【第31回 インド】ヨガの呼吸でアハハ 高らかに、世界席巻

 ドイツ・フランクフルトで開かれた「笑いヨガ」の初の世界大会。公園でインド人医師マダン・カタリア(手前)が両手を上げて実演すると、笑いの渦が広がっていく(撮影トマス・ローネス、共同)

 「アッハッハ」。雨上がりのドイツ・フランクフルト。まぶしい新緑の公園で、インド人医師マダン・カタリア(61)が一声を上げると、100人ほどの男女の笑い声が共鳴し、波のように広がった。
 手拍子を打ち、大きく息を吸って、演じるように笑い転げる健康法「笑い(ラフター)ヨガ」。6月下旬に同市で、初の世界大会が開かれた。移民の若者も散歩の途中で、笑いの渦に吸い込まれた。「おかしくなくても、ヨガの呼吸で体操として笑おう」と、カタリアは訴える。「幸せはその後で生まれる。ハハハ」

 ▽気難しい社会

 「笑いの導師(グル)」とも呼ばれるカタリアは、北部パンジャブ州の貧しい村で生まれ、西部ムンバイで医師になった。4人の仲間と活動を始めたのは1995年。インドは膨大な人口がひしめき合う、気難しい格差社会だ。しかめ面が張り付いたような人は少なくない。

 「ストレスを減らして健康になろう、とクラブを結成した」。公園で毎朝笑っていたが、10日ほどでジョークの種が尽きた。
 「目的は健康だから、うそでも笑うことにした。一種の体操と考え、ヨガを取り入れた」。笑いを演じて、ストレスを減らす健康法だ。

 

 腹式呼吸でゆっくりと吐く息に、笑いを乗せる。さらに息を吸って酸素を十分に取り入れる。15分以上繰り返す。まず体がリラックスし、後で気持ちも軽くなる。周囲も楽しい気持ちになる。

 「おかしいから笑う」だけでなく「笑って幸せになる」。発想を転換した時、ヨガ発祥の地に、世界を席巻する新風が生まれた。
 伝統ヨガの指導者たちは「不真面目だ」と批判したが、口コミや報道で、各地へ広がっていった。

 次々と“伝道師”が現れ、米国を皮切りに2000年代以降、世界106カ国・地域に草の根で普及。愛好者は一説に25万人以上(米誌ニューヨーカー)とも。生真面目な社会性が共通するためか「特に日本とドイツでの勢いが強い」とカタリア。日本にはクラブが約800、愛好者が約3万人いるという。

 

 インド北部パンジャブ州ルディアナの寺院で行われた「笑いヨガ」。気難しい大人が少なくないインドだが、シーク教徒の男性らが相好を崩した(撮影プリヤム・ダール、共同)

▽大きい世界

 「ハラショー」「非常好」「ベリーグッド」。約30の国と地域、約300人が集う世界大会では、各国語が飛び交った。
 関西で普及活動をする林小絵(はやし・さえ)(40)は東京で仕事を辞め、人間関係に悩んでいた5年前、笑いヨガの存在を知った。「引っ込み思案だったが、笑うことで自分の心に正直になり、生きやすくなった」と言う。

 大阪市の青木真起子(あおき・まきこ)(51)が指導するクラブには、自閉症の会員もいる。保護者は「周囲にからかわれるので笑うな」と教えていた。「硬かった表情が変わった」。熊本地震の避難所では、被災者の心の支援にも、笑いヨガが力を発揮する。
 紛争下のイスラエルでも盛んだ。ユダヤ人アナト・トクジャマン(45)は、パレスチナ自治区ガザの近くで安宿を経営する。ガザで衝突があるたび、爆発音とテロの恐怖に苦しんできた。「おかげで日常生活でも笑えるようになった」。防空壕(ごう)で実践し、市民のパニックを抑えた仲間もいる。
 メキシコの刑務所は、囚人の更生プログラムに組み込み、性格が穏やかになる効果を上げた。ストリートチルドレンの犯罪を抑止するため導入した南米ベネズエラ。ドイツでは企業の社員交流に役立てる。
 笑いヨガが高齢者の医療費削減につながるとの見方もある。カタリアは「わたしが想像していたより、もっと大きい、新しい世界を生み出せた」と目を細めた。

「笑いヨガ」世界大会には喜劇王チャップリンの孫娘ローラ・チャップリンさんの姿も。会場でさまざまな笑いの表情を見せていた=ドイツ・フランクフルト(多重露光、撮影トマス・ローネス、共同)

 ▽大地の上で

 「深呼吸して、笑いながら息を吐き出して」。パンジャブ州ルディアナの5月は、気温が40度を超える灼熱(しゃくねつ)の季節だ。私立学校の校庭で、まっすぐな目をした若者数百人が、カタリアのかけ声で大笑いしていた。故郷が近い。高校生らを対象に、クラブを始めた。

 「インドは学歴社会で、子どもは受験勉強のストレスが大きい。娯楽はネットばかり。笑うのが大切と考えたんだ」
 カタリアは20年以上、高熱が出ても、毎朝30分の笑いを欠かさなかった。思い描く理想の「インドモデル」とは「厳しい社会でも、祭りや結婚式で家族や仲間が集えば、子どものような笑みが自然とあふれる。そんな境地だ」。夢はインドに、笑いの大学を設けることだ。

 「現代社会は苦しみばかりだ。大災害に経済危機、イスラム過激派のテロ。家に閉じこもって、泣いてたら寂しいじゃないの。さあ、大地の上で、顔を合わせて笑おう」
 笑いは意志だ。アハハハ、ワハハ。高らかに、生きるために。(敬称略、共同通信・高山裕康)

 

      【エピローグ】社会を映して

 

 「笑い上戸で、心の底から陽気」。幕末・明治を外国人の目で見た「逝きし世の面影」(渡辺京二)による当時の日本人の姿だ。
 笑いヨガの普及で、生真面目な日本人サラリーマンを笑わせるのは特に大変と聞く。日本が笑いの少ない社会になったのは、近代化が原因なのかも知れない。
 のどかな時間が過ぎるヒマラヤの村々と比べ、数千万人が競争するインドの大都市は、人々の表情が険しい。世界で笑いヨガが広まったのも、主要な大都市だ。
 ただ人種や国籍が違っても、不思議と笑い声は共通している。トルストイが幸福について「不幸とは違い、どれも同じように見える」と指摘したことと、関係があるのかもしれない。

地図
2017年6月22日撮影  ドイツ・フランクフルトで開かれた「笑いヨガ」の初の世界大会。公園でインド人医師マダン・カタリア(手前)が両手を上げて実演すると、笑いの渦が広がっていく(撮影トマス・ローネス、共同)(

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