(9)日本語学習会 生きていくための言葉を 自己実現支える教室

By 佐々木央

勉強の合間に子どもと遊ぶ北川さん

 秋田県能代市で20年以上前から「のしろ日本語学習会」を続ける北川裕子(ゆうこ)さん。地域に住む外国人や中国からの帰国者、その子どもたちに「生きていくための日本語」を教えてきた。「こうした人たちを丁寧に受け入れていくことは、彼らの人権を守るためだけでなく、私たちの社会をより良いものにしていくためにも必要なことです」と話す。異文化と向き合う意味や課題を聞いた。

 ▽良い関係をつくる学び

 2月の夜、公民館に生徒が集まってきた。小中学生から中高年まで年齢も国籍もさまざま。20人以上が思い思いの席でノートやドリルを広げ、課題に取り組む。傍らにはボランティアの先生。

 北川さんは中国人女性に形容詞や形容動詞の接続を教えている。次々に用例を黒板に書き、答えさせる。女性が最後に「分かったあ」と歓声を上げ、北川さんに飛びついた。「彼女は言葉遣いのせいで義母に『こわい(きつい)』と言われている。生きていくためには正しいだけじゃなく、良い関係をつくる言葉でなければ」と北川さん。

 授業の終わり、北川さんの夫 智彦(ともひこ)さんが鬼のお面をかぶって登場、みんなで豆をぶつけて日本の節分を楽しんだ。

 教室開設のきっかけは中国残留邦人の帰国。中国語を学んでいた北川さんは、市の依頼で帰国者一家に日本語指導を始めた。その後、農家に嫁ぐ外国人女性が増える。

 「会話ができれば十分という人もいるけれど、子どもが生まれたら健診や予防接種、保育園や学校との連絡もある。それだけでなく社会参加や自己実現のためにも、読み書きが絶対必要です」

 ▽あなたはできるんだよ

 教室は外国人の子どもにも対象を広げていく。家庭の言語環境が影響し、会話に不自由しないように見えても、学習に困難が出てきたからだ。

日本語の発音を教える

 例えば、母がフィリピン人の小5女子は割り算でつまずいた。「全然分かんない。無理、やりたくない」。担任も「あの子は根気がない」と半ば諦め顔。北川さんは「割られる数」と「割る数」の意味が分からなかったと聞き出す。

 「茶わんを割る」から「割る」を壊すことと思い、「割られる」という受け身も理解していなかった。言葉の意味を教えると、割り算が解けるようになった。

 父が中国残留邦人3世、母が中国人の小4、T君は日本の九九が覚えられず親も教えられない。「九九は小3で全部覚えることになっている。でも5年ぐらいまでに覚えればいいと思って教えています。僕はやったって駄目なんだと思ってしまうと、大人になるまでに自分を捨ててしまう。あなたはできるんだよっていうきっかけを与えたい」

 T君は冬休みの教室で苦手だった算数の文章題が解けるようになり「楽しい」と笑顔を見せた。

 北川さんは小学校の日本語学習支援もしている。「子どもの居場所である学校は、異文化をルーツに持つ子の家庭環境や人間形成、言語教育に関心を払ってこなかった。その大切さを理解してもらうためにも、日本語指導者に力量が必要です」

文化に触れる機会、多様に 国際理解でなく人間理解

 年明け、北川裕子さんは中国人受講生から相談を受けた。「日本は女性が33歳になると厄払いをするそうですが、私も今年33歳になります。夫が厄払いしたらどうかと言うので私もやってみたいです。お母さん(義母)が着物を貸してくれるそうです。どこでやったらいいか教えてください」

 教室のみんなが「ステキ」と応援し、北川さんの元同級生が宮司を務める神社で厄払いをした。

教室風景。中央の男性が智彦さん

 のしろ日本語学習会は、花見やバス旅行、茶会や書道・生け花・料理の教室に加え、盆踊り大会も開催、日本文化に触れる機会を大切にしている。「言葉はそれを支える文化や習慣があってこそ成り立つ。日本語だけを教えても日本人の考え方や日本の文化を理解することはできません」と北川さん。

 こうした行事は地域の日本人社会も変化させた。19年続く学習会主催の盆踊りには、商店街や町内会も手伝い、日本人も含めて数百人が参加する。英語も中国語も話せないお年寄りが踊りの手本を示す。

 「以前は外国人のお嫁さんが買い物をしていても声を掛けてもらえなかったのに、今はお年寄りが『どうしたの』って声を掛けて『こっちがシャンプー、こっちがリンス』って教えてくれるようになりました」

 地域の外国人や子どもたちが一生懸命に生きている姿に触れたからだ。

 日本語教室が地域を支えるネットワークの要になることが北川さんの理想だ。「国際交流ではなく人間交流、国際理解ではなく人間理解なんです」

「メモ」災害時の通訳支援

 昨春の能代市の総合防災訓練で、のしろ日本語学習会は受講者から初めて通訳者6人を送り出した。母語は英語、中国語、韓国語、タガログ語、ロシア語、パキスタンのウルドゥー語。それぞれの言葉で「ここには通訳支援者がいます」と表示した。

 大学も国際交流協会もない地方の町は、災害時の通訳支援を学生や留学生に頼ることはできない。対応できるのは地域にいて日本語ができる外国人だ。日本語が分からないつらさが理解できるからこそ、支援者として最もふさわしいといえる。

「記者ノート」偏見は消えたか 

 日本語を教え始めたころ、北川裕子さんが感じたのは「中国から来た人たちを受け入れる土壌が日本にはない」という現実だった。「何でわざわざ来たの」とか「食べられないからじゃないか」といった冷たい反応。それは北川さんたちの活動によって、能代市や周辺では 払拭 (ふっしょく) されていった。

 だが、北川さんのような人がいない地域ではどうか。外国人労働者や外国人の花嫁、その子どもたちに対する偏見、あるいは見て見ぬふりはなくなっただろうか。問いは自分自身にも突き刺さる。(文と写真、共同通信編集委員佐々木央)

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