」「撃滅せよ」との命令が発せられたとの証言だけが残った。当時の記録は関係者の間で封印され、公的な資料も多くが破棄されている。何やらイラク日報問題など、最近の事例と似通ったことに気付く。

 現場の元幹部たちは退官してからこのことを認めたが、命令した当時の陸幕長は否定し続けたまま亡くなった。筆者もこの陸幕長に何度も取材したが回答はいつも同じだった。自らの「独断」を公にするわけにはいけなかったのだろう。ただ、事実として証言してくれた元幹部たちからはこのまま封印されてたまるかという意気込みを強く感じたのだった。

派遣先のイラク南部サマワで、掲げられた日の丸に敬礼する陸自隊員たち=2004年2月

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