難民への小さな善意が心に染みる カウリスマキ監督の映画「希望のかなた」

映画「希望のかなた」より (C)SPUTNIK OY, 2017

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、戦争や迫害によって住む場所を追われた人は、2016年末時点で世界に6560万人いる。内戦で混迷を極めるシリアからは多くの難民がトルコや欧州に渡った。アキ・カウリスマキ監督の新作「希望のかなた」は、シリア人青年カーリドが、フィンランド・ヘルシンキの港にたどり着く場面で幕を開ける。

 カーリドは警察を訪れて難民申請の手続きを始め、収容施設に入る。入国管理局でカーリドが語るのは、自分と家族を襲った悲劇。誰による仕業か分からない空爆で自宅が破壊され、家族や親類は命を落とした。生き残った妹ミリアムと国境を越えるが、その途上で生き別れとなる。カーリドの望みは、妹を見つけ出してフィンランドに呼び寄せること。しかし申請は無情にも却下され、カーリドは強制送還されそうになるが、施設職員による反職務的な機転によって街へと逃げ出す。

 一方、ヘルシンキで衣類のセールスマンとして働くヴィクストロムは日々に嫌気が差し、妻も仕事も投げ捨てるようにして家を出る。ちょっとした幸運によってレストランのオーナーとなるが、やる気のない従業員がランチメニューに缶詰を供するような、さえない店だった。そんな店に、野良犬のように疲れ果てたカーリドが訪れ、ヴィクストロムと出会う。

 「過去のない男」「街のあかり」などで、街の片隅に生きる人々の哀歓をフィルムに刻んできたカウリスマキ監督。レトロで情感豊かな光、最小限にまで減らしたせりふ、人物と風景を等価に置くような絵画的画面構成―。カウリスマキ映画の“文法”は保ったままではあるが、本作には明確なステートメントが盛り込まれている。

 プレス資料に寄せたメッセージによると、監督は映画の狙いを「難民のことを哀れな犠牲者か、さもなければ社会に侵入しては仕事や妻や家や車をかすめ取る、ずうずうしい経済移民だと決めつけるヨーロッパの風潮を打ち砕くこと」としている。

 かといって、映画で人々の差別意識や固定観念を簡単に拭えるわけではないことも、カウリスマキは分かっている。メッセージは、観客の感情を操り、意見や見解を感化しようとする企てはたいてい失敗に終わるとした上で、こう続く。「その後に残るものがユーモアに彩られた、正直で少しばかりメランコリックな物語であることを願います」

 ネオナチに襲われたカーリドは難を逃れることができるのか。そして妹に会えるのか。極めて不安定な立場にあるカーリドに感情移入し、一喜一憂していると、行き会う人の小さな善意が心に染みる。人間性が本当に問われる場面とは、人と人が関わる偶発的な場面で表出する、ちょっとした言動なのだ―。そんなことを教えてくれる、良質な物語である。(上野敦 共同通信記者)

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