「いなくなる日」

 申し訳ないのですが都合が悪くなってしまって…そうですか、それでは次の機会に-そうやって約束の変更を申し出たり承諾したりする時、まだ若い私たちは「次の機会」がやがて訪れることを少しも疑わない▲だが、いつもそうだとは限らないのだ、と昨日の社会面は教えていた。本紙の聞き書き連載「私の被爆ノート」で自身の体験を語りたい、と申し出てくださっていた長崎市の男性が取材の日を待つことなく、がんで亡くなった▲体験をつづったメモが残されていた。迫り来る病魔と闘いながら、語らなければ、伝えなければ、と記された文字が重い▲「残された時間は少ない」「いなくなる日が現実味を帯びて迫る」-被爆者たちの老いをもう何年もそんなふうに表現してきた。今年の夏もきっと誰かが書いた。だが被爆者はひとまとめの集団ではない▲あの日の体験は被爆者の数だけ違っているし、一人一人が今を生きている。「いなくなる日」が紛れもない事実だとしても、その言葉にとてつもない無神経が潜んでいることは常に自戒しておきたい。1人の被爆者の死に触れて、改めて思う▲お写真は穏やかな笑顔に見えた。どんな声で話し、どんなふうに笑い、怒り、祈る人だったのだろう。届かない思いを巡らせながら、何回も記事を読み返した。(智)

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