(4)被災地の子に遊びを 遊びは生きることそのもの 心の傷治癒する表現

By 佐々木央

この日も「あそびたいや」で遊び場にやってきた神林俊一さん=宮城県気仙沼市(筆者撮影)

 軽ワゴンの車体には派手な彩色で楽しげなイラストが描かれている。子どもに遊びを届ける車の名前は「あそびたいや」。自由な発想で使える遊び道具を満載して走る。

 操るのは「プレーワーカーズ」という団体で事務局長を務めるカンペーこと神林俊一(かんばやし・しゅんいち)さん。宮城県気仙沼市を拠点に東日本大震災の被災地を走り回る。被災した子どもに遊んでいる余裕なんてあるんだろうか。

 「子どもにとって遊びは生きることそのもの。被災した子たちは想像を絶するつらい体験をしたのに、遊び場さえ失ってしまう。遊びの場を保障する必要があるんです」

▽津波ごっこ

 震災後1カ月もたっていない2011年4月初めに被災地に入り、気仙沼に遊び場を作った。子どもたちはそれまでためていたものを一気に吐き出すように遊び始める。

 

 目立ったのは「津波ごっこ」という遊び。ブルーシートのプールにためた水を一気に流して「津波警報発令中です」と大声で繰り返して笑う。滑り台の上から青い大きなゴムボールを転がし、下にいる子が「津波が来るぞー。よけろー」と叫んでかわす。

 大人には不謹慎に見えるが「この遊びこそが自分の心の傷を治癒し整理していく表現だった」。

 小5の女の子が中心になって半年かけて木造の秘密基地を作った。3階部分が完成。背丈よりはるかに高い。「やったあ」と歓声が上がる。

 「楽しく遊べるね」と声を掛けると「ばかだなあ、カンペーは」と返された。「遊ぶために作ったんじゃない。これだけ高かったら津波が見える。逃げて来られるでしょ」

 神林さんは感動した。「子どもが自分の力で克服しようとしている」

▽衝撃的言葉

 当時、復興に向けて「子どものための町づくり」といったスローガンがはやった。「違和感があった。方便として子どもを使っているようにしか思えなかった」と神林さん。町づくりの会議に出て来る子はみな生徒会役員や優等生のようだった。

 12年初冬、神林さんは地域で不良と見なされていた少年たちと出会う。きっかけは子どもの母親の通報だった。「カンペーさん、大変だよ、遊び場でたき火している人たちがいるよ」

 行ってみると確かに火がある。茶髪にピアスの男の子が3人。だが、どこかおびえているように見えた。話すうち、3人とも高1の年代だが、学校にも地域にもなじんでいないことが分かった。そして「津波が来て良かった」という衝撃的な言葉を彼らの口から聞く。

 3人のうち引きこもりだった子は、震災後「久しぶりに昼間外出できた」。3人ともがれきの整理や支援物資の運搬を手伝い「むかつくやつらが、おれらのこと必要だって言ってくれた」。津波が来て良かったと言わざるを得ないほど、排除され、傷ついてきたのだ。

 今また、彼らのような子どもたちを排除する地域に戻りつつある。「そうした排除されがちな子たちの思いや意見も取り込んで、復興を考えていく必要があると思います」

 

子どもの時間を区切らない 自由得れば生き生きと

 どんなイベントにも終わりの時間が来る。ある日「終わりだよ、片付けよう」というスタッフに、小学生の男の子が「人生終わった」とつぶやいた。どうやら作りかけのいすが完成しないまま終わってしまったらしい。

板を渡って遊ぶ子どもたち。危ないからやめろという大人はいない=宮城県気仙沼市(神林俊一さん提供)

 大人が子どもに関わり、子どもの時間を区切ってしまうことの怖さ。神林俊一さんは「子どもには子どもの時間がある。時間の使い方を自分で決められれば、その子はその子らしくできる」と話す。ではどうすればいいのか。

 「基本的には大人がプログラムを組まない。遊び方はその子が作っていく。楽しい遊び方を与えると、子どもは楽しんでやっちゃう。それは子どもが作る楽しみじゃなくて、大人が与える楽しみになってしまう。子どもが必要としているのは何もしない時間なのかもしれないのに」

 自由を取り戻したとき、子どもがどんなに生き生きするか。

 今年初め、神林さんは遊び場にキャスター(小さい車輪)を持って行った。子どもたちは「靴の裏に付けたらスケートができる」と発想。粘着テープでぐるぐる巻きにして靴につけた。でも立ち上がって滑ろうとすると、壊れてしまう。

 そこで「段ボールか板にくっつけて、それを靴に付ければいい」と改良型に取り組む。でも滑ってみると、バランスが悪くて滑らない。みんな大爆笑になった。

 「結果はどうでも良かったのだと思います」と神林さん。滑ろうとしている子が「きょうは最高だあ。こんなに自由な時間は初めてだよー」と笑っていたからだ。

メモ「朝から行っても怒られない」

 神林俊一さんが属する「プレーワーカーズ」は、子どもの自由を最大限に重視する「冒険遊び場」とか「プレーパーク」と呼ばれる運動。神林さんはその申し子のような人だ。

 小学校からいじめに遭い不登校に。中2で東京・世田谷のプレーパークに出合う。入り浸るようになったのは「朝から行っても怒られないから」。

 そこにはホームレスから公務員まで、さまざまな人がいた。「学校に行けなければ人生は終わり」と思っていたが「何とかなるんだなと思えた」と言う。

記者ノート「壊してもいい」

 やりたいことができる環境をつくっているので、子どもたちはここぞとばかりに力を発揮する。遊ぶ子どもを見ながら、お母さんは「うちの子、大丈夫かな」と不安そう。

 神林さんが説明する。「壊してもいいんですよ。きっと心を整理するために必要なんです」「1人でうつむいているけれど、あれ、じっくり実験しているんですよ」「ぐるぐる、ただ回るって楽しいみたいですよ」。

 一見すると分かりにくい子どもの楽しさを伝えると、お母さんがほっとした表情に変わった。(共同通信編集委員佐々木央)

© 一般社団法人共同通信社