第3部「沈黙」(7) 震災で見つけた「役割」 東京の医師が応援

精神科医の山科満は1~2カ月に1度、東京から岩手県洋野町に足を運ぶ。ひきこもり支援を続ける大光テイ子の頼れるパートナーだ。

 岩手県洋野町の保健師大光テイ子(だいこう・ていこ)(65)は定年後、高齢者の暮らしを支える地域包括支援センターを拠点に、ひきこもりの人の社会復帰を後押ししている。家庭訪問に同行するのは、精神科医の山科満(やましな・みつる)(56)だ。
 
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 中央大(東京)で精神医学を教える傍ら臨床にも携わる山科は、東日本大震災の直後、家族を失った人のケアのため洋野町近くの地域に入った。避難所の巡回の合間に、ひきこもりの人の元にも足を運ぶようになった。

 ある男性は自宅から10年間出ていなかった。津波が村を襲った後、自ら救援活動に加わったが、状況が落ち着くと、再び元の生活に戻っていた。

 山科は自宅を訪問し、「津波の体験を話してほしい」と頼んだ。震災の「語り部」になってもらおうと考えたのだ。東京から来た山科のために、ストーブに火を入れ、静かに語る男性。「話していただき、ありがとうございました」。礼を言うと、男性は無言で玄関まで見送った。

 「震災という特殊な状況の中、自分の役割を見つけ、人としての尊厳を取り戻したのではないか」。何度か顔を合わせるうちに、男性はがれき拾いのアルバイトを始め、定職に就いた。

 漁業や農業が盛んで、老若男女が働くのが当たり前の土地柄。県外で働き、人間関係が原因で職場になじめず、帰ってきた人も少なくない。「『働かざる者、生きるべからず』との空気がある。無職でいることが本人たちを追い詰め、ひきこもるしかなくなっている」

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 山科の活動に目を止めたのが、大光だった。ひきこもりの人の中には心の病が見過ごされているケースがあるが、受診には抵抗感が強く、訪問してくれる医師もいない。「支援の手掛かりを得るためには、医療と連携が必要だ」と感じた。

 山科は家族の話に耳を傾けながら、本人が病院にかかる必要があるかどうか判断する役割も担う。1~2カ月に1度、大光に同行。2人は5年余りで約30軒を回った。

 大光は訪問の際、相手の状況を慎重に見極める。本人が荒れていれば、つかず離れずで様子を見たり、家族から急な支援の依頼があれば、迅速に対応したりする。その姿勢に、山科は共感してきた。

 「ひきこもりの人は地域全体で支えていく必要がある。大光さんのような人が、どれだけいるだろうか」(敬称略)

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