「村上春樹を読む」(76) 誰にも公平な「特別な日」 『バースデイ・ガール』

「バースデイ・ガール」(新潮社)

 村上春樹の『バースデイ・ガール』(新潮社)が、昨年11月末に刊行されました。

 2002年に村上春樹の選と翻訳で刊行された『バースデイ・ストーリーズ』(中央公論新社)という本があります。ラッセル・バンクス「ムーア人」やポール・セロー「ダイス・ゲーム」、イーサン・ケイニン「慈悲の天使、怒りの天使」などが、村上春樹の翻訳で入っています。レイモンド・カーヴァーの「風呂」は「ささやかだけど、役にたつこと」の短い版の作品です。

 そして『バースデイ・ストーリーズ』には、最後に1つだけ、村上春樹が書き下ろした短編「バースデイ・ガール」が含まれていました。その書き下ろしの村上春樹の短編の部分だけをドイツのイラストレーター、カット・メンシックのイラストと組み合わせて、1冊の本にしたものが『バースデイ・ガール』です。

 この『バースデイ・ガール』を読んで、村上春樹にとって、「誕生日」というものがどんなものなのか、ということを考えました。

 「あなたは二十歳の誕生日に自分が何をしていたか覚えていますか? 僕はとてもよく覚えている。一九六九年の一月十二日は冷え冷えとした薄曇りの冬の日で、僕はアルバイトで喫茶店のウェイターをやっていた。休みたくても、仕事を代わってくれる人が見つからなかったのだ。その日は結局、最後の最後まで楽しいことなんて何ひとつなかったし、それは僕のそれからの人生を暗示しているみたいに(そのときには)感じられたものだ」

 同書のあとがきに、このように記してあります。つまり村上春樹の誕生日は1949年(昭和24年)1月12日です。ですから1月という月は、村上春樹作品と誕生日というものについて考えるのにはいいタイミングかもしれません。

 ☆

 なぜ、村上春樹作品と誕生日というものについて考えてみようと思ったか。それにはこんなことがあります。デビュー作である群像新人賞作『風の歌を聴け』(1979年)の応募時のタイトルは「Happy Birthday and White Christmas」でした。

 講談社で、この『風の歌を聴け』の単行本の担当者だった斎藤陽子さんが、講談社100周年記念企画「この1冊!」(2012年12月15日付)として、この作品とその原題について、記しています。

 同作に「僕」の分身的な存在である友人の「鼠」が登場します。「鼠の小説には優れた点が二つある。まずセックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ。放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ」とあります。つまり「鼠」は小説を書いている人です。

 そして、物語の最後近くに「鼠はまだ小説を書き続けている。彼はその幾つかのコピーを毎年クリスマスに送ってくれる」と書かれています。その部分を斎藤さんが作品から引用して紹介しています。

 「昨年のは精神病院の食堂に勤めるコックの話で、一昨年のは『カラマーゾフの兄弟』を下敷きにしたコミック・バンドの話だった。あい変わらず彼の小説にはセックス・シーンはなく、登場人物は誰一人死なない。原稿用紙の一枚めにはいつも、『ハッピー・バースデイ、そして ホワイト・クリスマス。』と書かれている。僕の誕生日が12月24日だからだ。」

 斎藤さんは、これを引用して「原題はそこからきているのだろう」と書いています。なぜ応募時のタイトル「Happy Birthday and White Christmas」が『風の歌を聴け』となったのか、その経過などは記されていませんが、原題の部分が気になったのでしょうか、斎藤さんは村上春樹に「誕生日、12月24日なんですか?」と訊いたそうです。

 それに対する村上春樹の「いや、1月12日」という答えを聞いて、斎藤さんは驚いたようです。なぜなら斎藤さんも1月12日生まれだったからです。主人公のバースデイにこだわった「Happy Birthday and White Christmas」が原題だという作品でデビューしてきた作家と担当編集者が同じ誕生日なのです。ほんとうに驚いたでしょうね。

 ☆

 「先にも述べたように、僕の誕生日は一月十二日である。この日を誕生日にする人にいったいどんな人がいるのか、一度インターネットで調べてみたことがある」と『バースデイ・ストーリーズ』の「村上春樹 翻訳ライブラリー」版の「あとがき」に村上春樹は書いていますが、その自分と同じ誕生日の中に、ジャック・ロンドンを見つけて、ひどく幸福な気持ちになったそうです。

 それは村上春樹が「長年にわたってジャック・ロンドンの小説の愛読者であった」からです。例えば、連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2000年)の「アイロンのある風景」には、ジャック・ロンドンの『たき火』のことを話す「順子」と「三宅さん」という登場人物が出てきます。

 そのジャック・ロンドンは村上春樹の73年前、1876年の1月12日に生まれています。村上春樹はカリフォルニアを1990年代の初めに旅行した際、ワイン生産地域として知られるソノマ郡のグレン・エレンを訪れます。ジャック・ロンドンがグレン・エレンに所有していた農園を訪ねたのです。ジャック・ロンドンは1905年に、グレン・エレンにあったワイナリーを買い取り、亡くなる1916年まで、そこに居を構えて、農園経営のかたわら小説の執筆をしました。村上春樹はジャック・ロンドンの使っていた部屋や机を見ながら、気持ちのいい秋の午後を過ごしたそうです。

 そんな思い出もあって、村上春樹は毎年、誕生日がめぐってくると、その日の夕食の席でジャック・ロンドン・ワインの栓を抜いているそうです。そのボトルにはジャック・ロンドンが本のために使用したオリジナルのオオカミの絵が使用されています。

 「僕はワイン・グラスを挙げ、誕生日を同じくする」と村上春樹は記しています。ちなみに、それはカベルネ・ソーヴィニオンの辛口のおいしいワインと記されています。

 ☆

 誕生日が同じだということは、不思議なものですね。私も個人的なことを少しだけ記しますと、あるピアニストの家で10人程度の会合があったのですが、そこに同じ「小山」という名字の者が3人いて、その1人がピアニストの小山実稚恵さんでした。そして、小山実稚恵さんは、私と誕生日が同じでした。私は1949年の5月3日、小山実稚恵さんは私より10歳年下です。私たちはその時が初対面でしたが、何しろ名字が同じで、誕生日が同じです。以来、よく小山実稚恵さんのピアノの演奏を聴いています。本当に誕生日というものは不思議だなぁと、私も思っています。

 ☆

 それにしても、なぜ、村上春樹は最初の小説を応募する時に「ハッピー・バースデイ、そして ホワイト・クリスマス。」と名づけたのでしょう。『風の歌を聴け』の装丁を見ると、その中に「HAPPY BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMAS」との文字も記されていますので、村上春樹にとって、とても重要なネーミングだったと思われるのです。

 そのような思いが、『バースデイ・ガール』を読んだ時に迫ってきました。

 ☆

 まず、その『バースデイ・ガール』を紹介しましょう。その日、20歳の誕生日を迎えた女性が主人公です。村上春樹が「一九六九年の一月十二日は冷え冷えとした薄曇りの冬の日で、僕はアルバイトで喫茶店のウェイターをやっていた。休みたくても、仕事を代わってくれる人が見つからなかったのだ」というのと同じように、彼女も普段と同じようにウェイトレスの仕事をしていました。六本木のそこそこ名前のしれたイタリア料理店です。その日は金曜日で彼女の担当の日でしたが、でも20歳の誕生日のために、もう1人のアルバイトの女の子に日にちを交換してもらいました。その仕事を代わってくれはずの女の子が、風邪をこじらせて寝込んでしまい、急遽、彼女が仕事に出ることになったのです。

 でも彼女は、それほどがっかりもしませんでした。一緒に誕生日の夜を過ごすはずだったボーイフレンドと、数日前に深刻な喧嘩をしていたのです。2人を繋いでいた絆が致命的に損なわれてしまったという感覚がありました。

 彼女のほかには、常雇いの2人のウェイターと、フロア・マネージャーが1人。それにレジには痩せた中年の女性が座っています。

 40代半ばを過ぎたフロア・マネージャーは常に黒いスーツを着て、白いシャツにボウタイを自分で結んでいます。彼の仕事は客の応対とウェイターとウェイトレスの仕事ぶりを監視すること。そしてもうひとつ、オーナーの部屋に夕食を運んでいくことです。

 オーナーはお店のあるビルの6階に、自分の部屋を持っていました。そのオーナーは、絶対に顔を出さない人で、オーナーと会うことができるのはフロア・マネージャーだけで、毎晩、8時過ぎに、そこへ食事を届けるのも彼の仕事でした。下働きの者は、誰ひとりオーナーの顔を見たことがなかったのです。

 「彼女の二十歳の誕生日である十一月十七日も、仕事はいつも同じように始まった」と村上春樹は彼女の誕生日の日にちをしっかりと書き込んでいます。開店は6時だが、その日はひどい土砂降りのせいで、普段に比べると客の出足は悪く、雨のせいで、いくつかの予約がキャンセルされたりしました。

 7時半過ぎに、マネージャーの具合がおかしくなりました。10年以上、1度も仕事を休んだことはなかったのが自慢でしたが、ウェイターの1人がマネージャーを近くの病院まで連れて行きました。タクシーに乗る前にマネージャーはしゃがれた声で「八時になったら、食事を604号室に運んでくれ。ベルを押して、お食事ですと言って置いてくるだけでいいから」と彼女に言いました。

 そうやって、8時にオーナーのところに食事を彼女が運んでいく物語です。

 ☆

 ベルを押すと、ドアが突然開いて、「やせた小柄の老人」が姿を見せました。

 マネージャーが急に具合が悪くなり、今日はかわりに彼女が食事を運んできたことをオーナーの老人に伝えます。

 ワゴンを押して、部屋に入って、食事を並べて、彼女が帰ろうとすると、「いや、ちょっと待って」と老人が言います。「お嬢さん、五分ばかり君の時間をもらってかまわないだろうか?」と、その老人が言うのです。

 そして「ところで、君はいくつになる?」、老人は机のわきに腕組みをして立ち、まっすぐに彼女の目を見てそう尋ねました。

 彼女は20歳になったこと、実は今日が誕生日であることを言います。

 「今日という日がつまり、君の二十歳の誕生日なんだ」「今からちょうど二十年前の今日に君はこの世に生を受けた」

 そういう老人に「はい。そういうことになります」と彼女が答えると、「そいつはいい。それはおめでとう」と言います。

 「めでたいことだ」と老人は繰り返し、「それはまったく素晴らしいことだよ。どうだい、お嬢さん、赤ワインで祝杯をあげるというのは?」と言うのです。

 仕事中なので…と彼女が遠慮をしても、「私がいいと言うんだから」と言って、ワイングラスに少しだけ赤ワインを注ぎ、「誕生日おめでとう」「お嬢さん、君の人生が実りのある豊かなものであるように。なにものもそこに暗い影を落とすことのないように」

 と老人が言って、2人はグラスをあわせます。

 「なにものもそこに暗い影を落とすことのないように」。彼女も老人の台詞を反復します。

 「二十歳の誕生日というのは人生に一度しかないものだ。そしてそれは何ものにも替えがたい大事なものなんだよ、お嬢さん」「そして君はそんなとくべつな日に、私のところにわざわざ夕食を運んできてくれた。あたかも親切な妖精のように」

 そのように、オーナーの老人は言うのです。

 『バースデイ・ガール』の、この誕生日に対する特別な思いは、他の作家が描く<バースデイ・ストーリーズ>と異なっています。誕生日に起きた何か特別なことを書くという意味では同じかもしれませんが、物語の力が「誕生日」そのものの力に向かっているように思えるのです。

 まさに『風の歌を聴け』の鼠が原稿用紙の一枚めにはいつも、「ハッピー・バースデイ、そして ホワイト・クリスマス。」と書いて、小説を送ってくるかのようです。僕の誕生日の12月24日を祝って。

 ☆

 さらに、老人は「お嬢さん、君に何か誕生日のプレゼントをあげたいと思う。二十歳の誕生日みたいなとくべつな日には、とくべつな記念品が必要なんだよ、なんといっても」と言います。彼女は遠慮しますが、「プレゼントといってもかたちのあるものじゃない。値段のあるものでもない」「つまり、私としては君の願いをかなえてあげたいんだよ」と言います。「願いごと」を「ひとつだけかなえてあげよう」と言うのです。

 彼女も「二十歳の誕生日」なんだからと思って、「だから私は言われたとおり、願いごとをひとつした」と「僕」に話します。

 つまり、この作品は、彼女がある程度、年を重ねて、聞き手の「僕」に対して「二十歳の誕生日」にあったことを話している作品なのです。

 彼女の願いごとは「君のような年頃の女の子にしては、一風変わった願いごとのように思える」と老人は語っていますが、読者には彼女の願いごとが、何だかは知らされていません。ただし「美人になりたい」とか「賢くなりたい」とか「お金持ちになりたい」とかいうものではないことは、記されています。

 なぜなら、そういうことがもし実際にかなえられてしまって、その結果自分がどんなふうになっていくのか、彼女にはうまく想像ができないのです。「かえってもてあましちゃうことになるかもしれません。私には人生というものがまだうまくつかめていないんです。ほんとに。その仕組みがよくわからないんです」と彼女は老人に語っています。

 それを聞いて、老人は空中の一点をじっと見つめます。空中に浮かんだ何かを見ているようにして、両手を広げ、勢いよく手のひらをあわせます。「ぽんという乾いた短い音がした」と書かれています。

 「これでよろしい。これで君の願いはかなえられた」「きれいなお嬢さん、誕生日おめでとう。ワゴンは廊下に出しておくから、心配しなくていい。君は仕事に戻りなさい」と老人は言うのです。

 ☆

 彼女は、それ以来、オーナーと顔をあわせたことは一度もありません。年が明けてすぐアルバイトを辞めてしまいました。彼女の誕生日は「十一月十七日」ですから、1カ月半ぐらいして、辞めてしまったということですね。

 聞き手の「僕」に対して、彼女は「願いごとというのは、誰かに言っちゃいけないことなのよ、きっと」と言って、「願いごと」の内容を語りません。

 「僕」はその願いごとは実際にかなったのかどうかということ、さらにもっと別なことを願っておけばよかったかと思わないかなどを聞きます。

 願いごとがかなったかどうかは、イエスであり、ノオね、と彼女は言います。「まだ人生は先が長そうだし、私はものごとの成りゆきを最後まで見届けたわけじゃないから」と言います。「そこでは時間が重要な役割を果たすことになる」とも語っています。

 その願いごとを選んだことに対して後悔はないかを問われたことについても記してあります。ともかく、彼女が何を願ったのかは、作品を読んで、読者が考えるしかないのです。繰り返し読むと、願いごとの幅みたいなものが少しずつ狭まっていきますが、でも、願いごとはこれだ!というようには確定しない部分を常に残しています。短編なのに、実に村上春樹らしい作品となっています。

 ☆

 ですから、私も自分で考え、感じたことを記すしかありません。少しだけ、誕生日を描く村上春樹作品について、考えたことを書き足してみたいと思います。

 「Happy Birthday and White Christmas」にかえて名づけられた『風の歌を聴け』というタイトルはトルーマン・カポーティの短編「最後のドアを閉じろ」の最後の一行から付けられたそうです。

 『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』(2012年)の「私が死んだときには」というエッセイで、トルーマン・カポーティの短編小説「最後のドアを閉じろ」の最後の一行、この文章に昔からなぜか強く心を惹かれたことが書かれています。「Think of nothing things, think of wind」。「僕の最初の小説『風の歌を聴け』も、この文章を念頭にタイトルをつけた。nothing thingsという言語感覚がすごくいいですね」と村上春樹が書いています。

 そして、村上春樹はトルーマン・カポーティの短編小説集『誕生日の子どもたち』を翻訳刊行しています。その冒頭には表題作「誕生日の子どもたち」があり、「クリスマスの思い出」や「あるクリスマス」も入っています。

 その「訳者あとがき」には、トルーマン・カポーティが1924年9月30日生まれであることも記されていますが、「カポーティが死の床について最後に口にした言葉は、少年時代の自分の呼び名である『バディー』であったという。彼はおそらくその内なる世界にもう一度戻っていったのだろう。誰に傷つけられることもなく、誰を傷つけることもない、すべての日がクリスマスや感謝祭や誕生日であるその輝かしい無垢の世界に」と村上春樹は書いています。

 「Happy Birthday and White Christmas」(「ハッピー・バースデイ、そして ホワイト・クリスマス。」)というタイトルは、このトルーマン・カポーティの短編小説「誕生日の子どもたち」と「クリスマスの思い出」「あるクリスマス」と対応して付けられたものなのでしょうか。「Happy Birthday and White Christmas」(「ハッピー・バースデイ、そして ホワイト・クリスマス。」)と『風の歌を聴け』は、トルーマン・カポーティで繋がっているのではないのかと感じられるのです。

 ☆

 「どうしてそもそも、誕生日をテーマにしてアンソロジーを編もうと思いついたのか?」。『バースデイ・ガール』の「あとがき」には、そんな言葉に続いて、「誕生日というのは不思議なものだと、僕は前々から考えていたからだ。この世界に生きる誰しもが、誕生日をひとつ持っている。誰もがおへそをひとつ持っているみたいに」と村上春樹は書いています。

 さらに「すべての人が、一年のうちで一日だけ、時間にすれば二十四時間だけ、自分にとって特別な一日を所有することになる。お金持ちも貧乏人も、有名人も無名人も、のっぽもちびも、子供も大人も、善人も悪人も、みなその『特別な日』を年に一度だけ与えられている。すごく公平だ。そしてものごとがそこまできちんと公平であるというのは、まったく素晴らしいことではないか」と村上春樹は記しています。

 ☆

 さて、『バースデイ・ガール』はどんな願いごとをしたのか。それはわかりませんが、人は、それぞれに生きる力を持っているはずです。何ものにも奪われない、その人だけの生の力、自分が自分として、本当に生きている力で自分の生を生きられるように願ったのではないでしょうか……。

 そして、少なくとも、これだけは確かです。彼女は、オーナーの老人に願いごとを聞かれ、考えて、それを言葉にしました。読者には、その言葉、願いごとは明らかにされませんが、自分の固有の生の願い、心の中の本当の願いごとを考えて、言葉にしてみることは大切です。自分の中の本当の心の力によってしか、自分の生は実現していかないのですから。

 村上春樹 翻訳ライブラリー版『バースデイ・ストーリーズ』の「訳者あとがき」の冒頭、村上春樹は自分の誕生日について具体的に記し、「いわゆるベビー・ブーマーの世代に属している」ことを述べた後、次のようなことを書いています。

 「我々は激しい爆撃の焼け跡に産み落とされ、東西冷戦下、経済成長とともに年に堅実に一歳ずつ成長し、花開く思春期を迎え、一九六〇年代後半のカウンターカルチャーの洗礼を受けた。理想主義に燃え、硬直した世界に対して異議を申し立て、ドアーズやジミ・ヘンドリックスを聴き(ピース!)、それから、好むと好まざるとにかかわらず、あまり理想主義的とも、ロックンロール的とも言えない現実の人生を受け入れ、そして今では五十代半ばを迎えている」

 「人生の途中で、月面に人が立ち、ベルリンの壁が崩れるというような劇的な出来事も起こった。それらはその時点では、当たり前のことだが、とても重要な意味を持つ出来事であるように思えた。そしてそれらの事件は実際に、僕の人生に何らかの影響を与えているのかもしれない」

 しかし、振り返ってみて、それらによって、希望と失望のバランスの取り方が、変化したかといえば「とりたてて変化したとも思えないのだ。どれだけたくさんの誕生日を経たところで、どれだけの大きな事件を目撃し体験したところで、僕はいつまでたっても僕であり、結局のところ、自分自身以外の何ものにもなれなかったような気がする」。

 かなり長い「訳者あとがき」を、このように書き出しているのです。

 『バースデイ・ガール』の彼女も聞き手の「僕」に対して「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」と話します。

 「人間というのは、どこまでいっても自分以外にはなれないものだ」というステッカーも悪くないな、と「僕」も同意しています。

 ☆

 村上春樹の世代(私の世代でもありますが)は社会への異議を申し立てた世代です。でも自分たちの言葉が社会の側にのみ込まれていってしまいました。便利さや効率性の側に。

 その時、自分の言葉をどうやったら、失わず、自分の生を生き得るのか。そんな問題を考えるとき、どんな人にも公平にある「誕生日」を通して、本当の自分の生を考え、そこにある本当の自分から、社会をもう一度作り上げることができるということなのではないかとも思います。

 私は、村上春樹の「誕生日」の力へのこだわりに、村上春樹作品の社会性のようなものも感じてしまうのです。

 『バースデイ・ガール』の彼女の20歳の誕生日には雨が降っています。夕方にはひどい降りになりました。店の中にも晩秋の雨の深い匂いが漂っています。

 でも、村上春樹作品の雨の場面は、再生の雨であることが多いのです。私は、この彼女の20歳の誕生日の雨も、きっと再生の雨だろうと思っています。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

******************************************************************************

「村上春樹を読む」が『村上春樹クロニクル』と名前を変えて、春陽堂書店から刊行されます。詳しくはこちらから↓

 https://shunyodo.co.jp/shopdetail/000000000780/

© 一般社団法人共同通信社