ボクシングのフライ級元世界チャピオンとして、揺るぎない実績を残したチャチャイ・チオノイ氏(タイ)が1月21日、肺炎のためバンコクの病院で亡くなった。
享年75。日本のリングにも数多く上がり、切れ味鋭い左右連打を武器に「稲妻小僧」と呼ばれた。
今から約半世紀前、世界のフライ級は強打者がひしめいていた。
日本には関光徳、海老原博幸のサウスポーが出現、メキシコではアラクラン・トーレスがKOの山を築いた。そして、タイから浮上してきたのがチャチャイである。
キックボクシングで鍛えた肉体には才能が秘められ、14歳で国際式にデビュー。すぐに頭角を現した。
1960年夏から何度も日本を訪れた。61年1月には若手強豪の関と対戦、小差の判定で敗れたが、素晴らしい打撃戦にファンは感動したという。
62年9月、東洋フライ級王座を獲得。その後、日本を代表する実力者と積極的にグローブを交え、実力、人気とも上昇していく。
66年12月、WBC王者ウォルター・マクゴーワン(英国)に地元バンコクで挑んだが、ガードの甘さを突かれ、2回にダウンを喫した。
しかし、中盤から反撃に移り、王者の目の上を切り裂き、9回KOで念願のベルトを巻いた。
初防衛戦をKOで飾った後、マクゴーワンとのリターンマッチを敵地ロンドンで行った。厳しい予想の中、7回TKO勝ち。チャチャイの意地には恐れ入る。
次の難敵がサソリと形容されるトーレス。68年1月、まずメキシコ市で激突。トーレスの顔面を切り裂き、TKO勝ち。
ところが69年2月の再戦では、チャチャイの方が流血。レフェリーストップで5度目の防衛に失敗した。70年3月、今度はバンコクで対決。初回から気合十分で、文句なしの判定で王座を奪い返した。
この王座はエルビト・サラバリア(フィリピン)に奪われたが、73年1月、人気絶頂の大場政夫にぶつかった。「今の大場には絶対に勝てないだろう」と予想されていた。ところが初回、会心の右フックで痛烈なダウンを奪い、右足首を捻挫した大場をKO寸前に追い込んだ。
結局、12回に力尽きるが、チャチャイのフックに日本中が震え上がった。
この試合から23日後に大場が自動車事故で急逝。空位となった王座決定戦を制し、3度目の世界王座を獲得した。
戦績は82戦61勝(36KO)18敗3分け。世界のリングを彩った名ボクサーである。(津江章二)