「村上春樹を読む」(74)「<うまい>キウリの海苔巻き」「食の屈指の名場面」

『ノルウェイの森』(下)講談社文庫

 この1年半ほど共同通信の文学担当の編集委員として、「文学を食べる」という企画を毎週連載しています。夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、太宰治ら近代日本の作家の作品に登場する食べものを取り上げて、作中で持つ、その食べものの意味を考え、さらにその食べものが日本文化の中で、どのように食べられてきたかを書いていく連載です。

 第1回は、吉本ばななさんの『キッチン』と「カツ丼」から始めましたし、角田光代さんの『八日目の蝉』では「素麺」を、俵万智さんの歌集『チョコレート革命』では「バレンタインチョコ」を、最近も辻原登さんの『冬の旅』では「串かつ」、黒井千次さんの『高く手を振る日』では「焙じ茶」など、現代作家の作品と飲食物のことも書いています。

 そして現代作家の中で、食べものを作品の中に描くことでは、屈指の作家である村上春樹のことも、当然、何回か取り上げています。今回の「村上春樹を読む」はこの「文学を食べる」の中で取り上げた『ノルウェイの森』(1987年)に出てくる「キウリの海苔巻き」という食べものを通して、村上春樹の中の「物語の力」について考えてみたいと思います。

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 『ノルウェイの森』には、「直子」と「緑」という対照的な女性が登場します。ビートルズの「ノルウェイの森」が好きな直子は、京都のサナトリウムの森の奥で自殺してしまう人で、死の象徴のような女性です。もう1人の「緑」は、まるで「春を迎えて世界にとびだしたばかりの小動物のように瑞々しい生命感」に満ちた女性です。そして『ノルウェイの森』に「キウリの海苔巻き」が出てくるのは「緑」の方の話で、同作下巻第7章にあります。

 「僕」が大学にしばらくぶりに行って、文学部の図書室に向かって歩いていると「小林緑」とばったり出会うのです。「ずっとここのところあなたいなかったでしょ? 私何度も電話したのよ」「どうしたの? あなたなんだか漠然とした顔してるわよ。目の焦点もあっていないし」「幽霊でも見てきたような顔してるわよ」などと緑は言います。

 大学を留守にしていた間、「僕」は京都のサナトリウムにいる「直子」のところに滞在していたのですが、そこから帰ってきた「僕」に「緑」が「幽霊でも見てきたような顔してるわよ」と言っています。つまり「直子」は「幽霊」みたいな存在、死者の世界にいる女性であることが、村上春樹によって、はっきり記されていると思います。

 そして、大学の授業が終わった後、「僕」と「緑」は新宿の「DUG」に行って、お酒を飲みながらいろいろ話をしています。「私のこともっと知りたい?」と「緑」が言うと、「興味はあるね、いささか」と「僕」は応答しています。それに対して「ねえ、私は『私のこともっと知りたい?』って質問したのよ。そんな答っていくらなんでもひどいと思わない?」と「緑」が詰め寄ります。この辺り、「緑」の方が活発で、「僕」は押され気味ですね。

 「じゃあ、今度の日曜日、私につきあってくれる?」と「僕」に「緑」が迫り、日曜日の朝の9時半に「緑」は「僕」の住む「寮」に迎えに来ます。「誰かが僕の部屋をどんどん叩いて、『おいワタナベ、女が来てるぞ!』とどなるので、玄関に下りてみると緑が信じられないくらい短いジーンズのスカートをはいてロビーの椅子に座って脚をくみ、あくびをしていた」のです。

 この「緑」という女性の描き方は実に生き生きとしていて、まさに「春を迎えて世界にとびだしたばかりの小動物のように瑞々しい生命感」に満ちています。

 「キウリの海苔巻き」という食べものが登場するのは、まさにこの日です。

 2人は「駅から電車に乗ってお茶の水まで」行きます。「ところでお茶の水に何があるの?」と「僕」が訊いても、「緑」は「まあついてらっしゃいよ、そうすればわかるから」と言うだけです。そのあと、2人は英語の仮定法現在と仮定法過去の違いについて話したり、マルクスの『資本論』のことを話したり、当時の学生運動に参加している人たちのインチキさについて話したりしていますが、「我々は何処に向かっているんだろう、ところで?」と「僕」が訊くと、ようやく「緑」は「病院よ。お父さんが入院していて、今日いちにち私がつきそってなくゃちゃいけないの。私の番なの」と言うのです。

 「緑」の父親は、彼女の母親が2年前に亡くなったのと同じ脳腫瘍を患っていて、その具合は「はっきり言って時間の問題」なのだそうです。

 「緑」の父親は2人部屋の手前のベッドに「深手を負った小動物」のように寝ています。点滴の針のささった左腕、頭には白い包帯がまきつけられ、青白い腕には注射だか点滴の針だかのあとが点々とついていて、半分だけ開いた目で空間の一点をぼんやりと見ていますが、僕が入っていくとその赤く充血した目を少しだけ動かして我々の姿を見ます。そんな目を見ると、この男はもうすぐ死ぬのだということが理解できるのです。

 「緑」の「どう、今日は?」という問いに、父親はもそもそと唇を動かして<よくない>と言います。「頭が痛いの?」と訊くと<そう>。手術直後のせいもありますが、4音節以上の言葉はうまくしゃべれないようです。

 「緑」は「この人ワタナベ君。私のお友だち」と紹介、「僕」も「はじめまして」と挨拶をするのですが、父親は半分唇を開き、そして閉じてしまいます。

 「緑」は父親に水さしの水を少し飲ませ、果物かフルーツ・ゼリーを食べたくないかと訊きますが、<いらない>と父親は言います。少し食べなきゃ駄目よと緑が言っても<食べた>と彼は答えます。

 父親のベッドの枕もとには物入れを兼ねた小テーブルのようなものがあって、そこに水さしやコップや皿や小さな時計がのっていて、その下には着がえなどが入った大きな紙袋があります。紙袋の底の方には病人のための食べものが入っていました。

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 それは「グレープフルーツが二個とフルーツゼリーとキウリが三本」でした。

 「キウリ?」と「緑」がびっくりしたようなあきれた声を出します。「なんでまたキウリなんてものがここにあるのよ? まったくお姉さん何を考えているのかしらね。想像もつかないわよ。ちゃんと買物はこれこれやっといてくれって電話で言ったのに。キウリ買ってくれなんて言わなかったわよ、私」と「緑」は言うのですが、「僕」が「キウイと聞きまちがえたんじゃないかな」と言うと 、「緑」はパチンと指を鳴らして「たしかに私、キウイって頼んだわよ。それよね。でも考えりゃわかるじゃない? なんで病人が生のキウリをかじるのよ? お父さん、キウリ食べたい?」と言っても、<いらない>と父親は言っています。

 「本当に何か食べたくない、お父さん?」と訊いても<いらない>というのです。

 今度は「緑」が「ワタナベ君、グレープフルーツ食べない?」と訊きますが、「いらない」と僕も答えています。

 医師の回診が終わって、食事の時間となりますが、「緑」の父親用のものはポタージュ・スープとフルーツとやわらかく煮て骨をとった魚と、野菜をすりつぶしてゼリー状にしたようなもの。「緑」はスプーンですくってスープを飲ませますが、父親は五、六口飲んでから顔をそむけるようにして<いらない>と言います。

 このように「緑」の父親の答えは<いらない><いらない><いらない>なのです。

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 仕方なく、「緑」と「僕」は病院の食堂に食事を取りに行くと、緑は2人分の定食をアルミニウムの盆にのせて運んできてくれます。クリーム・コロッケとポテト・サラダとキャベツの千切りと煮物とごはんと味噌汁です。

 この辺りの村上春樹のご飯・食べものに関する描写、とても詳しいですね。でも「僕」は半分ほど食べてあとを残してしまいます。「緑」はおいしそうに全部食べてしまいます。「ワタナベ君、あまりおなかすいてないの?」と「緑」が熱いお茶をすすりながら言うので、「僕」も「うん、あまりね」と答えると、「病院のせいよ」と「緑」が言うのです。病院の匂い、音、病人の顔、緊張感、苛立ち、失望、苦痛、疲労…が「胃をしめつけて人の食欲をなくさせるのよ」と「緑」は「僕」に語っています。

 「緑」の親戚の人たちが見舞いに来てくれた時にも、一緒にここでご飯を食べると、みんなやはり半分くらい残すそうです。「緑」がペロッと食べちゃうと「ミドリちゃんは元気でいいわねえ。あたしなんか胸がいっぱいでごはん食べられないわよ」と親戚たちは言います。

 「看病をしているのはこの私なのよ。冗談じゃないわよ。他の人はたまに来て同情するだけじゃない。ウンコの世話したり痰をとったり体拭いてあげたりするのはこの私なのよ」「いい年した人たちなのにどうしてみんな世の中のしくみってものがわかんないのかしら、あの人たち? 口でなんてなんとも言えるのよ。大事なのはウンコをかたづけるかかたづけないかなのよ。私だって傷つくことはあるのよ。私だってヘトヘトになることはあるのよ。私だって泣きたくなることあるのよ」

 そのように、「緑」は語っています。この部分は「春を迎えて世界にとびだしたばかりの小動物のように瑞々しい生命感」に満ちた『ノルウェイの森』の「緑」の最深部でしょう。いつも「緑」は活発で、明るく、愉快なキャラクターの女性として、記憶に残る女性ですが、そうではない部分を抱えながら生きているのです。「緑」もまた「死」がすぐ近くにある人間なのです。

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 さてさて、「キウリの海苔巻き」という食べものが登場するのは、ここからです。

 明らかに、「緑」は少し、父親の看病で疲れています。週に4日は父親の病院に来て、お姉さん(ちなみに、姉の名前は「桃子」です)は週に3日、病院に来ているというのです。

 「僕」は「二時間ばかり一人でそのへん散歩してきなよ」「僕がしばらくお父さんのこと見ててやるから」と「緑」に言います。「少し病院を離れて、一人でのんびりしてきた方がいいよ。誰とも口きかないで頭の中を空っぽにしてさ」と加えるのです。「緑」も「そうね。そうかもしれないわね」と従います。

 病室に戻ると「緑」は父親に、自分は用があるのでちょっと外出すると言って、「緑」の父の脇には「僕」だけが残ります。

 眠っていた「緑」の父親が目を覚まして咳を始めたので、「僕」はティッシュ・ペーパーで痰を取ってやり、タオルで額の汗を拭き、「水を飲みますか?」と訊くと「緑」の父親は「四ミリくらい肯いた」ので、水さしで水を飲ませます。

 「もっと飲みますか?」と訊くと、<もういい>と彼は乾いた小さな声で言います。

 「何か食べませんか? 腹減ったでしょう?」と言って、野菜ゼリーと煮魚をスプーンでひと口ずつすくって食べさせると、半分ほど食べてから、もういいという風に首を振ります。フルーツはどうするかと訊くと<いらない>といいます。

 食事は「うまかったですか?」と訊いてみると、<まずい>と「緑」の父が言います。

 やはり「緑」の父の答えは<もういい><いらない><まずい>です。

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 ですから、この後、「僕」は普通、日曜日には、寮で洗濯をして、夕方前にとりこんでせっせとアイロンがけをすることや大学の授業で「緑」と一緒にギリシャ悲劇のエウリピデスについての講義をとっていることなどを、「緑」の父に話します。でも話しているうちに「僕」のほうが「ひどく腹が減ってくる」のです。朝食を殆ど食べなかったうえに、「緑」と食べた昼の定食も半分残してしまったからです。

 何か食べものがないかと、病室の物入れの中を探してみますが、海苔の缶とヴィックス・ドロップと醤油があるだけでした。紙袋の中にはキウリとグレープフルーツがありました。

 「僕」は「腹が減ったんでキウリ食べちゃいますけどかまいませんかね」と「緑」の父親に言って、洗面所で三本のキウリを洗い、皿に醤油を少し入れ、キウリに海苔を巻いて、醤油をつけてぽりぽりと食べ始めるのです。

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 「うまいですよ」と「僕」は言います。「シンプルで、新鮮で、生命の香りがします。いいキウリですね。キウイなんかよりずっとまともな食いものです」

 「僕」は一本を食べてしまうと次の一本にとりかかり、ぽりぽりというとても気持ちの良い音が病室に響き渡っています。「僕」の空腹もキウリを丸ごと二本食べてしまうと一息つき、今度は湯をわかして、お茶を入れて飲みます。そして「水かジュース飲みますか?」と「緑」の父親に「僕」が訊くのです。すると、

 <キウリ>と彼は言ったのです。

 「僕」はにっこり笑って、「いいですよ。海苔つけますか?」と「緑」の父親に訊くと、彼は小さく肯きます。果物ナイフで食べやすい大きさに切ったキウリに海苔を巻き、醤油をつけ、楊枝に刺して口に運んであげると、彼は殆ど表情を変えずにそれを何度も何度も噛んだあとで、呑み込みました。

 「どうです? うまいでしょう?」と「僕」が訊くと、「緑」の父親が言います。

 <うまい>

 「僕」は「食べものがうまいっていいもんです。生きている証しのようなものです」と言います。「結局彼はキウリを一本食べてしまった」のです。

 「キウリを食べてしまうと水を飲みたがったので、僕はまた水さしで飲ませてやった。水を飲んで少しすると小便をしたいと言ったので、僕はベッドの下からしびんを出し、その口をペニスの先にあててやった。僕は便所に行って小便を捨て、しびんを水で洗った。そして病室に戻ってお茶の残りを飲んだ」とあります。

 食べもののことがたくさん出てくる村上春樹の小説の中でも、この『ノルウェイの森』の「キウリの海苔巻き」を「僕」と「緑」の父親が食べる場面は、屈指の名場面だと思います。

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 村上春樹は学生時代にたくさんの空虚な言葉に接したようです。アジ演説をするような多くの人間が、自分が発した言葉に従って生きようとしなかったのです。自分の言葉をサッサと捨てて、そんな言葉を発したことも忘れて、大企業などに就職して、日本のバブル経済を推進していく側になっていったことへの失望と怒りのようなものが、村上春樹の文学の出発点の1つになっていると思います。

 「いい年した人たちなのにどうしてみんな世の中のしくみってものがわかんないのかしら、あの人たち? 口でなんてなんとも言えるのよ。大事なのはウンコをかたづけるかかたづけないかなのよ。私だって傷つくことはあるのよ。私だってヘトヘトになることはあるのよ。私だって泣きたくなることあるのよ」

 こんな「緑」の言葉にも、その村上春樹の思いは反映しているのでしょう。

 言葉で喋るだけでなく、何か、少しでも、現実世界を動かすこと。それを「僕」が「緑」の父親に「うまいキウリの海苔巻き」を食べさせるということで、為しているのです。「僕」は一見、受け身的に生きる人間のようですが、少しずつ現実の世界を動かす人間として在ると思います。

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 そして、もう1つ、とても大切なことですが、「緑」と交代で、3日間、父親の看病をしている「緑」の姉「桃子」が「キウイ」と「キウリ」を間違ったことを、この場面が、さりげなく救っていることです。

 「でも考えりゃわかるじゃない? なんで病人が生のキウリをかじるのよ? お父さん、キウリ食べたい?」と、「緑」は姉「桃子」の間違いに、少しだけ強い言葉で反応していますが、「僕」と「緑」の父親が、うまいキウリを食べることで、桃子の間違いが素敵なものに置き換えられていますし、「緑」の心の疲れも少し解消されているのです。これこそが「物語の力」だと、私は思います。

 公園でぼおっとしていて、「とても楽になったような気がする」という「緑」が午後3時過ぎに帰ってきます。「僕」から話を聞いた「緑」は「ワタナベ君、あなたってすごいわねえ」「あの人ものを食べなくてそれでみんなすごく苦労してるのに、キウリまで食べさせちゃうんだもの。信じられないわね、もう」と驚いています。「緑」からも、「桃子」の間違いに対する苦言が消えています。

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 「緑」の父親は「僕」に親しみを抱いたのか<キップ><ミドリ><タノム><ウエノ>などと「僕」に言います。それは「切符」「緑」「頼む」「上野駅」のことのようです。「緑」「頼む」は「緑のことをよろしく頼む」という意味かと思いますが、「切符」「上野駅」については、こんなことが「緑」にあったそうです。

 「緑」は2回家出の体験があり、小学3年と5年の時、上野駅から電車に乗って福島まで行ったことがあるのだそうです。福島に伯母の家があり、その家に行ったのです。すると父親が福島まで来て、私を連れて帰ります。2人で電車に乗ってお弁当を食べながら上野まで帰るのだそうです。

 その時、お父さんはすごくボソボソとだけど、いろんな話を「緑」にしてくれました。

 「関東大震災のときの話だとか、戦争のときの話だとか、私が生まれた頃の話だとか、そういう普段あまりしたことないような話ね。考えてみたら私とお父さんが二人きりでゆっくり話したのなんてそのくらいだったわね。ねえ、信じられる? うちのお父さん、関東大震災のとき東京のどまん中にいて地震のあったことすら気がつかなかったのよ」

 などと記されています。東日本大震災(2011年3月11日)が起きた後に、この「福島」や「関東大震災」のことが記された部分を読みますと、また別な思いが迫ってきます。そして、あまり登場人物の親子関係のことを記したりしない村上春樹が、「緑」に関しては、「姉」や「父」のことが書いてあるのも印象的です。でも、そのことが自然に、読む側に伝わってくるということに、「キウリの海苔巻き」の場面の力があるのだと思います。

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 最後に、せっかくですから、「キウリ」の食文化史を少しだけ紹介しましょう。鈴木晋一『たべもの史話』(平凡社、1989年)によると、胡瓜はインドのヒマラヤ地方の原産。漢の武帝時代に張騫(ちょうけん、?―前114年)が西域から持ち帰ったとされるところから、胡(えびす)の瓜(うり)となったようです。それが4世紀になって黄瓜とも呼ぶようになったのは、後趙を建国した石勒(せきろく)が匈奴出身で蛮族を示す「胡」の字を忌んで名を変えさせたためです。

 日本への渡来は古いですが、長く日本人は黄色く完熟したキウリを食していたようです。黄瓜(こうか)を日本読みして「きうり」と読んだのです。

 「キウリの海苔巻き」が登場する『ノルウェイの森』の第7章の最後に「僕」は京都の「直子」に手紙を書いています。

 「僕はその同じクラスの女の子の父親の見舞いに行って余ったキウリをかじった。すると彼もそれを欲しがってぽりぽりと食べた。でも結局その五日後の朝に彼は亡くなってしまった。僕は彼がキウリを噛むときのポリ、ポリという小さな音を今でもよく覚えている。人の死というものは小さな奇妙な思い出をあとに残していくものだ、と」

 この『ノルウェイの森』に出てくる「キウリの海苔巻き」は、ほんとうにシンプルで、美味しい食べものです。作るのも簡単です。興味のある人はぜひ自分で作って食してみてください。(共同通信編集委員 小山鉄郎)

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